石油王の娘だけど、今から死のうと思う。#2
2.ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう。
私立・都杯(どばい)女子中学、高等学校。
荒舞市(あらぶし)北西部、私鉄の都杯河原(どばいがわら)駅から徒歩十五分。バスなら五分。私が通っている中高一貫の女子校だ。中学から通い始めて四年目になる。小学校の時点で恋愛とかいうやつにウンザリしきっていた私には、女子校に進学する以外の選択肢はなかった。
申し訳程度にキリスト教が関わっているらしく礼拝堂なんかもあるが、生徒からも教師からも敬虔さは全く感じない。ちゃんと信じてる人はどのくらいいるんだろう。
もっとも、我が身に起きている事を考えれば、聖書に書いてある事なんかもそう荒唐無稽でもないのかもしれない。案外いるかもね? 神。いたとして、大嫌いだけどな!
そう。私はここに、神の野郎にケンカを売るためにきたのだ。
都杯河原の駅前に降り立った私を出迎えたのは、駅のホームを遥かに越えるスケールで不快な、平穏なる人々の光景だった。いつも通りにどいつもこいつも気に食わない。
手を繋ぎ仲睦まじく歩くカップルは周囲に人の目がある事を忘れてそうで嫌いだ。
群れて騒いでいるチャラ男の一団は、自分と友達が世界の全てだと思ってそうで嫌いだ。
赤子を抱き微笑む母親とそれに話しかける老婆は、人生が幸せに満ちているのは当たり前だと思ってそうで嫌いだ。
そして、それら全ての一般人を祝福するかのように駅前に鳴り響くポップミュージックの、この社会の常識に則った歌詞が大嫌いだ。
うん。自分でもわかってる。私はたぶん相当性格が悪い。
もし私が謙虚に他人を祝福できるような清純派の聖女さまだったなら、何の問題もなく神の子として生きられただろう。
だが何しろ私は他人の幸福が許せないのだ。昔から幸せというものは、私から人を遠ざけ、惨めにするものでしかなかった。
そして人の幸せが嫌いになるにつれ、人そのものが嫌いになっていった。
今や私は好きなものより嫌いなものの方が圧倒的に多い。おそらく二秒ずつ貰えれば、目に入るあらゆるものに対して嫌いな理由を挙げる事ができるだろう。おおよそ世界の九割ほどのものとは価値観が合わない気がする。そんなものに囲まれて生きなきゃならないんだから、つくづくこの世ってのは地獄だ。
だから私は、この街に迷惑をかける事には何の罪悪感も抱かない。まして今など己の死を決意している。今後の事を気にする必要もない。すると、平然とこんな事もできる。
私は躊躇いなく車道へ飛び出した。鼻先を猛スピードで車が通過する。
私の立っている車線にも、右からいい感じに死ねそうなトラックが迫っていた。
しかし同時にピュウと間の抜けた風が吹き、飛来したポスターがトラックのフロントガラスに張りつき、トラックはブレーキを踏み、さらにそのポスターに「探しています」と写真の載っていた迷い犬が私の真横を通り過ぎ、先ほどのチャラ男の一団がそれを発見し、即座に飼い主に連絡した彼らはトラックの運転手共々大いに感謝された。頼むから余所でやってくれよ。
やはり人が絡むとダメだ。彼らが幸せになるだけの結果で終わる。電車・自動車と失敗し、轢殺は諦めるしかなかった。
そこで次に思いついたのが、学校へ向かう事である。よく考えると別に学校である必要はなかったのだが、他に適当な場所が思いつかなかったので仕方がない。とにかくやるだけだ。一番高いのは、おそらく礼拝堂。あそこの時計塔なら三階建ての校舎よりは高かったはずだ。十分だろう。
自殺の花形、飛び降りをやるには。
私には誰にも邪魔されない自由落下と、無慈悲なコンクリートの地面が必要なのだ。
そうして私は学校へやってきた。もうとっくに授業が始まっている時間。校舎外には人影もなく、邪魔が入る可能性はすごく低い、はずだ。事実、授業中の校内は静かで、鳥の鳴く声すらよく聞こえる。
神とやらに祈るための礼拝堂から神と呼ばれた私が身投げするというのは、実に冒涜的で魅惑的に思えた。
人間の上位存在なんてものが本当にいたとして、そいつが私にこの力を与えたのだとしたら。私を死に追いやったのは間違いなく神という事になる。私には、お前に中指を立てる権利があるはずだぜ。
礼拝堂は校門から見て右奥の方角、中学校舎からも高校校舎からも多少の距離がある。配置としても申し分なく、授業で使われるような施設でもない。日中は大抵もぬけのからだ。
たまに授業をサボッて、あそこで早弁したりもしたものだ。だから私は、普段は立ち入り禁止で存在すらあまり知られていない、時計塔への階段の場所だって知っている。
私は抜き足差し足、あえて急がず敷地右奥へ向かった。授業中の校内に早足の生徒は似合わない。一応、目立たないように気を使う。
なんだかえらく緊張する。私にとってこのくらいの遅刻はよくある事だし、授業中の校内を歩くのも慣れているつもりだったが、ここまで後ろめたいのは初めてだ。
目的が違うだけでこんなに気分が違うものか。のどかな日中だというのに、一人で肝試しでもしているような気分だった。そうしてやがて、礼拝堂が見えてくる。
レンガ造りの礼拝堂は、ほどよく古びた外壁に絡まった蔦がマッチして、改めて見ると実にそれらしい建物だった。間違っても夜中には訪れたくない雰囲気だ。
屋根の十字架やステンドグラス等の装飾が過剰な神秘感を煽ってくる。こうなると入口に佇む女性徒の姿も、この世ならざるものに見えてくるというものだ。おお恐い。
え? ちょっと待て女性徒だって?
