異世界交差地点喫茶・スケルトン

眠理葉ねむり

第一部

1:常連のお客様

 世界には無数の喫茶店が存在する。

 コーヒーやケーキに力を入れた喫茶店、格安の朝食を『モーニング』という呼び名で提供する喫茶店、定年退職を迎えた人々が第二の人生としてスタートさせた念願の喫茶店、やたらと謎が持ち込まれては解決される喫茶店、一昔前にタイムスリップしたかのような趣を感じさせる喫茶店、ロボットが経営・接客を行う喫茶店……。各世界によって多少形式は違っても、「喫茶店」と呼べるものを総合すれば星の数ほど存在していると言っても過言ではない。



 だから――ヒトならざる者が店主を務める喫茶店があったとしても、別段おかしなことではないのだ。





「ふう……」


 自分以外誰もいない喫茶店のカウンター内。

 カウンターに両肘をついた、白い長袖シャツとダークブラウンのエプロン姿の店主・クロスは、声だけでため息を吐くと店の外を眺めた。


 開店してから早五時間。普段なら多少なりとも客が入っている喫茶・ノードだが、今日はまだ一人も来店していない。もうそろそろ誰か来てくれるのではないかと思い始めて数時間が経つというのに、客が入ることはおろか、誰一人として喫茶店の外を通り掛からなかった。人通りにムラのある場所柄である以上、いつ客が来るか見当がつかないのは仕方のないことだと分かっていても、来るか来ないか分からないまま待ち続ける状況は精神衛生上よろしくない。


(仕入れた材料が無駄にならないといいけど)


 たとえ食材が余っても、クロスの身体ではまかないにして食べることも出来ない。


 こういう時、この身体は困り者だ。『食べなくても生命維持出来る身体』は、裏を返せば『何も食べることが出来ない身体』でもある。「長所と短所は表裏一体」とはまさにこのことだろう。


 ああ、勿体ない。冷凍保存出来ない食材の処分に気を揉んでいたクロスだったが、二十分ほど経過した頃、見慣れた人影が店の前を横切った。どうやら繋がった、、、、ようだ。


「マスター、ミステリそう入りコーヒーのホット二つとベジタブルケーキ二つ!」


 りりん。出入り口ドアに取り付けたドアベルは来店者を知らせようと軽やかに鳴る。

 カウンター内にいるクロスが「いらっしゃいませ」と言うより早く、来店者は注文を口にした。不定期でこの店に通っている常連客の男だった。


「かしこまりました。お好きなお席へどうぞ」


 『笑顔のマーク』が書かれた持ち手付きの木札を顔の横に掲げながら、クロスは告げる。彼は常連客だからわざわざ言わなくとも好きな席に着くし、骸骨で表情の変えられないクロスが気持ちの上で、、、、、、微笑んでいることは声で分かっているだろうが、様式美は大切だ。――それに、今日は連れがいるようだから。


「へえ。広いけど案外普通なんすね、喫茶・スケルトンって」

「馬鹿、普通とか言うんじゃねえよ」


 物珍しげに店内を見回す同族と思しき男に、紺を基調とした軍服を着た常連客の男――ビットは、兎顔、、を僅かに顰めながら苦言を呈した。


「マスターに失礼だろうが」

「そんなことないですよ。普通が一番ですから」


 サービスの水とおしぼりを二人掛けテーブルに置きながら、クロスは笑う。生憎木札はカウンターに置いてきてしまったが、クロスが怒っていないことは〝お連れ様〟にも伝わっているようだ。ビットと同じ服を着た、ライトブラウンの毛を持つ彼は微笑む代わりに黒い目をゆっくりと瞬かせている。


「ところで、ビットさん。――うちの店のこと『スケルトン』って呼んでます?」


 穏やかな声の中に悪戯を咎めるような響きを滲ませて、クロスは尋ねた。



 異世界交差地点――。


 様々な異世界と不定期に繋がるこの場所に居を構えるのは、異世界交差地点喫茶・ノード。通称『喫茶・ノード』。店主・クロスの種族は骸骨スケルトンでも、店名は『スケルトン』ではない。



