最終話 あの青空を見に行こう!

 気が付くと、ゾルタンは暗い暗い闇の中を揺蕩たゆたっていた。


 自分が今どこにいて、どうなっているのか、分からなかった。

 視界はどこを見渡しても暗く、どれだけ耳を澄ませても何も聞こえてこない。

 手足はまるで自分のものではないかのように動かせない。いや、そもそも今自分に体があるのかさえ疑わしい。見えない体からは、何も感じとれない。

 ただただ、宙を浮いているような感覚だけがあった。


 暗闇の中、不安や恐怖よりもひどい眠気にさいなまれていた。

 このまま闇の中に身を委ねていたい。そんな誘惑に駆られる。

 もう何もする必要はない。眠っていよう。心の奥で誰かが囁く。いやそもそも、今まで何をしていたのかさえ思い出せない。

 暗闇の中で目を閉じる。そしてそのまま、意識も暗闇に溶けて――。


「おいお前さん、いつまで寝てるつもりだ」

「こらワルガキ、聞こえてないの?」


 不意に静寂を破る誰かの声。

 もう会うことのできない、懐かしい人たちの声。


「一兵卒、ずっとそのままでいるつもりか」

「同胞よ、君が起きないとあの子は悲しむよ」


 次に聞こえてきたのは、同胞たちの声だった。

 次第に思い出していく。彼らのことを。彼らから受け取ったものを。

 目を開き、声のしたほうを探して、視線を彷徨さまよわせる。


「おい兄弟、オレに勝ったってのにそのまま死ぬつもりじゃあねェよなァ?」


 最後まで面倒だった男の声。死んだ後でも相変わらずの口振りに、うるさいやつだと悪態を吐きかけて、その言葉にはっとさせられる。

 自分が今、どういう状況にあるのかを。


 ――死ぬ。誰が。俺がか。俺は、死んだのか。


 この男との死闘の果てに、闇へと抱かれたことを思い出す。

 あの時、死んでいたとしても不思議ではない損傷を負っていた。救助が間に合わず、命を落とした可能性は十分にある。


 ――シーカを残して、死んでしまったのか。


 それはダメだ。死んでなどいられない。こんな場所でじっとなんてしていられない。その声を頼りに、暗闇の中を進もうと暗闇をかき分けていく。そこに地面があるのかも分からないまま、一歩一歩進んでいく。


 もがく。もがく。上も下も分からない場所で、前へ進もうと手足を動かす。

 一刻も早く。あの子の元へ向かわなくては。


 約束したのだ、あの子と。

 誓ったのだ、彼女の笑顔に。

 

 必死にもがいていると、やがてぼんやりとした光が見え始めた。

 水面に映る月のような光。


「起きて、ハインツ。あの子が待ってる」


 ――そうだ。あの子が、シーカが待っているのだから。


 愛しい人の声に導かれ、光へ向かって手を伸ばした。



 ゆっくりと、ゾルタンはまぶたを開ける。

 最初に見えたのは見知らぬ天井だった。


 ――ここは、どこだ……?


 気怠さを感じる体を起こし、辺りを見渡す。微かな明かりから見える部屋の全容は、やはり見覚えのないものだった。


『おはようございます、ゾルタン』


 唐突に頭の中で声がした。誰が通信を寄越してきているのか、問い返そうとした時、天井の照明がひとりでに点いた。その照明のまぶしさに思わず顔をしかめる。目に刺さるような痛みを感じ、瞼を押さえる。


「なんなんだ、目が痛む」

『その体になって、初めて使うからです。じきに慣れます』

「初めて……?」


 そこでようやく、体の異変に気付いた。


 瞼から離し眼前に広げた自分の掌は、どう見ても生身の人間のものだったからだ。


 手だけではない。被っていたシーツをはぎ取り、まじまじと自分の体を見る。手から腕、肩、胸、腹、足へと視線を這わせていく。そこにあったのは機械兵士の金属の体ではない。

 どう見ても人間の、生身の体だった。


「俺の体は、どうなっている? いったい何があった? それにお前は誰だ?」

『まず私が誰かについて説明します。とは言っても我々は既知の間柄です、ゾルタン』

「……まさか、パルジファル、か?」

『ええ、私はパルジファルです。今は貴方の補助を行うAIとして、貴方の脳に追加された電脳内にいます。今後ともよろしく』

「な、なんだと? どういうことだ」

『順を追って説明しましょう』


 そうパルジファルが言った途端、視界に見慣れたステータス表示が展開される。見た目は生身の人間でも、中身はどうやらそうではないらしい。そのステータス画面に表示された自分の顔をまじまじと見つめる。かつての自分とはあまり似ていない、しかし妙にしっくりとくる顔つきだった。


『我々が回収に向かった時点で、貴方の体は修復不可能なレベルで損傷していました。生体脳へのダメージも決して無視できないレベルであったため、機体から摘出して治療後、人工物から新造した身体へと移植しました』


 ですが、と一区切りしてからパルジファルは話を続ける。


『貴方の意識が戻ることはなく、長らく昏睡状態にありました。貴方が再び意識を取り戻す確率は、絶望的な数値でした。ですので、私は意識転写イグジステンスによる蘇生を提案しましたが、シーカがそれを望みませんでした。貴方が目覚めるまで待つのだと、かたくなに言い続けて』


