Chapter3 "Star-crossed"

第16話 負け犬に限りなく近い捨て猫

 駅前の喫茶店に響くしとやかなBGMに耳を傾けていると、街の喧騒が嘘のような気分になる。


 天体観測を終えた午後。拓海と楓は向かい合って窓辺の席に座っていた。ひと眠りした後に拓海が呼び出したのだ。


 楓は街の賑わいを眺めながらあくびを噛み殺している。まるで退屈な映画を見てきた後のようなその姿に、拓海はなんとも言えない感情を抱く。


 二人の前には湯気ゆげの立ち上るコーヒーカップがふたつ。楓がそのカップをひとつ手に取りながら言った。


「それで。どうして私を呼び出したんですか、センパイ?」

「それは……」

「まあ、理由はなんとなく察してますけど」


 言い淀んだ拓海に、楓はジト目を向けてくる。


「だから言ったのに。さっさと告白した方が良いですよって」

「……」


 返す言葉もなかった。今日まで楓は何度も忠告してくれていた。なのに、拓海はそのたびに大丈夫だと突き放してきた。その結果がこれである。


「先輩のバカ、アホ、マヌケ。あれだけ私が言ってあげたのに結局こうなるんだから。ホント、おおバカもいいところですよ」

「……悪かったよ。けどさ、俺だってあんなキツいとは思ってなかったんだ。もっと気丈きじょうに振る舞えると思った。潔く身を引けるって、そう思ってたんだ。でも」


 雪菜の笑い声を聞くだけでダメになった。誠司へと向ける雪菜の視線が頭に焼き付いて離れない。


 昨夜の出来事を思い返して沈む拓海に、楓は呆れたように首を振ってくる。


「まったく、素直に私の言うことを聞いてればよかったんです。経験者が語る気持ちほど人生に大事な言葉はないんですから。そしたら観測会に赤城さんを誘うだなんてバカな真似もせずに済んだのに。もっと反省してください」

「ちょっと待てよ。経験者は語るって……楓、お前好きな奴いたのか?」

「当然です。私だって高校生ですからね。恋のひとつやふたつ、経験してるに決まってるじゃないですか」

「まぁ、そりゃそうか……」


 そう、楓だって高校生だ。特段、驚くことではない。


 ただ、それが中学高校と一緒に過ごしてきた後輩となると話は別だった。なんでも知っていると思っていた後輩の知らなかった一面に、拓海はなんだかひどく疎外感を覚える。


「なあ、その経験ってやつを訊いていいか?」


 だから思わず口をついて出た。しかし楓は唇に人差し指を当てて言った。


「——ダメですよ、センパイ。女の子に過去のことを訊くだなんて。張り倒されても文句言えません」

「……そうだよな、悪い」


 拓海は視線を窓へとがす。いつもならもっと軽口を言い合うのだが、今日の拓海の心境では無理だった。静かな時が流れる。


「はぁ……」


 張り合いのない先輩の様子にごうやしたのか、楓は大きく息を吐いた。


「いいですか先輩? ひとまず現状を整理しましょう」


 そう言ってカバンからタブレット端末を取り出すと、何事かペンを走らせ始める。


「何してんだ?」

「この方が視覚的でわかりやすいですから」


 書いているのは相関図のようだった。逆三角形の形で、右上に雪菜、左上に拓海、そして最後の一角に誠司の名前が書かれている。拓海の名前の側には段ボールに入った猫と思しき動物がデフォルメされてえがかれていた。じっと見ていると、楓はその動物の周りをぐるぐると囲みながら言った。


「——これが先輩です。この負け犬に限りなく近い哀れな捨て猫がいまの先輩なんです」

「……せめて猫か犬かはハッキリさせてくれよ」

「負け猫は黙っててください」


 ごとをピシャリと退しりぞけると、楓はタブレットにすっと線を引き始める。拓海から雪菜へと向かう矢印、雪菜から誠司へと向かう矢印、そして最後に誠司から雪菜に向かう矢印を書き加えていった。


「なんで赤城からの矢印が雪菜を向いてんだよ? わかんねえだろ、まだ。赤城が雪菜を好きだってことは」

「でも、きっと意識してますよ。そうじゃなかったら昨日、来るはずがないじゃないですか」

「……う、やっぱそう思うよな」


 その可能性はずっと考えていた。誠司が誘いに乗ってきたあの日からずっと。いくら誘われたからと言っても、普通は躊躇ちゅうちょするんじゃないだろうか。何かしらの理由があると考えるのが自然だ。そして昨日の誠司の様子を見る限りでは、その可能性がいちばん高いと思った。


「両片想い、かもです」


 呟かれた言葉に拓海は楓を見る。その視線を受けた楓はにやりと頬を緩ませた。


「ふふ、先輩の身になって考えてみると、絶望的な状況ですね。ここから先輩が逆転する可能性は皆無と言ってもいいです」

「……どうしたら、俺にもチャンスが回ってくると思う?」

「そうですねェ……」


 恥も外聞がいぶんもかなぐり捨てて訊ねた拓海に、楓は勿体もったいをつけるようにカップの中のココアを飲み、それから言った。


「――告白、するしかないんじゃないですかァ?」

「……」


 告白。


 あれからもう何度も考えた。でも今更感がどうしてもいなめない。拓海はもう、雪菜が誠司に想いを寄せていることを知っているのだから。


「でも意識してもらわないと、ずっと仲の良い友達で終わっちゃいますよ? 好きな人が他の誰かと付き合うのを心配しているよりは、潔く振られちゃった方が良いと私は思いますけどね」

「……他人事ひとごとだと思いやがって」

「もちろん、他人事ですから♪」


 にっこりとした笑顔。


 拓海はコーヒーカップを手に取って一気に仰ぐ。ミルクも何も入れていないコーヒーはにがく、冷たい現実の味を返してくる。


「……もっと他にないのか? じっくりと外堀を埋めていくようなやり方とかは?」

「ないですよ。そんな時間はもうとっくに過ぎ去りました。そもそも先輩がもっと早く、って、あ……」


 っと、会話の途中、ふいに鳴り響いたベルの音に向けた楓の視線が固定される。来店を告げるベルの音。何事だろうかと、拓海も視線の先を追った。


「あ」


 そして思わず声が漏れる。喫茶店の入り口。そこにいたのは見覚えのある二人だった。


 すると相手も気がついたらしい。驚いた表情を浮かべてそっと唇を動かしてきた。


「……拓海」

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『ベテルギウスが消えた空(仮)』 pocket @Pocket1213

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