雨乞い参りノ譚


 その人の髪は、艶やかな銀色をしていた。


 ふと視界に、淡い光が見えて、立ち止まる。

 街灯は少なく、かなり暗い小路だったにもかかわらず、よく見える銀色だった。その人は路地の突き当りで、塀をじっと見ていた。右側面を向いて、立っていた。


 目元は隠れて見えない。

 銀髪は微かな光をすべて拾い上げ、自らの顔をも照らし出していた。はっとするほど白かった。

 春先とはいえ、まだ夜は冷え込むというのに、半そでTシャツとジーンズという、なんとも薄着姿で立っていた。


 相手は、私に気づいた様子はない。私は、美術品を見ている気分で、夜更けの静寂の中で、その姿を息を殺して眺めた。


 じゃり。靴が鳴った。


 その人は、勢いよく此方を振り返り、こぼれ落ちそうなくらい、目を見開いていた。

 右目は完全に前髪で覆われていて、見当たらない。

 銀髪によって照らし出された大きな左目は、綺麗な血の色に塗れていた。


 蛇に、睨まれた。震える前に、凍る。

 私がおののいた姿を見て、その人はにやりと満足そうに歪んだ笑みを浮かべた。

「生きモノって、苦手なんだよね」

 苦手だとか、そんな可愛らしい言葉で片付けられないような、威圧感だったと思う。


 その存在は異質だった。

 浮かんでいる笑みに浮世離れした、人を理由なく無性に不安にさせる顔が見え隠れする。

 出会ったことはなかったが多分人はこれを狂気と呼ぶのだと直感で感じた。私はつばを飲み込む。


 その慄き様に一層笑みを深くすると、何事もなかったように顔を戻し、塀に手をついて一歩踏み出した。身体は中に吸い込まれていき、そのまま茫然とする私たちを取り残して消えていった。


 ***


「のだが、もっと効率的にやる方法を考えておくように。あと、ここにある機」

 足が痛くなってきた。ついでに耳もやられてきた。

 完全に集中力は切れていて、後で大切な所だけ、トキに聞こうと適当に相槌を打ち続けている。私の前には自分の机に座って、数時間前から話している玉兎がいる。


 一体何の話だったか。多分、店の話だ。私が、どうやって生きていくかの話だったはずだ。

 何故用途の分からない機械の歴史の話を聞いているんだ。

 玉兎は無口だと闇夜言っていた。必要最小限しか話さないと断言していた。

 アイツの言葉はもう一生信じない。

「ただいまぁっと……何の話?」

 不意に後ろから声がして、思い浮かべていた人物を縋るように振り返り、そして睨む。


「運営上の注意だ」

「……それオレが出る前から話してたよね?」

 若干頬を引きつらせて、闇夜は私を見やる。

 その顔は若干憐みを含んでいたようだったが、思い切り睨みつけてやると「必要最小限なんだよ」と、一瞬にしていつもの歪んだ笑みに切り替わった。


「さて話の続きだが、向こうにある橋に」

 どうにかしてくれ、と視線を送ってみたが、帰ってきた鴉は、玉兎の後ろに回り込んで椅子を用意し、ホットチョコを飲み始める。気づかぬふりして、そっぽを向くのはまだいいとして、口元が緩んでいるのはかなり癇に障る。

 怨念のこもった目で睨みつけてやった。


「で、だ。聞いてるか、茜藍」

 眉を潜めた玉兎に、急いで顔を戻し、必死で頷いた。

 押し殺した声で笑っている男を一瞥すると、玉兎は咳払いをして、また私を見上げる。


「先ほど説明したとおり、明露めいろはいくつもの店が集まって、成り立っている。私は、ここで客を待つ。刻辰ときたつは、あの扉の向こうだ。闇夜は移動が主だ。ここで待機となる。お前も同列とする」

