3:神様なお客様(後編)

(一体何だったんだろう……)


 一席を残して空になった店内を視線だけで見回し、クロスは首を傾げた。


 異世界交差地点という場所柄、客入りにばらつきがあるのは当然だ。しかし、あんなふうに集中して客が来るものだろうか? しかも、出ては入るようなサイクルで。


 来店客が増えた理由は分からないが、滞りなく業務をこなせて良かったとクロスは胸を撫で下ろす。個人経営の小さな喫茶店とはいえ、店は店だ。憩いの場を提供する側がストレスを与えてはならない。


 いざという時の為に臨時アルバイトの雇用を検討したほうが良いだろうか。そこまで考えて、クロスは唯一残った客に視線を向けた。――席に着く彼は、何をするでもなく店内を眺めている。ぼんやりとしているものの、退屈そうではない。


(よし……)


 余計なお世話かもしれないが、困っているかもしれない客を放っておくことなど出来ない。

 心の中で呟いたクロスは意を決して彼に近付くと「お客様」と声を掛けた。


「この度は当店にご来店いただきありがとうございます。失礼ですが、何かお困りのことはありませんか?」

「――長居しちゃ迷惑?」


 一礼して尋ねたクロスに、彼は問い返す。感情の波を感じさせないような、静かな声だった。


「とんでもございません。当店は時間制限を設けておりませんので、お客様の心ゆくまで滞在していただければと考えております」


 長居していることに文句を言っているのではないと、クロスは再び一礼して告げた。

 混雑が想定される喫茶店では時間制限を設けているところもあるそうだが、幸か不幸か、喫茶・ノードが混雑することはない。流石に閉店時間になれば退店してもらうにしろ、それまではドリンク一杯でゆっくり過ごしてもらっても何ら問題ない店だ。


「ただ、ご来店のお客様の中には突如この世界に飛ばされた方も複数おりますので……もしもお困りでしたら何かお力になれればと思いお声掛けさせていただいた次第でございます。差し出がましい真似をして申し訳ございません」


 何故声を掛けたか説明したクロスは深々と頭を下げた。


 もしも彼が困っているのであれば、自分なりに協力するつもりでいる。スキルも魔法も使えない自分には大したことなど出来ないかもしれないが、彼が望む世界に旅立てるよう助力するつもりだ。

 しかし、もしも彼が困っていないのなら――「困っていない」と答えるのであれば、深入りするつもりはなかった。純粋な親切心であったとしても、自分がしてあげたいからといって相手が望まないことを押し付けるのは単なるエゴにすぎない。


 先程までの賑わいが嘘のような静寂の中、二人の間に沈黙が落ちる。

 黒曜石を思わせるような瞳をクロスに向けた彼は、その目を瞬かせると口を開いた。


「……『帰る場所がないからしばらくこの店に居させて』って言ったら、居させてくれるの?」

「帰る場所が……」


 帰る方法が分からないのかと思っていたが、まさか帰る場所自体がなかったとは。

 それは一大事だと、クロスは声に心配の色を滲ませた。――帰る場所がない心許なさは彷徨えるスケルトンクロスが一番知っている。帰る場所がなければ新しい居場所を作るしかないことも。


 そういった事情なら是非力になりたいと、クロスは彼に三つの提案をした。


 一つ目は、住居。幸いなことに、これに関してはすぐに片が付いた。この建物の二階と三階はクロスの住居スペースで、三階に使っていない部屋があるのだ。リビングや風呂場などは共通だから少し居心地が悪いかもしれないが、それさえ目を瞑ってもらえれば一通りの設備は整っている。


 二つ目は、生活。睡眠・飲食不要のスケルトンクロスとは違うのだから、規則正しい生活を送ることは非常に重要だ。食事は喫茶で提供しているものがあるし、野菜を多めに取るなど気を配れば特に問題ないだろう。もしも他に必要な栄養素があれば業者に頼んで仕入れることも可能だ。


