白百合の病が教えてくれる、生きることと愛の美しさ

諦観とは仏教用語。迷い、悩みながら本質を見極め、執着を捨てて悟りに至る。執着を捨てるために、前向きに諦めるのです。

白百合の病にかかったミヨシくんもササオカさんも、苦悩し涙をこぼしても、達観しているように静かに語ります。透明で美しい語り口に、読者は感情を揺さぶられ、涙してしまいます。

白百合の病は、生きることも、大人になることも、日差しを浴びることも困難です。白百合の病にかかった者は、たくさんのことを諦めないといけない。
けれどそれは不幸な病ではなく、生きること、死ぬこと、愛することの本質を炙り出す病でもあるのかなと。
ミヨシくんもササオカさんも、前向きに諦めていくなかで、諦観の境地に立ち、静かに旅立っていきます。全てを失ったからこそ、得られたもの。永遠の光と、変わらぬ愛がそこにある気がしてなりません、

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