 そして、さらりと言った。

「というわけで、ひとまず慣れるまで、闇夜に面倒を見てもらう」


 一拍置いて、はぁ!?と二重に声が響く。

「何で、よりによって闇夜なんですか!?」

「止めてよ、凄く面倒くさいんだけどっ」

 それぞれの言い分に、玉兎は資料に目を戻して、ため息をついた。


「お前が一番、暇だろう」

「何言ってるの、俺絶対いやだよ」

「お前がココにいる理由はなんだ」

 急に鴉は、ぐっと言葉に詰まった。不思議にやり取りを見ている。


「お前は、私の目の届かないところにいる、茜藍を見るのが使命だ」

 全く、とまたため息をつく玉兎を、茫然と見るしかなかった。

 闇夜で、無理やり納得したように、あぁそうか、そうだね、しょうがないね、と早口に言っているが、こちらを見る目はかなり刺々しい。

 それで私も、頷くしかなかった。


「あの、どうして玉兎は、ここから離れないんですか」

 一瞬、玉兎と闇夜の間で、鋭い視線が交わされたが、あえて気にせず待つ。

「玉兎はね、礎なんだ」

「いしづえ?」

 かつん、とどこかで音がした。

 玉兎は、こちらを気にかけずに、資料に目を通していた。


「玉兎が管理している“忘れ者”を、誰かが勝手に持って行ったり、勝手に入ってきちゃったりしたら大変でしょ?」

「勝手に、入ってくる?」

 あぁ、と玉兎は頷いた。


「小さい頃、“物”にだって、命があると言われたことはないか。だから大切に扱えと。無機物に生命は無いが、心はちゃんと存在する。ヒトが気にとめないだけで、彼らはちゃんと思考している。だから、忘れられた“物”は、居場所を探し、私は“彼ら”の保護をする。私は敬意を払い、“者”と呼ぶ」

「忘れ者屋さん」

 店主は、コーヒーを飲んだ。


 へぇ、と返事をしたときに、眩暈と立ちくらみを覚えた。

 貧血かとしばらくしゃがみこんで様子を見たが、どうにも治まる様子は無い。


「散歩してこい」

 即座に玉兎は言う。

「闇夜、連れていけ」

「……はぁーい」


 心底うんざりした様子で、彼は肩をすくめた。

 手には、たった今玉兎から渡された風呂敷がある。

「どこに行くの?」

「……神頼みだよ」


 首をかしげると、面倒くさそうに彼は口を開く。

「雨乞い参り。向こうじゃそろそろ梅雨の時期だから、こちらにある陰霖社いんりんのやしろに雨を頼みに行くんだ」

「闇夜が」

「何、文句ある?」

 ぎろりとにらんだ後、ため息をついた。


「玉兎がここから動けたら、絶対近づかないけどさ。玉兎の頼みだったら、行きたくなくても行かないといけないでしょ」

「さっさと行ってこい」

 と文句をとめどなく言っている闇夜に、一つ頷く。

「一緒に行ってきます」


 ***


「雨乞いって、毎年いくの?」

 心底面倒くさそうに、彼は私を流し眼で見ている。

「……雨乞い参りは、三社を同時期に回って。初めて成立するんだ。俺たちが今向かってる陰霖社、向こうにある甘雨社と翠雨社」

「全部参るの?」

「明露からは一社だけだよ。俺らが三社参ったところで、何の意味もないからね」

「そんなものなんだ」

「そんなものなの」

 と、不機嫌そうな返事がある。


「じゃ、向こうで誰かが参ってるってこと?」

「知らない、俺、目は二つしかついてないし」

 軽く、本当に息をするように、彼は嘘をつく。

 わざわざばらす為につく嘘も、事実を隠そうとする嘘も、全てにおいて何のためらいもせずに吐きだすから、騙された事に気づく間もないことは度々だ。


 しばらく黙って歩いていたが、何の景色の変化もないことに違和感を覚え始めた。

 明露からどんどん離れていっているが、ドアを使って外に出るつもりは無いらしい。

 漆黒の闇を灯りも持たず突き進んでいく。

「その神様の住まいって、どちら?」

「ココからずっと先だよ」

「街から行くと思った」

 言うと、鼻で返事された。


「あんな騒がしいところを好んで住むような、物好きじゃないだろうからね」

「好む神様もいるんじゃな?」

「まぁ個人の自由だし」

 確かに、雨乞いの神様ならば、人ごみの中に暮らしているよりも、林やもっとヒトの少ない神社で、ひっそりと暮らしている方がしっくりくると思う。けれど、こう切って捨てるのもどうかと思う。