 パルジファルのその言葉に、はっと顔を上げる。


「シーカは何処にいる。それに俺は、俺はどれだけ眠っていたんだ……?」

『おおよそ100年です』

「100年……?」


 その年月を聞いて眩暈を覚えた。それほどまでの時間、彼女を独りにしてしまっていたのか。シーカの姿が見えないことがより不安を強くした。今ここにいないのか、それとも。


 もう、どこにもいないのか。


「シーカは、どうなった……?」

『それは――彼女に直接聞けばいいでしょう』

「彼女?」

『急速接近中。来ました』

「ゾルタン!」


 誰のことだとゾルタンが尋ねるよりも早く部屋の扉が開き、一人の人物が間髪入れずに飛び込んできた。その勢いのままに抱き着かれ、ゾルタンはその人物ごと倒れ込み尻もちをついた。

 いったい誰が飛びついてきたのかなど考えるまでもない。その声、その行動が全てを物語っている。だが実際にその姿を目の当たりにしたとき、ゾルタンは思わず問いかけずにはいられなかった。


「シーカ、なのか……?」

「うん、シーカだよぉ、ゾルタン……!」


 涙ぐみながらそう答えるシーカの姿は、最後に見た時から変化を遂げていた。長かった髪は肩にかかる程度に短くなり、服装も軍服ではなく清潔感のある白い研究員のようなものになっていた。そして何より、その背格好だ。


「少し、背が伸びたか」

「うん、ほんのちょっとだけどね」


 猫のようにじゃれつき胸元に頭をこすりつけてくるシーカは、もう少女ではなく妙齢の女性の姿になっていた。かつて詩花と瓜二つだった少女は今や、彼女が迎えることができなかった年齢へと成長していた。

 機械でできた詩花の生き写しではない。再生治療リメイクによって肉体を再生し、年月を経て、別個の存在となっていた。


「そんなことより! あれから大変だったんだから! ゾルタンが死んじゃうかもってパルジファルが言い出すから、絶対に助けようってパルジファルのこと無理矢理引きずってゾルタン探しに行ったの!」

『大変でした』

「あ、ああ」

「それでゾルタンを元通りにしたいのにパルジファルが『いっそ新しく作り直しましょう』とか言い出すからケンカになって! そうさせないためにわたし勉強とかすごく頑張ったんだから!」

『本当に大変でした』

「ああ、ええと、いったい何が――」

「ともかく!」


 状況が呑み込めず困惑するゾルタン。詳しく話を聞こうと声を上げるもシーカはそれをぴしゃりとさえぎり、突きとばすように身を起こすとじっとゾルタンの顔を見つめた。


「ずっとずっと、ずーーーーーっと、待ってたんだよ」

「ああ、すまない。……待たせたな、シーカ」

「うん。絶対にゾルタンを取り戻したくって、わたし頑張ったんだよ。頑張って頑張って、いつかきっと目を覚ませてみせるって」

「ああ、頑張ったな」

「だってゾルタンと約束したもん。ずっと一緒だって。ゾルタンは約束守ってくれるって、信じてたから。だから、わたしが」

「ああ、当たり前だ。約束しただろう、ずっと一緒だ。……少し、長く寝てしまっていたけどな」

「ほんとだよ、もう。だけどさ、これからはずっと一緒だよ。これからはわたしがゾルタンを支えてあげる。守られるだけじゃないよ、ゾルタンのこと、わたしも助けてあげるから!」

「……ああ」

「それでね、だからさ、えっと、わたしゾルタンと一緒に行きたいところがあるの! 一緒に見てほしいものが、あるの! わたしたちが頑張って、取り戻したもう一つのもの! ゾルタンに見てほしいの!」

「見てほしいもの?」

「うん、それはね……!」


 ゾルタンの問いに対してシーカは身を離すと飛び跳ねるように立ち上がり、天井を指差す。その動きに応じるように天井が割れ、強化ガラス越しに宇宙空間が姿を現した。黒い宇宙にまっすぐ引かれた線のような軌道エレベーターを、ビヨンド・ザ・ホライゾンを見て、ようやく今いる場所がオービタルリングであることに気付いた。


 そして、ビヨンド・ザ・ホライゾンが伸びる先。そこに見えたのは灰色の星ではなく――。


「青い……」

「ねぇゾルタン、あの青空を見に行こう!」



 かつて、地球全土を巻き込む戦争があった。


 国家、人種、宗教。原因がどれだったのか、それともそれ以外のものだったのか、今となっては分からない。そもそも、原因など途中からどうでもよくなったのかもしれない。

 ボタン一つでミサイルが雨のように降り注ぎ、大地さえ汚染するような化学兵器が平然と使用された。誰も彼もが銃を取り、憎悪と怒りをかてに敵を撃った。


 正義も、博愛も、祈りも、何も戦争を止める事はできなかった。都市という都市は破壊し尽くされ、動植物はそのほとんどが死滅した。

 過去からの遺志も未来への希望も、無残に打ち砕かれた。何も残らず――。


 いや、残っていたものはあった。

 そんな世界で失意に打ちひしがれながらも、男は立ち上がった。

 瓦礫がれきの奥底、灰の中から生まれた希望しょうじょを見つけ出して。

 そして長い長い、別れを告げるための旅を続けて、そして今ようやく前を向いて歩き出した。

 少女と共に。



「ああ、行こう。あの青い空の元へ」


 いつかの日のように、だがその時よりも希望に満ちた面持ちでゾルタンは答える。

 少女が指差す、青さを取り戻しつつある地球ほしを見上げて。



 旅は終わった。

 でも世界ものがたりはまだ終わりじゃない。

 きっと、これからも続いていく。

 二人の物語は続く。



 ビヨンド・ザ・ホライゾン-あのソラへと続く道- 完

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