第37話 見つけた
夢を見ていた。
長い物語のような気もするし、あっという間だったような気もする。
おぼろげで頼りない記憶。
涙が溢れていた。
なぜ泣いているのかが分からない。
でも、悲しい夢ではない。
この胸に湧き上がる感情は、悲しみや辛さではない。
高揚感……この気持ちを何と言ったらいいだろう?
これは……希望……そう、この感情は希望という言葉がしっくりくる。
私は、希望を胸に抱いて、目覚めたのだ。
目覚めた私は、病院のベッドにいた。
身体が重い。石膏で塗り固められたような不自由感。
指先や足先を動かしてみる。確かに動いているようではあるが、その感覚が頼りない。
「誰か……」と助けを呼ぼうとして、むせる。咳が出る。苦しい。
これは何だ? どういうこと? 私は、なぜ、ここに居る?
あるビジョンが頭に浮かんで、目を閉じた。
車が私に迫ってくる映像……心臓の鼓動が早くなる。
そうだ。事故だ。私は車にはねられた。
どうなった? 怪我の具合は? 指や手は動くのか?
確かめる。右手……大丈夫。鈍い感覚ながらもちゃんとある。ピアノ……は、どうせ弾けないか……。
左手……両足……大丈夫そうだ。痛いところは特にない。強いて言えば、背中くらい。
看護師が部屋に入ってきた。お母さんくらいの歳の人。
私の方を見ずに、抱えたボードに顔を向けている。
顔を上げた。
背けられた……再び、見られた。
目が合った。
無表情だった顔が次第に、変化していく。
「ばど……」
変な音が出た。上手く声が出せない。
「ひなちゃん……ひなちゃん?」
「ばい」
驚きと……うれしさ? 慈しみ? みたいな感情が混じったように目を見開く。
「起きた……そう、起きたのね、やっと……」
それからは、ちょっとした騒ぎになった。
看護師が出て行ったと思ったら、次々に人が集まる。他の看護師、医師、入院患者らしき人……みんな口々に、「よかった」とか言いながら、喜んでいる。はしゃぐ。泣いている人もいる。
なんだ? 何が起こった?
自分だけ意味が分からず、取り残された感じ。身体は動かないし、声もうまくだせない。どちらかと言うと最悪な状態にいる私を、なぜかみんな喜んでいる。
どういうことか、誰か、説明して。
「自分の名前、言えるかな?」
若い爽やかそうな医師だった。穏やかな笑顔で、やさしい声。
私は、水をもらい、練習して、声をだせるようにはなっていた。
「海野ひなみ……中学三年の十四歳です」
「うん。名前は合ってるけど、年齢は違うね」
「え?」
「今は十七歳。高校に通っていたなら、高校三年生の歳」
「……」
あれ? 記憶がない。中学を卒業した? 高校?
「中学三年の夏に、事故にあったのは覚えてる?」
「はい。あれは……」
当時、私はピアノに夢中だった。
秋にあるコンクールでいい成績をとり、音楽関係の高校に進学することが目標。
右腕の痛みを自覚していたが、練習をやめたくなくて、だましだまし続けていた。
だけど、周りからも気付かれだし、痛みの限界が近づいてきて、仕方なく病院へ。
その帰り道、私は沈んでいた。
医師からは、ピアノを続けるのは難しいというようなことを言われたからだった。
何も考えられなかった。
途中で、くるみ沢音楽学園の生徒とすれ違った。
あの制服、私は来年、着るはずだった。もう、着れないかもしれない。
そう思うと、涙があふれる。
嫌だ。今まで、頑張ってきたのに。その全てが無駄になるなんて……。
そんな風だったから、周りが見えていなかった。もしかしたら、信号が赤に変わっていたのかもしれない。
横断歩道を渡っているところで、車が迫っていることに気付いた。でも、もう遅かった。
衝撃が身体に伝わって、意識が遠のく。
その時、死ぬかもしれないと思った。同時に、死んでもいいやって思った。
もうピアノは弾けない。なら、いっそ、このまま……。
私はあの時、生きていたくはないと本気で思っていたのかもしれない。
「事故自体はそんなひどいものではなかった。打撲や脳震盪……全治数週間といったところ。でも、君は目を覚まさなかった。脳に損傷があるかとも疑ったが、異常はない。医学的には、ただ眠っていたとしか、言いようがない。そういう症状だった」
「眠っていた?」
「君は、三年間、ただ眠っていたんだ」
「……」
そうか……あれから三年も経っていたのか。
私は、結局、高校どころか中学も卒業していなかった。
思春期の大事な三年間を無駄に過ごしたという事実……あまりにも重すぎて現実として受け止めきれない。
もう、ピアノがどうとかいうレベルじゃない。腕が痛いとかじゃない。
身体中がカチカチに固まっている。
目が覚めたら、こんな絶望が待っていたなんて。
私は、これから、どうすれば……。
「不安な気持ちも分かりますが、まずは奇跡を喜びましょう」
「……奇跡?」
「そうです。君は奇跡を起こしたんです。三年間眠っていたのに、目を覚ました。目を覚ますことができた」
「……夢を見ていました」
医師は、興味深そうな目を向ける。
「夢? どんな?」
「懐かしい感じがする女の子……うれしくて、楽しい……せつない……」
「うん。それで?」
「その子に言われたような気がするんです。『生きて』『生きて、また会おう』って……」
医師は考え込むような仕草をしている。
私の話をまだ聞きたそうだったが、もう出て来ない。あまりに記憶が散漫で、言語化できないでいた。
私の話がもう続かないと思ったのか、頷き、笑顔になった。
「それじゃあ、その友達に感謝しなきゃね」
「友達?」
「君を救ってくれた大事な友達だ」
友達? あの子は友達だったのか? 名前は? どこの誰?