「私、こんな風に参詣するのは初めて」

「向こうでは神社に行かなかったの?」

「普通の神社になら行ったことある」

「……せーらん、勘違いしてるようだけど」

 急に厳しい口調になり、私はおそるおそる顔を上げる。


「神社ってだけで、聖域なんだよ。どれだけ荒れ果てて、どれだけ朽ち果てても、神社って言うのは、彼らの住まいだ。彼らがどこかに行かない限り、そこは聖域だよ。だから、どれが特別なんてものは、ない」


 彼は相変わらず、私に呆れているのだろう。何故、そんな事すら気づかないのかと。

 しばらく混乱から回復できずに、黙りこんでいたが、闇夜は気にせず、どんどん先へ進んでいく。開いた距離を埋めるため、私は小走りで追いかける。


「闇夜は、その神様にお会いしたことあるの?」

「あるわけないじゃない。神なんだから」

「……こっちの世界なら、お会いできるかなって」

「神は、我々のような穢れた下等生物に、簡単にお会いになりません。それに、お会いしたところで、我々の目が潰れてしまいます」


 わざとらしく気取った調子で、彼は私の目を隠す。鼻歌が聞こえてきたことで、機嫌が治ったらしい。

「でも、明露より先って、この暗闇がずっと続いてるだけじゃないの?」

「明露は、玉兎が維持してる空間だよ。部屋みたいなものさ。そこから先は、別の生き物たちの空間だ。獰猛な彼らに食われたくなければ、灯りを持ってきてはいけないよ。ちなみに、もう外です」

「……思いっきり喋ってるけど」

「彼らに耳は無いんだよ」


 にやりと笑った。彼の顔を見れる猫の目が無ければ、私はこちらには来れなかったのだと気付いた。

「そんな生き物たちの先の、空間の境目の向こうに、行き先はある」

「そこまで行くの?」

「何、怖くなったの?」


 ニヤニヤと、面白がって笑っている、鴉の顔を殴り飛ばそうとしたが、軽やかに避けられてしまって、自分がこけそうになる。

「怖気づくのは、しょうがないことだよ。俺らは凡人だしね」

 そこで彼は前を見据える。立ち止まった背中を、見上げた。

「……なに、何かいるの?」

「いや、コレでひとまず、物理的に怖いのはおしまいだね。実に残念」

 ハイ乗って、と言いながら示したのは一艘の船だった。


「河?」

「俺らには関係ないよ。海だろうが、川だろうが、水たまりだろうが、それを知る術はないし、知らずとも支障はない。こんな時くらいしか、こちらには来ないからね。ただ、コレの向こう岸には陰霖社がある」


