2:神様なお客様(前編)

 異世界交差地点。

 その名称から受けるイメージは、やはり交差点だろうか。世界と世界が重なり合う、特殊で特別な交差点。具体的なイメージは個人によって違うにしろ、『人々が行き交う場所』という共通認識はあるように思える。

 しかし――実際の異世界交差地点は、恐らく誰も想像していないような姿をしているのである。



  ✦✦



 相変わらず殺風景な場所だなあ。

 店の周りを掃除しながら、クロスはそんなことを考えていた。



 「異世界交差地点」と呼ばれるこの場所は、交差地点という名称から遠い姿をしている。――否、交差地点らしくないばかりか、クロスが思う〝普通の世界〟とも大きくかけ離れた姿をしていると表現したほうが正確だろうか。


 異世界交差地点には季節や天候といったものが一切存在しない。草木がないどころか太陽すら存在しないからだ。


 光が差し込むことのないこの場所は、条件に反して白一色で構成されている。地表部分――草の生えない地面だけはやや明るい茶色だが、それより上の部分はすべて白で塗り潰されており、一定間隔で設置された無数の各異世界対応モニュメントクロックと地平線だけが広がっている状態だ。どこかで行き止まりになるのか、白以外の何かが見えてくるのかはこの場所に店を構えるクロスすら知らない。以前確かめようとしたことが一度だけあるのだが、半日以上歩いても変化らしい変化がなかった為に仕方なく断念したのだ。


 謎めいた部分の多い異世界交差地点だが、中心点と思しきものは設定されている。

 地面を一部舗装して作られた、幅員四メートル弱の石畳――。それこそが「異世界交差地点」の正体であり、この世界の核となる存在である。


 一定間隔で街灯が設置された石畳は白い世界を分断するように伸び、両端は白い霧に覆われている。霧の先こそ世界と世界が重なり合う場所なのだが、霧の先を見た者は誰もいない。この場所から異世界へと向かう場合は目視するより早く異世界に移動させられ、異世界からこの場所へ訪れた場合は霧の数歩先の地点に移動させられる為に確認が出来ないのだ。


 そんな石畳から二メートルほど離れた中間の場所に、クロスが経営する喫茶・ノードは居を構えている。



 異世界交差地点は世界と世界を繋ぐ中継点のような場所だが、今日は誰か立ち寄ってくれるだろうか。

 霧に包まれて見えない石畳の果てを一瞥したクロスは店内に足を踏み入れた。


 店主・クロスの特徴故に、ごく一部の客からは『喫茶・スケルトン』と呼ばれるその喫茶店は、出入り口ドアに二つのドアハンドルが二つ取り付けられていることを除けばごくごく平凡的な喫茶店だ。出入り口ドア上部と金属製の釣り看板に店名が表示された、一部レンガ調になっている三階建ての建物はダークブラウンとココアブラウンを基調としており、出入り口ドア付近の壁には店内の様子を窺うことが出来るよう窓ガラスが設けられている。店先にはメニューの一部と『当店はスケルトンが経営しております』という一文を書いたブラックボードが、店の周りや外壁の一部にはクロスが育てた観葉植物や花の鉢植えが美しく飾られていて、辺境の地とは思えないほど喫茶店らしい体裁が整っていた。――あくまで『喫茶店を作った人物が思い描く喫茶店』ではあるが、クロスはこの建物を気に入っていた。喫茶店経営どころか職に就くことさえ初めての自分には勿体ないくらいの良い建物だと。


 私服から制服シャツとエプロンに着替え、開店準備も済ませたクロスは一階にあるカウンター内で読書を始めた。時刻は午前八時。営業開始は八時半だから、開店まであと三十分ある。もっとも、開店したところで来店客が訪れるかどうかは別の話だが……。


 そうして読書をしつつ迎えた開店時間直後、りりん、と軽やかな音が鳴り、一人の客が来店した。どこかの世界と繋がらない限り来客が望めない喫茶・ノードにとってかなり珍しいことだった。