わからない。
現実にいるのだろうか? もし、いるのなら……会いたい。
会って、触れてみたい。
リハビリは、痛い。きつい。疲れる。
車いすにもようやく慣れて、病院の中なら自由に行けるようになった。
外にも出られた。暑い。だけど、日差しが心地よい。
外を歩く、小学生くらいの子供たちの集団が見えた。
もうすぐ、八月が終わる。
学生は夏休みの宿題で、たいへんな時期だ。あの子らも、これから必死で宿題を片付けるのかな?
今は、それさえもうらやましい。
不安だ。不安に押しつぶされそうになる。
でも、今はとにかく前の生活に戻りたい。普通に歩き、普通に家に帰りたい。
ベッドをリクライニングにして、窓の外を見ていた。
思い出すのは、夢の中のあの子。
昔から知っているような気がする。でも、名前が出て来ない。
少し面倒くさがり屋で、怒りっぽい?
自分に自信がなくて、ネガティブ思考。
恋愛に臆病で、恥ずかしがり屋。
だけど、とっても優しくて、友達想い。
私の大好きな友達……。
あれ? 知っている。私はこんなにもあの子のことを知っている。
笑顔、泣き顔、怒った顔も知っている。
指輪? おもちゃの指輪……知っている。あれは……?
嫌だ。もっと、知りたい。
あの子は誰なのか、どこにいるのか、私は知りたい。
会いたい。
すごくすごく会いたい。
ノックの音がして、現実に引き戻された。
時計を見る。
ああ、また今日もリハビリの時間が来てしまった。
仕方がない。一日も早く、この身体をなんとかしなければ……だけど、辛い。
車いすに移動しようと、身体を起こす。
「ユウちゃん……」
聞き覚えのある声、その響き。
ドアの方に目を向ける。
「え?」
「ううん。ひなちゃん……海野ひなみちゃん」
近づいて来る女の子。夢で見た女の子。
顔をくちゃくちゃにして、泣いている。泣きながら、笑っている。
手を差し出され、思わず手を握った。
うれしい。
なぜか、すごくうれしい。憧れの芸能人と握手しているような高揚感。やっと、夢が叶ったようなこのときめく感じ。
いや、それだけじゃない。なつかしい。
私は、この子とこうして手をつないだことがある。
いつだ? この感覚は……。
そう、幼馴染で親友の女の子。
幼稚園での遊具、囲まれたお花、四つ葉のクローバー……。
「……まきちゃん?」
まきちゃんは、何度もうなずき、泣いていた。
やはりそうだ。
まきちゃんだ。私の大事な友達のまきちゃんだ。
彼女は、思い出したように、首にかけていたものを取り出して、見せる。
おもちゃの指輪……なつかしい。
私の宝物だった。引っ越す前に、「大きくなったら、また会おう」と言って、あげたもの。私たちの永遠の友情の証。
会えた。
こうして、また、会えた。
うれしい。すごくうれしい。
「見つけた……ひなちゃん、やっと見つけたよ」
「ありがとう。私を探してくれて……まきちゃん」
生きていてよかった。
あの時、私は死ぬかもしれない、死んでもいいと思った。
だけど、死ななくて良かった。
生きて、また、まきちゃんに会えてよかった。
もう、死にたいなんて思わない。
ピアノを弾けなくても、高校に通えなくても、私は生きていたい。
こんなにうれしいことが、まだこの世にはあるのだから。
「里山? いいか?」
戸口の方で声がして、目を向ける。男子が二人立っていた。見覚えがあるような気がする。
「二人に紹介します。私の友達……親友の海野ひなみちゃんです」
「真島博人です。やっと、実物に会えた」
「石倉義宗といいます。僕の絵より、実物の方がかわいいです」
二人とも感じのいい人だ。真島くんは、がっちりとして好青年。石倉くんは真面目で優しそうな人。
「実物って? 初めましてですよね?」
三人が顔を見合わせて笑っている。
ん? どういうこと?
「もしかしたら、覚えてないかもしれない。そんな風に話してたの」
「……?」
「ひなちゃん、幽霊だったこと、覚えてないでしょ?」
「ゆ、幽霊? 私が?」
「まあ、幽霊とは違うか……何て言ったらいいんだろう? 生霊?」
えっと……まきちゃん? 何言ってるの? 全然、意味が分からないんですけど?
「とにかくね、とても不思議なことが起こったの。ううん。奇跡かな?」
意味不明で困惑している私に、まきちゃんはうれしそうな笑顔を向けていた。
それから、少しづつ話してくれた。
この夏に起こった不思議な出来事を……。
私は自分のこととは思えずに、物語のように聞いていた。
覚えてないのが悔しい気もするが、それでもまきちゃんが楽しそうに話してくれるので、私も楽しい気持ちでいっぱいになっていた。
私は、これからも生きていける。そう感じていた。
幽霊と知らない間に同居していたので、どうにか成仏させてあげたいと思います 常村 おく @1372608
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