杜伯

 宣王の四十六年。杜伯の処刑から、三年の月日が経った。

「もし死者にも知覚があるのなら、三年の内にこの恨みは必ず晴らそう」

 彼のそのような遺言は次第に忘れ去られていき、この頃には周国内の誰も覚えていなかった。族滅を恐れた杜伯の一族が他国へ亡命したことも関係しているであろう。


 この年、宣王は諸侯を集めて、狩猟を執り行った。狩猟とはいうものの、実際は所謂合同軍事演習のような性質を帯びている。数多の歩兵や戦車が狩場という名の演習場に満ち溢れている様は、何とも物々しい。

「よし、戦車前進」

 宣王の号令とともに、王の戦車が前に進みだした。それに引き続いて、左右を固める戦車部隊も、馬蹄の音を立てながら前進する。

 よく晴れた日であった。空は青々と澄み渡り、中天に昇った日が眩いばかりに輝いている。

「……ん?」

 宣王の視線が、遠方の林の方に向けられた。何かが砂塵を巻き上げながら、木々の間から飛び出し、裸地にいる宣王の方に向かってくる。

 馬蹄の音とともに姿を現したのは、白馬に引かれた白い戦車であった。その車台には、何か赤っぽいものが乗り込んでいる。宣王は尚も目を細めてそれを観察してみた。そうしている内にも、戦車はどんどん王に向かって近づいてくる。

 やがて、戦車に乗り込んでいるのが何者であるか、宣王にははっきりと見えた。王は、その人物のことを知っていた。

「と、杜伯!」

 宣王の顔は、みるみるうちに蒼白になっていった。

 ――杜伯は、棄市刑さらしくびに処したではないか。

 戦車に乗っていたのは、三年前に処刑されたはずの、杜伯その人であった。杜伯は朱色の服と冠を身に着け、その手にはやはり朱塗りの弓を携えている。

 宣王は、震えが止まらなかった。冷えた汗が、じっとりと王の戎衣を濡らしてゆく。死んだはずの男に再び出会ったのだ。どうして動揺せずにいられようか。

 宣王は左右に視線を振った。他の歩兵や戦車兵たちも、皆一様に杜伯の戦車の方を見ながら唖然としていた。これが見えているのは、どうやら自分だけではないらしいことを王は知った。

 やがて、杜伯の顔がはっきり見えるような距離まで、戦車は近づいてきた。その顔はまるで幽鬼のように青白く、纏った朱色の服や冠と対照を成している。顔色が悪いながらも、その目は怨念を宿しながら、王の方をしっかりと睨みつけている

 杜伯の腕が、動き出した。宣王はそれが、弓に矢をつがえて引き絞る動きだと理解した。早く、自分の戦車を走らせて、矢を避けねば……そう思ったが、王が御者に指示を出すよりも、杜伯の矢の方が先んじた。

「がっ……」

 矢の狙いは、驚くべき正確さで以て宣王の胸に当たり、深々と突き刺さった。王の胸を激痛が襲い、耐え切れなくなった王は車中に倒れ臥せった。

「もし死者にも知覚があるのなら、三年の内にこの恨みは必ず晴らそう」

 杜伯がそのような遺言を刑場で言い残したということは、宣王の耳にも入っていた。しかし、王は全くこれを恐れず、三年という月日の中で忘却の彼方へと葬り去ってしまっていた。杜伯の矢に胸を穿たれた時、ようやく、宣王はこの遺言を思い出したのである。

 ――そうか、奴は黄泉こうせんから復讐に来たのか。

 そのようなことを考えながら、王の意識は次第に遠のいていった。宣王の治世四十六年は、ここに終わりを告げたのである。


 この奇怪な惨劇の一部始終は、多くの者が目撃していた。『史記 周本紀』における宣王の記述は簡素であり、この件に関して記されていないが、兼愛非攻を説いた墨家の書物である『墨子』には、この逸話が載せられている。


 宣王が崩じた後に立った王が、かの有名な幽王である。「笑わない美女」褒姒ほうじを寵愛し、そのことが西周を滅亡に導いたとされる亡国の君である。以降も周王室は続いていくが、それ以降の周は「東周」と呼称され、武王の放伐から幽王までの「西周」とは区別される。

 その東周は実に五百年以上生き永らえたが、秦の昭襄王しょうじょうおうの五十一年に、とうとうこの古代王朝は引導を渡された。すでに有名無実化していた東周は、秦将きゅう率いる秦軍に攻められ滅ぼされたのであった。

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周王奇譚 武州人也 @hagachi-hm

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