捜査開始

 それはまるで、中世ヨーロッパをそのまま模したような屋敷だった。天井からぶらさがるシャンデリア、吹き抜けになった二階へと続く広い階段に、一面に敷かれた深紅のカーペット、まさに豪邸の様相だ。その壮麗な光景を前に、木場は圧倒されて感嘆の息を漏らした。

「すごい…。本当に西洋の屋敷をそのまま再現したみたいですね。」

「ふん、俺に言わせりゃあ、こんなものはただの時代錯誤だな。自分達が金持ちってことを見せびらかしたいだけだ。」ガマ警部がにべもなく言った。

「ガマさん、それは偏見ですよ。自分は好きですよ。こういうレトロって言うか、アンティークな感じの家って!」

「あら、お気に召しまして?」

不意に後ろから声がして二人は振り返った。肩を出し、腕の辺りがシースルーになった茶色のワンピースを着た女性が近づいてくる。念入りにファンデーションを塗った肌の上に真っ赤な口紅を引き、悠然と煙管をふかしている。ウェーブがかった栗色の髪をアップにして、むき出しになった白い肩と細い首からむんむんと色気が漂っている。年齢はわからないが、妖艶な雰囲気を纏ったその女性を前に木場は思わずどきまぎした。

「あんたは?被害者の娘さんか?」ガマ警部が尋ねた。

「あら嬉しい、娘だなんて。あたくしもまだまだ捨てたものじゃないわね。」女性がふふっと婉然に笑った。

「え、と言うことは、もしかして被害者の奥さんですか?」木場が呆気に取られて尋ねた。

「正解。あたくしは雨宮公子あめみやきみこ。あの人と夫婦になってもう二十年になりますわ。」

公子が木場に向かって艶っぽく微笑んだ。結婚して二十年と言うことは少なくとも四十代ではあるのだろうが、公子の顔や手には皺一つない。美魔女という言葉があるが、この女性の若さはまさに魔術的だ。自らの美貌を保つためにどれだけ金を費やしているのだろうと考えると、木場は目の前にいる女性が急に空恐ろしくなった。

「確か被害者は六十歳を超えていたはずだが、ずいぶん年の離れた結婚だったんだな?」ガマ警部がじろりと公子を見やった。

「あら、年齢なんて関係ないわ。あたくしはあの人を愛していたんだもの。」公子は平然と言った。

「ほう?その割にはあんまり悲しそうに見えんがな。」

ガマ警部が鼻を鳴らした。公子は笑みを浮かべたまま何も言わない。おそらく警部は財産目当ての結婚だったと言いたいのだろう。公子が否定しないところを見ると、当て推量もいうわけでもないらしい。

「まぁいい。あんたと被害者の仲は調べればわかることだ。それで、あんたはどこで被害者と知り合ったんだ?」

「あたくしが主人の取引先の社長秘書をしておりましたの。そこで主人に見初められまして。」

「旦那さんはどんな人だったんですか?」木場が口を挟んだ。

「そうねぇ。あたくしと出会った頃は豪胆で、何でも自分の思い通りにならないと気が済まないような人でしたわね。あんな状態になってからも、娘のことは同じように支配したがっていたようですけれど。」

「被害者が下半身不随になったのはいつのことなんだ?」ガマ警部が尋ねた。

「今から一年ほど前になりますかしら。会社からの帰りに交通事故に遭いまして。」

「それはどういう事故だったんだ?」

「スピード違反ですわ。運転をしていた秘書が居眠りをしたようで、停車中の大型トラックに猛スピードで車体を衝突させたんです。」

「その、秘書の方は…?」木場が恐る恐る尋ねた。

「…重体だったそうですわ。その後すぐに主人が解雇しましたから、詳しいことは存じ上げませんけどね。助手席に乗っていた主人も重体になりまして。一命を取り留めたのも奇跡だとお医者様はおっしゃっていましたわ。あの人は昔から生命力が強かったものですから…。」

公子がため息をつきながら言った。その時死んでいてくれればよかったのにと言わんばかりの口調だ。

「…その生命力の強さも、今回ばかりは発揮出来なかったということか。ちなみに、昨日の夜十時頃、あんたはどこにいた?」ガマ警部が率直に尋ねた。

「あら嫌だ、あたくしを疑っているの?それに、主人の死は事故じゃありませんの?」公子が顔をしかめた。

「それはまだわからん。内部の人間による犯行の可能性も十分にある。」

「まぁ…、何て野蛮なこと。この屋敷の人間が主人を殺したかもしれないんなんて、よく平気でそんなことが言えますわね?」

「どんな人間だって罪を犯す。男か女か、金持ちか貧乏かなんてことは関係なくな。それで?答えられないのか?」

ガマ警部が動じずに言った。相手にどんな嫌みを言われようが追及の手を緩めることはしない。それがガマ警部のスタンスだった。公子はしばらく躊躇っていたが、やがて諦めたように息をついて言った。

「…部屋に一人でおりましたわ。証人はいません。でもあたくし、あの人を殺してなんかいませんわよ。こんなか弱いあたくしが、車椅子からあの人を突き落とせるもんですか。」

「ふん、それはわからんな。何しろ相手は痩せ衰えた老人だからな。まぁいい。今はこの辺にしておこう。他の関係者にも話を聞きたいんだが、この家には他に誰が住んでいるんだ?」

「娘が二人と、使用人が大勢、あとは家庭教師の先生がいらっしゃいますわ。灰塚敏夫はいづかとしお先生とおっしゃいますの。」

「その人達は今どこに?」木場が口を挟んだ。

「部屋にいると思いますわ。警察の皆様が屋敷から出てはいけないとおっしゃるものですから。」公子がうんざりしたようにため息をついた。

「当たり前だ。事は殺人事件かもしれんのだからな。それで、あんたの部屋はどこだ?」

「二階の東側、廊下の端ですわ。」

「ちなみに娘さんと、家庭教師の方の部屋は?」木場が割り込んだ。

「娘の部屋は二階の西側、あたくしの部屋とは反対側の突き当たりです。灰塚先生は一階東側の客室にいらっしゃいます。」

「それだけ聞ければ十分だ。ご苦労だったな。もう行っていいぞ。」

ガマ警部が言った。公子はふんと鼻を鳴らして警部に軽蔑した視線をくれると、足早に立ち去ってしまった。

「警部…、いいんですか、あんな言い方して。あれじゃ誰が聞いたって怒りますよ。」木場が心配そうに尋ねた。

「ふん、あの女はどうも気に食わん。夫の金で食わせてもらってる分際でお高く止まりやがって。今に化けの皮を剥がしてやる。」

ガマ警部が吐き捨てるように言った。どうやら公子のようなタイプは嫌いらしい。木場は苦笑して警部を見た。

「で、次はどうしますか?」

「そうだな。とりあえずその二人の娘と家庭教師とやらに話を聞きたい。使用人は後回しでもいいだろう。」

「わかりました!」木場の張り切った返事が邸内に響き渡った。

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