 だが、ビットは笑いながら「そのほうが覚えやすいだろ」と答えた。「『スケルトン』のほうが分かりやすいし」とも。


「……まあ、確かにそうかもしれませんね」


 『ノード』という店名は、クロスが喫茶店を経営するきっかけになった友人が命名した。意味は『結び目』や『中継点』。異世界交差地点に居を構える喫茶店として相応しい店名だ。

 しかし、その意味を知らなければ『ノード』よりも自らの種族である『スケルトン』のほうが分かりやすいのは確かで、クロスは密かに苦笑した。店名関係ではないが、先日ちょっとした騒ぎがあったばかりなのだ。ビットの言う通り、もう少し分かりやすくしたほうが良いかもしれない。


 準備をするべくカウンターに戻ったクロスに、ビットは「何かあったのか?」と尋ねた。クロスの声から何かあったことを察したようだ。


(察しがいいなあ)


 クロスは「まあ、ちょっと」と言葉を濁しながら準備を始めたが、ビットは大きく赤い目をクロスに向けている。彼の性格からして、このまま誤魔化すことは不可能だろう。


「この前、初来店のお客さんに『骸骨アンデッドが作ったものなんか気味悪くて飲めるか』って言われちゃって……」


 穏やかな声の中に苦笑を滲ませながら、クロスは答えた。


 クロスはやや特殊なケースではあるものの、種族としては『スケルトン』だ。骨の身体を持ち、飲食・睡眠不要の生き物アンデッド。――ただそれだけの存在でしかないのだが、どうにもスケルトンという種族は世界によって随分立ち位置が違うらしい。そして、クロスを「アンデッド」と呼んだ客の世界では、非常に気味の悪い存在であったようだった。


「まあ、大したことじゃないんですけどね」


 本心から言葉を続けながら、クロスはドリップの準備をする。


 別に、大したことではないのだ。世界によって価値観が違うのは当然のことだし、店や自身に被害があったわけでもない。化け物扱いされるのは決して嬉しいことではないにしろ、クロスにとっては傷付く必要すらないと思えるような出来事だ。


「――大したことじゃねえだと?」


 沸かした湯でコーヒー粉を蒸らそうとしたクロスの耳に、酷く機嫌の悪い声が届く。

 その声に顔を上げると――カウンターから見て左斜め上の席に着いているビットは、帯刀している脇差の柄に手を掛けていた。


「ビットさん? ……落ち着いてください。僕は平気ですから……」

「マスターが平気でも俺が平気じゃねえんだよ!」


 今にも脇差を抜きそうなほど怒り心頭に発しながら、ビットは宣言する。


「マスターを侮辱するってことはマスターを気に入って通ってる俺を侮辱するも同然だろうが! どこの異世界野郎だそいつ。トーサ軍第二部隊長・ビットがシメてやる!」

「わわわ……っ」


 どうしよう。初めて見るビットの姿に、クロスは狼狽えた。かなり怒っているようだ。


「――隊長」

「なんだ!」

「俺らも異世界野郎っすよ」


 怒れるビットを静めたのは、ライトブラウンの毛を持つ彼だった。――彼の言う通り、異世界交差地点にいる者は全員どこか別の世界から来た異世界人だ。


「……ったく、ナメた野郎もいたもんだぜ」


 部下の冷静な指摘に怒りのボルテージが下がったのか、鼻息荒く言葉を続けたビットは脇差から白い手を離した。それでも、赤くて丸い目には静かな怒りが湛えられている。


 ――兎型獣人・ビット。

 人間基準、、、、で分類するビットは、兎の獣人、もしくは亜人デミ・ヒューマンだ。大人でも身長は一メートル前後だが、高身長の他種族にも負けないほど誇り高く腕の立つ剣士である。


(気の良い人だけど、本気で怒ると怖いなあ)