「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」


 『笑顔のマーク』が書かれた持ち手付き木札を顔の横に掲げながら、クロスは来店者に挨拶する。


 来店者は、若い男だった。種族は恐らく人間系で、癖毛を利用して遊ばせた黒髪は『マッシュ』と呼ぶらしい丸みを帯びたショートヘア、瞳の色は黒か黒に近い茶色だろうか。肌はオレンジ色をかなり薄めたような色で、クロスの友人と似た色合いだ。背はクロスより少し高いくらいだから、センチという単位を用いるなら百七十センチくらいだろう。身体は割合細身で、白いシャツとダークグレーのニットに細身の黒いズボンを合わせている。


 店内をちらりと見た彼は二人掛けのテーブルを選び、窓側の席に腰掛けた。テーブルの設置方向上、カウンターを望む位置でもある。


(移動慣れしてる人なのかな)


 異世界交差地点は何もない場所だが、何もないが故に、、、、、、、迷い込んだ者の大半は興味深げに外を眺めるものだ。そこかしこに建てられているモニュメントクロックも興味を惹くのだろう。

 しかし、彼は喫茶店の外を気にする素振りもなくメニュー表を見ている。異世界を移動することに慣れているのか、それとも喫茶店に入るまでに飽きるほど眺めてきたのか、どちらにせよ喫茶・ノードの客としては珍しいパターンだ。


(まあ、外なんか眺めても仕方ないか)


 太陽のない真っ白な世界と、石畳沿いに間隔を空けて立ち並ぶ街灯、無造作に立ち並ぶ様々なデザインのモニュメントクロック。最初は興味を惹かれる光景でも、十分も経てば飽きる光景だ。


 窓に背を向けて座る彼がどのような理由で外を眺めていないのか分からないが、クロスがすべきことはただ一つ。――接客だ。


 木製のトレイに水入りグラスとおしぼりを置いたクロスは彼が座っているテーブルに近付き、自らの声が穏やかに聞こえるよう注意を払いながら話しかけた。


「いらっしゃいませ。ご注文は――」

「――ミックスサンド一つとストレートティーのホット一つ。茶葉はディンブラで」


 クロスをちらりと見た彼は、クロスが尋ね終える前に注文内容を告げた。喫茶・ノードが『モーニング』として提供しているサンドウィッチセットだ。


(決断が早いなあ)


 彼がメニューをチェックし始めてからクロスが到着するまで約二十秒。たかが朝食のメニュー一つだが、それでもさっと決められるのは凄いことだとクロスは思う。スケルトン故に飲食不可能のクロスは飲食物で迷った経験こそないものの、その他の事柄についてはかなり迷ってしまうほうなのだ。


 メニューボードに挟んだオーダー表に注文を記録したクロスは一礼するとカウンターに戻り、サンドウィッチセットの準備を始めた。温めたティーポットの茶こし部分にディンブラの茶葉を入れ、トレイに乗せてからカップ二杯分の湯を注ぐ。同時にディンブラ用の砂時計をひっくり返し、カップと共にトレイに載せたクロスは再び彼のテーブルへと移動した。


「失礼致します。お先にディンブラのストレートティーを提供させていただきます」


 ぼんやりと店内を眺めていた彼に声を掛け、紅茶セット一式を二人掛けのテーブルに置いていく。


「こちらの砂時計が落ち切った頃合いが飲み頃となっておりますので、もう少々お待ちください」


 骨の手で砂時計を指し示しながら説明し、一礼する。――彼は、微かに頷いただけで返事をしなかった。寡黙なタイプなのだろうか。


「あ、いらっしゃいませ」


 カウンター内に戻り、ミックスサンドの準備に取り掛かろうとすると、二人組の男が来店した。以前も来店したことのある狼系獣人の客だ。

 カウンター席に座った彼らは、まだ注文が決まっていないらしい。水とおしぼりを提供したクロスは既に注文されているミックスサンドを提供し終えてから注文を取りに向かった。彼らの注文はノード特製ピザトースト二人前と若蛙の唐揚げ一人前、コーヒーのホット二人前だ。


(今日はお客さんが多いなあ)


 多いと言っても二組だが、喫茶・ノードは辺境の地にある喫茶店だ。開店早々立て続けに客が入るなど相当珍しい。

 有難いことだと思いながらピザトーストを焼き、冷凍の若蛙を揚げていると、またしても来店客が現れた。ある世界では『冒険者風』と呼ぶらしい服装の女性二人組だった。


「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」

「はーい」


 明るく返事をした女性二人は先日ビットたちが座っていた二人掛けのテーブルに着いた。どうやら喫茶店を訪れるのは久しぶりらしく、メニュー表を眺めながら声を弾ませている。


