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それから私は本国に帰り、報告書を書いた。
集合場所には、ダヴィット・ナシノフスキーもレスリーも現れなかったと。
ハンガリーの不安定な情勢ゆえに、その報告はさしたる抵抗なく受け入れられた。ナシノフスキーはやはりソ連の監視の目を逃れることはできなかったのだろう。そしてレスリーは不運にもどこかで銃火に巻き込まれてしまったのだろう。報告書における私の誘導もあって、大方の見地はそれで一致した。おまけにレスリーが危険なマーケット地帯に出向いていくところを目撃した大使館員がいて、その仮説はいよいよ信憑性を獲得した。
危険なハンガリーに出張した意味を失ったばかりか、貴重な情報源を失った私に同情する者はおれど、疑う者などいなかった。
私は、外務省大臣の別荘にいた。
丘上に建てられた、由緒正しきカントリーハウスだ。二階の書斎にしつらえた前面窓で、サルクームの海を望むことができる。十七世紀、サルクームの人々は釣りと密輸で生計を立てていたらしい。
そこで今、私はブリーフィングを行っている。書斎にいるのは、大臣とカウントだけ。手元にある資料は、
資料の文言のほとんどは、カウントの妄執と思いつきに由来する。私は、己で考える頭を持たない哀れな鷹のような働きをした。怪しいとカウントが指し示した事柄を徹底的に調査し、わずかな瑕疵――完璧な作戦などないものだ……たとえ完璧な予防処置を施したとしても――を口うるさい叔母のように大げさに暴き立て、二重スパイの翳をそこに見出す。偽物の防諜。狂妄の身内狩り。虚構の告発文。
そう、すべて嘘なのだ。
私だけがそれに気づいている。
なぜなら私こそが、もぐらなのだから。
私は願っている。大臣とカウントの前で、表情を微塵も変えずに事務的かつ愛国的に説明をしながら、心の底から願っている。
いつか、私の不逞が暴かれますように。
いつか、私の欺瞞に満ちた日々に、破滅的な終わりが訪れますように。
いつか、私が世界に殺されますように。
そのとき、死んだ私の行く先には彼女もリーリヤもいないだろう。
この戦いは、すべてを見透かせるようでいて、結局のところなにも見えない。そのガラスの戦争で、私にとって信じられるものは二つだけだ。
ガラスでできた戦争 石井(5) @isiigosai
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