 クールダウンする為か、おひやを飲んでいるビットに、コーヒー粉を蒸らしたクロスは内心苦笑した。肉体を持たないスケルトンのクロスですら店の空気が冷えたように感じたのだ。肉体を持つ者であれば心底恐ろしいに違いない。


(でも……ちょっと、嬉しいな)


 ビットがあそこまで怒ったのはクロスを想ってのことだ。争い事は遠慮したいにしろ、クロスにはその気持ちが嬉しかった。


 談笑を始めた二人の話を耳に入れながら、ドリップしたコーヒーを半分程度カップに注ぎ、粉末状にしたミステリそうをスプーン二杯分ほど加えて掻き混ぜる。

 ミステリそうは不思議な性質を持つ溶質で、溶媒――つまりコーヒーの量が増えると溶解度が下がるのだ。スプーン二杯分のミステリそうを完全に溶かす為には、コーヒーの量がカップ三分の二杯以下である必要がある。


(最初は全然溶けなくって困ったっけ)


 試作品を作っていた時のクロスはミステリそうの性質を知らず、コーヒーの量を増やしたり温めたり冷やしたりと見当違いの方法を採っていたものだ。今となっては良い思い出だが、鍋いっぱいのコーヒーを延々掻き混ぜたり振って溶かしたりする作業はやはり遠慮したいと思う。


「お待たせいたしました。ミステリそう入りコーヒーとベジタブルケーキです」

「おお……!」


 準備し終えたケーキセットをテーブルまで運ぶと、部下の彼が感嘆の声を上げた。ミステリそうの匂いが心地良いのか、鼻をひくひくとさせている。


「さ、存分に食えよラッド。俺のおごりだぞ」

「あざます! じゃ、いただきまーす!」


 若干もふもふしている手を合わせ、ラッドと呼ばれた彼はミステリそう入りコーヒーを口にした。


「うわ、このコーヒーめちゃくちゃ美味いっすね! 今まで飲んだのと味が違うっていうか、癖がなくてまろやかっていうか……!」

「だろ? ミステリそう入りコーヒーはうちの国でも提供されてるが、こんなに上品なコーヒーはここでしか味わえねえからな」


 黒い目を輝かせているラッドに、ビットは満足げに頷きながらベジタブルケーキにフォークを刺した。綺麗に切り取ったそれを限りなく兎に近い顔に近付け、匂いを嗅いでから口に含む。

 数種類の野菜がミックスされたケーキを頬張ったビットは、ミステリそう入りコーヒーをぐびりと飲むと満足げに息を吐いた。


「かーっ! これがあるから異国遠征も頑張れるってもんよ!」


 まるで仕事終わりに酒を呷っているかのように言いながら、ビットは赤い目を細める。直後、ビットはカウンターに戻ったクロスに声を掛けた。


「なあマスター、どっか別の場所が気に入ったからって移転しないでくれよ。異世界交差点ここじゃねえと俺らが来られなくなっちまう」

「じゃあ、今後もごひいきに」

「おう、任せとけ!」

「俺もまた来ます。今度は同僚を連れて」

「おい、それはやめろ」


 ラッドの「新規客を連れてくる」との提案を、ビットは即座に却下した。「他の部下なんか連れてこられちゃ俺の憩いの場所がなくなるだろうが」と。


「……ビットさんしか来ないなら移転しようかなあ」

「むう……!」


 『悩んでいるマーク』の木札を顔の横に掲げながら言うクロスに、ビットは唸り声を上げた。喫茶・ノードを応援したい気持ちと憩いの場所を失いたくない気持ちの狭間で揺れているのか、表情の少ない兎顔は顰められている。


「ふふ。……心配しなくても、この店は移転しませんよ」


 この場所で営業するからこそ、喫茶・ノードは意味を持つのだから。


 そうとは告げず、クロスは微笑む。

 異世界交差地点から異世界へと旅立っていった友人の姿を、空っぽの脳裏に思い浮かべながら。




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