 ――異世界交差地点は『世界と世界がランダムに重なり合う』特殊な空間だが、実はもう一つ特筆すべき要素がある。

 それは――自動通訳機能。

 各世界から訪れた多種多様な種族が交流することを想定してか、異世界交差地点を訪れた者すべての使用言語は対象の母国語へと自動的に通訳されるという特殊な力が働いているのだ。

 しかし、その力はあくまで「自動通訳」に限定されており、書かれた文字の自動翻訳は為されない。


 その問題を解決すべく、喫茶・ノードでは〝書かれた文字を対象者の母国語に自動翻訳する〟という特殊な仕様で作られたメニュー表を使用している。この仕様のおかげで来店客はどのような料理が提供されるのか確認出来るのだ。また、料理名は分かっても内容そのものが理解出来ない場合に備えて材料や味などを併記していることもあり、謎の料理に挑戦せずに済むシステムになっている。


結菜ゆいなとクロウのおかげで助かってるよ)


 スキルという能力が使えないクロスには自動翻訳の仕組みが分からないものの、実に素晴らしい能力だと思う。ちなみに、喫茶店前のブラックボードや店名表示部分も同じ仕様だ。


「――いらっしゃいませ、お好きなお席へどうぞ」


 男性客二人組に料理を提供し終え、女性客二人に提供するケーキセットの準備をしていると、またしても来店客が現れた。フードを目深に被ったローブ姿の老人で、ミステリそう入りホットコーヒーとパンケーキを注文した。


(……お客さんが多いのは嬉しいけど……なんで急に?)


 店内を賑わす来店客をカウンター越しに眺めながら、内心呟く。


 店に客が入るのは嬉しい。儲かる儲からない以前に、種族を問わずほっと一息吐ける場を提供出来ればと考えているからだ。

 しかし、嬉しい反面、客が増えると困惑してしまう。「一体どうして?」と。


 突然来店者が増えた理由は分からない。だが、不思議がっている間にも客は訪れ、普段空席ばかりの店内は着実に埋まっていく。


「マスター、カツサンド一つとミルクコーヒーのホット一つね」

「厚切りトーストとミックスサラダ、あとミルクコーヒーのアイスをお願いします」

「えーと、若蛙の唐揚げ一人前と、ノード特製ピザトースト一人前、フライドポテト一人前、それと――」


 開店から五時間半。

 喫茶・ノードには絶え間なく客が入り続け、平時からは想像がつかないほど賑わっていた。理由は未だ分からない。分からないが、客足は一向に途絶える気配がない。


(嬉しいけど……これじゃ洗い物が追いつかない……!)


 この店はクロス一人で切り盛りしているのだ。接客と調理は何とかなっても、洗い物にまでは手が回らない。このまま客が入り続けるようならそう遠くないうちにカップやポット類が不足してしまう。

 臨時アルバイトという形で誰かに応援を頼めればいいのだが、予定が空いていそうな友人はいない。


 どうしよう。困り果てたクロスがカウンター越しにテーブルのチェックを行っていると、客の一人と目が合った。開店直後に来店した彼だ。異世界交差地点に迷い込んでしまって行く当てがないのか、それとも単に時間を潰したいのか、出入りする客の中で唯一店内に残り続けていたのだ。


(大丈夫なのかなあ)


 帰る方法すら分からないまま迷い込んでしまったのなら心配だが、残念ながら今のクロスに彼を心配している余裕はない。とりあえずは洗い物を何とかしなければ。


 もう少し経って諸々落ち着いたら声を掛けようか。いや、そっとしておいたほうがいいのかも……。考えを巡らせながら洗い物の一部を片付けていると、混み合っていた店内が徐々に空き始めた。先程まで続いていた「退店客と入れ替わるように来店客が現れる」サイクルが途切れ、来店客が訪れなくなったのだ。


(これなら大丈夫そうかな)


 少しずつではあるが洗い物も進んでいるし、洗ったカップ類を乾かす手立てもある。この分ならカップが尽きることはなさそうだ。



 そうして洗い物と会計を交互にこなしているうちに、喫茶・ノードは静寂に包まれていた。




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