岸壁に佇む屋敷
翌朝、いつもは心地よい静寂に包まれている屋敷の周りには、今日はけたたましいサイレンの音が響き渡っていた。赤いサイレンを点滅させたパトカーが屋敷の周りを取り囲み、白い手袋をはめた警官や鑑識が慌ただしく辺りを行き交っている。そこにもう一台新たなパトカーが到着し、中から二人の刑事が姿を表した。一人はずんぐりとした体格の中年の刑事。年齢は五十代半ばくらいだろうか。ベージュのトレンチコートを着て、煙草を口の端に咥え、苦虫を噛み潰したような顔をして屋敷の方を眺めている。いかにもベテランの鬼刑事といった風貌だ。もう一人はスーツ姿の若い男。現場が珍しいのか、興味深げにきょろきょろと辺りを見回しては、いちいち感嘆したように息を漏らしている。こちらは見るからに新米刑事といった風情だ。
「いやー、やっぱり現場は緊張感が違いますね!反則切符切ってるのとはわけが違うや。」若い刑事が浮かれ気味に言った。
「おい木場。遊びで来てんじゃねぇんだぞ。もっと気引き締めろ。」中年の刑事が若い刑事をじろりと見やり、凄みのある声で言った。
「すいませんガマさん。一課に配属になったのが嬉しくて、ついはしゃいじゃいました。でもそうですよね。事件の捜査なんだから、気を引き締めていかないと。」
木場と呼ばれた刑事が反省したように肩をすぼませた。彼の名は
「そういうこった。もしこれが殺人事件ということになれば、この屋敷のどこかに殺人犯が潜んでるってことなんだからな。」
ガマさんと呼ばれた刑事が言った。彼の名は
「それにしても、この屋敷はなんだ?こんな自殺の名所みたいな場所にわざわざ屋敷を建てるたぁ、全く物好きがいたもんだな。」
ガマ警部がじろりと屋敷の方を見やった。住所は東京であるはずのこの場所は、警視庁から車で三時間かけてやっと辿りつけるほど辺鄙な場所にあった。古めかしい西洋風の外観はおよそ日本の光景ではないようで、見るからに曰く付きに思える。
「本当、いったいどんな人が住んでるんでしょうね。やっぱり一癖も二癖もある住人なのかな。」
木場がワクワクして言った。刑事にはふさわしくない童顔に、邪気のないこの性格。被疑者にナメられるには十分過ぎる要素だ。何でこんな奴を一課に配属にしたんだとガマ警部は早くもぼやきたくなった。
「ったくお前、推理小説の読み過ぎだ。会う前から妙な先入観を持つんじゃねぇ。いいか、これは現実に起こった事件なんだ。いくら舞台が現実離れしてようが、一人の人間の命がこの世から奪われたことには変わりはねぇんだ。それを肝に命じとけ。」
ガマ警部に凄まれ、木場は小声ではい、と言って小さくなった。警部の言うとおりだ。いくらミステリ小説のような舞台とは言え、これは現実に起こった事件なのだ。いつまでも浮かれ気分でいるわけにはいかない。
事件の概要はこうだ。昨夜、四月十二日の夜十時頃、何か大きなものが海に落ちる音がした。気づいたのは被害者と一緒に現場に行ったという被害者の娘。屋敷に忘れ物を取りに帰り、戻ってくる途中でその音を聞き、血相を変えて現場まで戻ってきたところ、車椅子も父親の姿も消えていた。娘は大急ぎで屋敷に戻って事態を知らせ、警察に通報したというわけだ。駆けつけた警官が付近の海を捜索した結果、岸壁に引っかかっていた車椅子と、海面に浮かぶ被害者の死体が発見された。
被害者の名は
「現場は先発の奴らが当たってる。俺達は屋敷の連中の聞き込みに行くぞ。」ガマ警部が言った。
「聞き込みですか!一度やってみたかったんですよ!どんな凶悪な犯罪者だろうが、自分がいっちょ絞り出してやりますよ!」
木場が拳を握りながら意気込んで言った。ガマ警部は舌打ちをして木場の顔を見たが、言っても無駄だと思ったのか、黙って屋敷へと向かった。
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