文に溺れて

小説というのは作者の頭で考えているものを、読者の頭にも想像させることができるから、ほぼテレパシーといっても過言ではありません。そして読者は小説を読んで不幸になったり、将又幸せな気分を味わったりできるものです。
さて本題に入りますが、この小説は読むと「溺れる」ことができます。しかし何に溺れるのかと聞かれても答えられません。主人公の女性が入っている風呂に溺れ、小学校のプールに溺れ、昔の自分に溺れ、人間関係に溺れ、初恋に溺れ……と要するに様々なものに溺れていく感覚が味わえるのです。
そしてなにより私は作者の文章に溺れました。この小説を開いたが最後。あとは津波のように作者の言葉がやってきて、一瞬で足下を掬われてしまう。出てくる言い回し、ワードセンスも全てが面白くて、読んでいて次の一文を期待してしまう自分がいました。所々にある比喩表現も、中島敦さんの『山月記』に出てきた有名な一文も、妙にこの小説に噛み合っていて、深い物語になっていたように感じます。
素敵な小説に溺れることができて幸せでした。ありがとうございました。