 三つ目は、新しい居場所。これに関しては相当難しいが、喫茶・ノードの常連客には人間や人間の近隣種が安全に暮らせる世界を知っている者もいるだろう。新しい居場所を急いで作る必要はないけれど、何もない閉ざされた場所にいるよりは他の世界で暮らしたほうが幸せになれるはずだ。


「そういうわけですので、よろしければ当面の間こちらに滞在してはいかがでしょう。僕はこの通りスケルトンですから、一緒に暮らすのは少し気味が悪いかもしれませんが……」


 それでも、しばらく暮らせば慣れるだろう。クロスとしても暗闇の中でうっかり鉢合わせしないよう注意するつもりだ。


「勿論、滞在するのがお嫌でしたら別の方法を――」

「――お人好し」

「え?」


 強要するつもりはないのだと説明しかけたクロスを、彼が遮る。

 耳に届いたその言葉は、咎めるような響きを帯びていた。


「えっと……」

「お人好しだって言ったんだよ、スケルトンの店長さん。俺がどんな奴かも知らないのに居候させようとするなんてお人好し以外の何者でもないし不用心すぎる」


 黒曜石の如き瞳でクロスを見つめる彼は、何故か腹を立てている様子でクロスに話しかけた。先程「帰る場所がない」と告げた時は感情の波を感じさせない声だったにもかかわらず、今の声は感情で揺れている。凪いでいた海に風が吹いたかのようだ。


「大体さ、俺は神様なんだ。あんたの言葉をどういうふうに捉えようと神様である俺の自由。その重大さが分かってんの?」

「はあ……」


 彼に問われ、クロスは曖昧に返事をした。


 お客様は神様――。その言葉は、知識として知っている。「客がいなければ店は成り立たないのだから大事にしろ」という意味合いらしい。

 ただし「その言葉を口にする客にろくな奴はいない」との知識も併せ持っているが――彼が言わんとしているのは「素性も知らない客の言葉を信じるな。付け込まれるぞ」ということだろう。成程、もっともな助言ではある。

 それでも、クロスには彼が嘘を吐いているようには見えなかった。力になろうとした理由はそれだけで充分ではないのだろうか。

 クロスがそう考えていると、彼は深いため息を吐いた。「絶対分かってない」とも呟いている。


「……俺はね、正真正銘の神様なんだよ。それも、人間次第で福の神にも貧乏神にも転がる面倒なタイプの神様だ。そんな厄介な存在を店に置きたくないだろ? 分かったら――」


 さっさと俺を追い出したほうがいい。

 そう言葉を続けようとした彼に、クロスは首を傾げながら呟いた。「福の神?」と。


 福の神と貧乏神――。その言葉は知っている。神様の種類を表す名詞だ。

 しかし、福の神と貧乏神が何をする、、、、神様なのか、具体的なことは知らなかった。クロスは一般的な知識を有しているスケルトンながら、所謂「有名どころ」の神様以外に関しては詳細を知らないのだ。クロスに知識を与えた友人の一人がとある〝神様〟を嫌っていたから、その影響があるのかもしれない。


「おい、嘘だろ……」


 理解出来ずにいるクロスに、神様を名乗る彼は信じられないと言いたげにクロスを見た。


「あんた、福の神と貧乏神を知らないのか? ……本当に?」

「はい……不勉強ですみません」

「なんでだよ……スケルトンとはいえ、あんた同じ国の出身だろ。喫茶店だってこんなのだし」


 彼はもどかしげにそう言ったが、こんなの、、、、と言われても、何が〝こんなの、、、、〟であるのかクロスには分からない。クロスが有する知識はあくまで友人からもたらされたものであって、クロス自身が体験して得たものではないのだ。