確かにそこには人影があった。細身で長身のシルエット。
壁にもたれかかる姿はかなり様になっており、まるでイケメンのようだが、それはあくまで例えである。
何故ならここは女子校で、人影は制服を着ており、つまりスカートを穿いていた。近づくにつれ、ショートカットの髪型と端正で涼しげな顔立ちも見えてくる。
「お、サチじゃん! すげえホントに来た」
そして顔が判別できる距離まで近づく頃には、相手が完全に見知った人物である事が明らかになっていた。
この時、私は無意識に口の中で「ええっ」だか「うわ」だか、何かしらの拒否の言葉を呟いたはずだ。「げえっ」くらいは出てたかもしれない。
もちろん誰にも見つかりたくは無かったけど、よりによってコイツが出てくるのか。実際のところ、かなり会いたくない奴だった。サチって呼ぶなというのも、何回も言った筈なのに。確かに私は佐知子だが、その略し方は「幸」を連想するから好きじゃないんだよ。
「サチぃー。どうしたんだよ最近遅刻ばっかでさあー」
「……マツリ」
私は相手の名を呼んだ。彼女は私のクラスメイトであり、かつて私の所属していたテニス部のエースでもある。王子様然としたルックスと明るく話し易い雰囲気で、同級生や中等部の後輩たちからの人気も高い。
「そういや久しぶりじゃね? 授業中にここ来るの。やっぱいいよね」
そう言ってマツリは私の肩に触れようとしてきたので、私は一歩引いてかわす。相変わらず馴れ馴れしいやつだ。決して悪い子ではないのだが、だからといって気安く触らせるわけにはいかない。
だって私はお前のことが、大嫌いなんだから。
「っと、ごめんごめん……ってあれ?」
手を出したまま前に少しつんのめった形のマツリは何かに気がつくと、驚いたように改めて私のほうを見た。
「何それ……血? 大丈夫か!?」
「えっ? ウソ」
マツリの視線は私の胸元を向いていた。私も下を向き確かめる。すっかり忘れていた。近くで見なければわからないだろうが、先程の鼻血が何滴も、ブラウスの襟元に血痕となって残っていた。顔の血は拭っておいたが、こればかりはどうにもならない。
「おいおい鼻にも傷あんじゃん。痛くない? マジでどうしたんだよ、ケンカでもした?」
「う、ううん。別に」
私は首を横に動かす。面倒なところに食いつかれてしまった。そもそもこいつの相手なんかしてる場合ではないのだ。昼休みになれば生徒や教師も校舎から出てくる。
そうなればもっと面倒だ。私はここへ何をしに来た? 落下するためだ。それ以外の用はない。多少強引にでも時計塔に向かわなくては。
「大丈夫だから」
言いながら私は歩き出した。マツリの横を抜け、礼拝堂脇の時計塔の方角へ。
「あっ、ちょっとおい!?」
「急いでるの!」
マツリも追うように歩き出したが、私は振り返りもしない。
「急ぐって何だよ。そっち時計塔しかないじゃん! ……ホント何があったんだよ!」
聞き流す。生前の会話など、間もなく無価値になるのだ。
「なんかユキさんから焦った感じのメッセージ入ってんだよ! サチが礼拝堂に来るかもしんないから捕まえとけって!」
私は振り返った。
なんとか首だけを振り向けるにとどめる事には成功した。
「そういや珍しくユキさん来てないし……ユキさんと喧嘩したのか?」
当然普段からユキさんは、私の護衛として学校にも来ていた。
普通に考えて生徒の親類でもない部外者が入れるわけがないのだが、愛想の良さと交渉力で何とでもなるらしい。
神のルックスを持つユキさんは生徒たちから見ても憧れの人で、教室にまで入り込んで他の生徒とお喋りする事すら余裕であった。ヘタすりゃ私よりクラスメイトに馴染んでたんじゃないだろうか。
問題はそのユキさんが、私がここに来る事を予想していたという事だ。
確かに私は身投げをしたし、学校へ向かう電車にも乗り込んだ。ヒントが無くはないのかもしれないが、行動が読まれているというのはイヤな感じだった。うかうかしていると本人も来てしまうかもしれない。
私は再び前を向き、歩みを続ける。時計塔を昇る階段に足をかける。マツリも追ってくる。
煩わしい。こいつの顔を見ているだけでも、色々思い出してしまう。そんなしがらみから逃れるためにも、私には脇目を振っている暇などないのに。
「なあ待てって! くそ……時計塔に何があるんだよ。何しに行くんだよ!」
たぶん、もう面倒臭くなったのだと思う。コイツともこれっきりだと思ったら、今さら何を言っても良いと考えたのかもしれない。
とにかく私は、ごく自然に
「死ににだよ」
そう返してしまっていた。
【あとがき】
すみません。あとがきです。この作品の原稿はここまでしか存在しません。
デビュー前、カクヨムに登録する直前までの2014~2015年に命をかけて書いていた作品です。
内容については語る必要がほぼないでしょう。書いてあることを読んでもらうのが早い。
大好きな作品です。しかしスランプ中であった事も確かで、続きを書くことはできなかった。いつか完結させたいけど、時間がなくて書けていない作品のひとつです。
もしこの作品を利益にできる手段があるなら飛びつきますし、イラストなど頂ける機会があればいいなあと、ずっと思っています。応援よろしくお願いします。
渡葉の思いつき(短編集) 渡葉たびびと @tabb_to
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