第2話 花束を君に

 土曜日。直樹は仕事以外ではあまり立ち寄らないその商店街を歩いていた。小さな花屋の前であの老人を見かけた。老人はちいさなガーベラの花束を買って、アーケードを歩き始めた。

「あの、すみません」

 不意に見知らぬ若者に声をかけられた老人は、怪訝な顔で直樹の顔を眺めている。

「ぶしつけなんですが、あのガードレールのところにいつもお花を供えてますよね」

「そうじゃ」

「お話、聞かせてもらえませんか」

「・・・すまんが、もう行かないと」


 老人は直樹に背を向けて歩き出した。警戒されて当然だ。直樹はとっさに叫んだ。

「あの、白いブラウスの!」

 老人ははっとした表情で振り返った。覚束ない足取りで直樹に近づいてくる。手が震えて力が入らなくなったのか花束をアスファルトに落とした。

「良かったらコーヒーでも飲みませんか」

 直樹は花束を拾い上げて、老人に手渡した。


 いつもの喫茶店の前に着た。老人は店の前に立ったまま足がすくんで動かないようだった。

「やっぱり、遠慮するよ」

「入りましょう、僕おごりますよ」

 直樹は半ば無理矢理手を引いて店のドアを開けた。入り口脇の席に座る。老人は立ったまま腰掛けようとしない。

「もっと広い席があるだろう」

 店の中央の4人がけテーブルはたくさん空いていた。老人はその席に座るのをためらっていたが、直樹がメニューを広げたので仕方なく着席した。


「・・・あんた、何で知ってるんじゃ」

 コーヒーが出てくるまで無言だった老人が口を開いた。

「なにか、繋がったんですよね」

「繋がった・・・どういうことじゃ?」

「50年前の待ち合わせ、あなたはずっと悔いているでしょう」

「・・・」

 老人はうつむいた。テーブルの脇に置いた花を見つめている。


「・・・あの日、彼女の誕生日だった。授業が長引いて待ち合わせをしていたこの店に走っていた。貧乏学生だったが、何か贈り物をしたかった。それで商店街の花屋に立ち寄った。どんな花がいいがわからないワシはずいぶん迷った」


 老人はその日の出来事を昨日のことのように思い出しながら語り始めた。直樹はただ静かに頷きながら話を聞いている。

「やっと決めたのはこの花じゃ。彼女に似合う白い花。花束を持って店に着いたときには彼女はここに居なかった。待ち合わせから30分の遅刻じゃった。ちかくでサイレンが聞こえていて、まさかと思った」

 白いブラウスが血に染まるのを見て、その場に崩れ落ちたという。

「話はそれだけじゃ」

 老人は冷えかけたコーヒーを啜った。

「あの時と変わらぬ味だ・・・」


 時計は2時を指そうとしていた。直樹はちょっとトイレに、と席を立った。老人は背中を丸めて俯いている。ふと視界に白いものが見えた。顔を上げると、あのときと変わらない彼女が目の前に座っていた。

「・・・美和さん・・・」

 老人は絶句した。震える手を彼女へ差し出す。美和と呼ばれた女性は穏やかに微笑む。

「来てくれてありがとう、修次さん」

「ワシが分かるのか?」

「ええ、あの頃の面影がありますよ」

「あの日、あの日は、これを買って・・・君にこれを」

 老人は震える手で2本だけの白いガーベラの花束を美和に渡した。

「とても綺麗ですね」

「待たせてすまない・・・」

「私のほうこそごめんなさい、あなたは時々授業に夢中になって来ないこともあったから、あの日もそうだと思って先に店を出てしまったの」

「・・・」

 修次は俯いて、肩を震わせて泣いた。

「修次さん、会えて良かった」

 美和の温かい手が修次のしわだらけの手を包み込んだ。修次は顔を上げるとそこには誰も居なかった。


「大丈夫ですか?」

 席に戻った直樹は泣き崩れる老人を見て驚いた。ひとしきり泣いたあと、老人は直樹に向かって深くお辞儀をした。

「あんたは知っていたんじゃな」

「彼女に悪いことをしてしまったから」

 直樹はばつが悪そうに頭をかいた。


 それから直樹はまたランチタイムをずらして喫茶店に顔を出すようになった。2時になると入り口にはあの老人の姿があった。コーヒーを一杯注文し、文庫本を読んで3時すぎには帰っていく。

「50年来の常連客がまた戻ってきたね」

「そうだな、あの席はそのままにしておこう」

 直樹はマスターと顔を見合わせて笑った。

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午後2時、入り口すぐの席で 神崎あきら @akatuki_kz

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