「えっと……この喫茶店は僕の友達が特殊な技術で造ったもので、僕は一切関わっていないんです。提供している料理も友達に教えてもらったものを基にしているので……」

「……マジかよ……」


 事実を告げると、彼は悲しげに俯いた。スケルトンとはいえ母国が同じで話が通じると思って来店してくれたのかもしれない。もしそうならば申し訳ないことをしてしまった。


「存じなくてすみません。……あの、お客様がどのような神様か教えていただけないでしょうか?」


 クロスは遠慮がちに願い出た。知らなかったのは仕方ないが、知らないままでいるのは失礼だと思ったのだ。

 返事を待っていると、俯いていた彼は黒い瞳をクロスに向けたのち、対面の席に座るよう促した。説明してくれるということだろう。クロスは一言断りを入れ、対面席に座した。


「……まあ、簡単に言えば飲食店やら会社やらに住み付いて繁盛させたり衰退させたりする神かな」


 福の神と貧乏神をまったく知らないクロスの為に、彼は概要から説明を始める。


「判断基準は店主で、店主が真面目に働いて従業員を大事にしていれば繁盛するように、逆のことをすれば衰退するように力を働かせる。俺がいた世界の人間は俺のことが見えないから、俺が住み付いてても分からないんだ」

「へえ……」


 彼の行いを「仕事」と呼ぶかどうか定かではないにしろ、変わった仕事内容だ。


「どうしてそんなことを?」

「どうしても何も、そういうふうに生まれついたんだ。謂わば本分だな」

「なるほど……」


 神様のことはよく分からないが、神様として生まれた当人が言うのだからそういうものなのだろう。

 彼の役割は分かった。しかし、帰る場所がないのは何故だろう。彼はクロスの友人が生まれたと思しき国から来たようだから、喫茶店や会社は沢山あるはずなのに。

 そう思い尋ねると、彼は「時代の流れってやつかな」と答えて目を伏せた。彼の表情に別段変化はないのに、クロスの目には酷く悲しげに映っている。


「〝神様〟っていう存在はなかなか厄介な存在なんだ。座敷童みたいに皆が知ってるメジャーな神様ならともかく、俺みたいなマイナーな神様は人間がその存在を認知し続けない限り力を維持出来ない。人間が『そういう神様が居る』って考えなくなったら存在そのものが消えてなくなるんだ」

「……まさか……」

「そう。……俺は元居た世界で消えかけて、逃げるように世界を渡ったんだ」


 だから、もう元の世界には帰れない。

 帰った瞬間、存在ごと消失してしまうかもしれないから。


「……俺がこの店に入ったあと、結構繁盛しただろ? あれは俺に残ってた僅かな力が発揮されたからだ。あんた、良き店主マスターなんだな」


 普段はあんまり客がいないみたいだけど。そう言葉を続けて、彼は笑った。どこか清々しい笑い方だった。


「さて……そういうわけだから、俺は出ていくよ」

「えっ?」

「力は残ってないけど、俺みたいなのが居座っちゃ迷惑だろ」


 伝票を取った彼は立ち上がった。本当に出ていくつもりだ。


「待ってください! 別に迷惑じゃないですから!」

「……どうして引き留めるんだ?」


 目の前に立ちふさがったクロスに、彼はため息を吐いた。


「落ちぶれたとはいえ哀れまれたくない」

「哀れだと思ってるんじゃないです」

「じゃあ、一体なんだ?」

「『可哀想だから』じゃなくて、『僕が貴方にいてほしいと思ったから』引き留めている……。それだけです」


 そう言って、クロスは微笑む。

 表情など浮かべようのない、骨だけの顔で。


「僕はこれからもずっとここにいて、喫茶・ノードを営業し続けます。たとえこの場所が交差地点としての役割を失ったとしても――お客様が一人も来なくなったとしても、ずっと。だから……貴方もここにいて、僕と一緒に働きませんか?」


 帰る場所を失った哀れな神様としてではなく、喫茶・ノードを新たな居場所にした友人として。

 そう提案したクロスを、彼はじっと見つめた。そして――。


「……っはは!」


 声を上げて笑う。黒曜石の如き瞳を持つ目に、うっすら涙を湛えながら。


「友達扱いとはいえ、神様を従業員にしようなんてな」


 罰当たりなスケルトンもいたものだ。そう言いながらも、彼は依然笑い続けている。


「そうか……友達か。そんなこと何百年も考えたことなかったな……」


 一頻り笑い、涙を拭った彼は独り言ちた。それからクロスに向き合い、気恥ずかしそうに伝える。


「……じゃあ、これからよろしく。マスター」




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