 彼は言い終るとさっさと先に乗った。その振動で船が揺れる。水の音すら聞こえずに、ただ船が揺れていた。

「ほら、置いてくよ」

 差し出された手を反射的に握ると、何の前置きもなく引き寄せられた。

 驚いて転ぶと身構えていたが、ふわりと体が浮き、足元が不安定になる。

「他人任せにしないでよね、全く」

「あ、ありがとう」

「どーいたしまして」


 ひらひらとわざとらしく手を振る男は、ため息を吐きながら座り込んだ。

「船、漕がないの?」

「何で俺が、漕がなくちゃいけないの」

 私が漕げと言う事なのか。仕方なしにオールを探していると、突然船が揺れた。

「うわっ」

「ほら、座ってないと危ないよ」

 ゲラゲラ笑っている鴉を、今度こそ殴り飛ばしたかったが、落ちては困るためその場に座る。


「何故、触ってないのに船が動いてるの?」

「さてね」

 知っているのだろうに、わざとらしくはぐらかされて、問い詰めそうになったのだが、変わりに出てきたのは突拍子もない言葉だった。

「なんだか、デートみたいね」

「もしやデートとはなにか知らないね?」

 ふと出た台詞を一蹴され、言った私ですら同意を示すため、

「恥ずかしながら」と肩をすくめた。


 ***


 船は順調に進んでいった。

 船から手を垂らしても、空を掻いたような感覚しかしなかったが、キンとした冷たさが伝わってきた。

「浮いている光には、触っちゃだめだよ」

「どうして?」

「魂を、食われるから」

 にやりと笑った男を、どこまで信じればいいのか分からなかったが、ひとまずもう手を突っ込まない事にする。


「闇夜」

「何」

 男は頬杖をついて景色を眺めていた。

 暗いだけの風景に、何があるのかと思っていたのだが、私は宙を指差す。

「花が咲いてる」

 奇妙な咲き方だった。

 まるで道のように、桜やサツキツツジや牡丹の花が、空に向かって咲いていた。男はそれを見やると、あぁと頷いた。


「神道だよ」

「……神様の路、ってこと?」

「向こうでは、彼らの為にああいった花を、植えて迎えていたらしいね」

 笑う彼と共に、笑うことはできなかった。

 私はその事実を知らなかったからだ。

 神様の為に、華やかな道を作った人たちの事を、私は知らないから。


「素敵な道だね」

「山道だし、綺麗に整えられた道がないから、迷わないようにしてるんだろうね」

「……そう」

 そこにある山は、私が見ようとしていないから、見えないのだろうか。

 私には視ようという事すらおこがましい事で、到底無理な話なのだろうか。


「闇夜って、鴉なのに暗いところ平気よね」

 男は私の顔を見てにやりと笑った。

「なんてったって、鴉ですから」

 いつもの笑みと共に言われた得意げな言葉に、一呼吸置いてそうねと返しておく。


 ***


「足元、気を付けたほうがいいかもよ」

「……気をつけます」

 砂利を踏みながら、降りた空気はこれまで感じた事のないほど、冷たかった。先ほどの船の下のように、突き刺さるような冷たさではなかったが、呼吸をする事すら躊躇われるような雰囲気だった。


「聖域だからね」

 鴉は何でもないと言った顔で突き進んでいく。

「よく平気ね」

「こんなことをいちいち気にしてたら、俺は俺でなくなるよ」

 振り返りざまに言われたその言葉は確かなので、黙って付いていく。


「三途の川の向こうってこんな感じなのかしら?」

「何か言った?」

「何でもないわ」


 しばらくじゃりじゃりと進んでいくと、森と道が一本見えた。

「コレが参道」

「さっきの道とは違うね」

「アレとは全く別の者だから」

 先を行く闇夜を、追って歩いていく。

 誰が整備しているのか、枝は綺麗にかられ、枯れ葉一枚落ちていない、綺麗な道だった。

「そういえば、その陰霖社に住んでいる神様って何て名前なの?」

「……そうさねぇ」

 そのあと無言が続いたが、どうやらこれは覚えていないと見たほうがよさそうだ。


「確か、名は無いんだよ」

「は?」

「俺らくらいしか、参拝客はないからね。俺は名を付けれるほどの能力なんてないし」

「……そう」


「まぁ彼らには名がなくとも不便なことなんて何一つないだろうからね」

 またニヤリと笑うが、彼は何を考えてそう言っているのだろうか。

「闇夜」

「何」

「闇夜は、呼ばれて幸せでしょう?」

「……は?」

「そう軽々しく、ものを測らない方がいいわ」

 彼は、それを鼻で笑って終わらせたが、私の放った言葉はしばらく宙を漂っていた。


「着いたよ」

 言われて顔を上げると、視界を埋めたのは、大量の蛇の置物だった。

 腰ほどの大きさから指先サイズ、陶器から粘土製、鮮やかな緑色から無色といったものまで、さまざまな蛇が参道の脇を埋めていた。


「うわ」

「そこ、引かない」

「ひ、引いてないけど……圧倒されるわ」

 闇夜は、風呂敷を開けて中身を取り出す。そして、それを群れの仲間にしていた。

「コレ、闇夜が毎回持ってきたものなの?」

「お供え物ってやつだよ」

「闇夜が持って来たって想像したら、引いたわ」

「撤回を要求する」

 私たちは一度ずつ鈴を鳴らし、二度手を合わせた。


 今年もどうぞ、黒雨をよろしくお願いします。


「せーらん」

 引き返そうとした私の裾を闇夜が引いた。振り返ると、蛇の目傘が一本、立てかけてあった。

「誰かの忘れ者かしら」

「……多分、せーらんへの贈り物だよ」

「え、なんで」

「名の無い主さんから、せーらんへ」

 何故そんな事が分かるのかと問えば、何となくね、と返事をする彼を信じていいのだろうか。


「こんなこと初めてだから、貰っておきなよ」

 などと言う彼に乗せられて、私はそれを持ち帰ることになった。

「ありがとうございます」

 私は一礼をした後、先に行ってしまった彼を追いかけた。

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