狐ノ譚 1
「通りゃんせ、通りゃんせ」
最初に見えたのは真っ白い腕。
皮と骨だけで出来てるんじゃないかと思うくらい、異様な細さだった。
『……とぉおりゃぁんせぇえ、とおりゃあんせえぇ』
ぺたぺたと音が響いている。
素足が大きな石段を、リズムよく降りているところだった。
その石段には、苔やらシダやら生い茂っている。
目隠しをされているというのに、器用なことだと感心してしまう。
「ここはどこの細道じゃ」
女にしては低い、しかし男にしては高い声が言う。どうやら、この降りてきている人物のものらしい。
『…………天神さぁあまの、細道じゃああぁ』
代わって聞こえてくる、この妙に伸びた声は、何重にも響いて、何なのか分からない。
「ちっと、通して下しゃんせ」
聞こえてくる声に、全く怖れを感じていないのか、それを相手にその人は歌っている。妙に楽しげな声色で。
『……替わりのないもの、通しゃせぬぅ』
はて、と首をかしげるが、その人物は、面白がるように足を軽くする。
私の知っている歌詞が違う。替わりって、何だ。
すと、その青白い左腕が、着物の裾へと向かっていった。その時初めて、その人物が着ているものが、また白い着物だと気づく。
白装束。
腕は目的のものを上へと突き上げた。
真っ白な、菊の花だった。
途端に、ぬっと大量の腕が、天から降りてきて、わらわらとそれを捕まえようとする。それを歩くリズムによって、ひらひらとかわしていくこの人は、菊を視界に入れていない。
「行きはよいよい、帰りは恐い」
いや、多分今が“行き”ということだろうが、この状況ですら全然怖がっていないのに、帰りはどんなだ、と思ったときに。
何か、が、脳内、に、フラッシュバック、した。
ざっと、一部始終が、流れていく。
真っ黒だった髪が、輝かしい銀髪に変わった。
鳥肌が立った。予感は確信へと変わる。
「恐いながらも、とぉおりゃんせ、」
はらりと落ちた目隠しから覗かれた血の目が、私の視線を絡み取る。
ぞっとして立っていた鳥肌が、びくりと震えて冷や汗を大量に流した。
目が、笑う。
「とおりゃんせ」
***
私は、跳ね起きた。
何がどうなんているのかわからなくて、混乱する頭を押さえて深く息を吸う。数十秒して、自分の部屋と気付いた。汗がひどくて、気持ちが悪い。
「……ああぁあー」
銀髪と、赤い目を忘れようと、もう一度深呼吸する。
落ち着くまで、じっと動かずにいた。
「大丈夫ですかっ!?」
部屋を出たら、トキが駆け寄ってきた。あぁ、そんなに声大きかったかな、と思いつつ頭を撫でて、大丈夫と言おうとした。
「朝から、どうした」
言った玉兎は珍しく、書類を扱いながらの話ではない。視線を合わせられて、居心地悪くて目をそらすと、これまた珍しく無表情な闇夜と目があった。
「ちょっと、夢見が悪くて」
夢を歩く猫の、夢見が悪いというのは、なかなかおかしなことだったが、確かに意識は飛んでいた。
「何を見た」
「えっと、どこか石段から、銀髪赤目のヒトが、降りてくる夢で」
その場の空気が凍った。
完全に固まってしまっている三人の表情に、意味が分からなくて首をかしげた。
「それは、何をしていた」
やがて、ゆっくりと吐かれる質問に、丁寧に答える。
丁度、闇夜の顔が目に入った。
「通りゃんせ、と歌っていました」
玉兎は考え込む。
「他には」
「えっと、白い菊の花を持って」
「なるほど」
三人は黙り込む。
「あの、」
しんと静まり返った空間に声が響く。
「お知り合いですか」
玉兎の顔が顔を上げた。刺すような、鋭い視線だった。
「お前も一度、会ったことがあるだろう?」
「……え?」
会った事なんて、あっただろうか。
確かに、何か確信的なことを感じたが、今は睨まれた恐怖しかない。
「あの戸の、向こうにいる者だ」
説明されていなかった、扉が示される。ヒヤリと、もう一度汗が流れる。
それにしても、闇夜の表情は、抜け落ちていた。
***
「なんで、あんな夢に行き会ったんだろう」
「多分、挨拶に来たんですよ」
ひょいひょいと、切り取った木を形作っていく手を見つつ、内心冷や汗を流していた。私も、少し笑った。
「何で、だろう」
「そりゃ、新しく仲間になった
この天然少年は、仲良く頭を下げるような行事だと思っているのだろうが
「
「光夜、さん」
真っ赤な目が、いつまでも私を見て笑っている。
「……殺されるよ、絶対」
「大丈夫です、玉兎さんがそんなことさせませんよ」
そこまで言うと、すべてのパーツを合わせた時計の箱の横で、両手をセットする。
「何するの?」
「時計を、作ります」
両手の人差し指と、親指を前に出し、左手は手前に、右手は奥に、つまるところ〝ひねる〟動作を空中で行う。途端に、ただの積み木遊びのように積み上げられた、木材が光りだし、時計の針がぐるぐる回り始める。
「僕の、時計の作り方です」
そう言って、急速に回っている針が止まるのを待っている。茫然と私はそれを見ていた。
「はい、これが茜藍さんの時計です」
そう言って、たった今出来上がった、鳩時計を手渡された。
「あ、ありがと」
受け取ると、触れた瞬間、鳩が飛び出してきた。そのまま、先ほどのように発光しつつ針が回りだす。
「え、私壊した!?」
「大丈夫ですよ。時計は、持ち主に手渡されるまで、ただの時計です。何の時も刻まぬまま、ゼロのままで主を待ってるんですよ。手に渡った瞬間、主人自身の時を刻み始めるんです」
丁度、時針が16周し、分針が17分を示したところで発光が消えた。
「茜藍さんのことを、待ってたんです。16年間」
愛おしそうに、トキが鳩時計の屋根を撫でる。瞬間、鳩時計は、簡素な腕時計へと変形した。
「茜藍さんは、腕時計だったんですね」
にっこり笑ってトキは早く付けるように急かす。
「いいですか、絶対どんな時も、外さないでくださいね」
***
「どんな時もってことは、寝る時も、だよね?」
独り言を呟きながらベットに横たわる。
“夢遊”に憑かれて、自分は夢側の者なのだと自覚したのだから、寝るという行動は非常に奇妙に思える。玉兎に休めと言われたときに、そのまま疑問を口にすると、
「体は、休めろ」
と、はぐらかされたのは今でも覚えている。
「まるで、本当に起こっていることみたいなんだよね」
呟いてみても何も解決しないことに気づき、寝がえりを打った。
明露神奇談 空付 碧 @learine
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