ただいま Light Houseへ
大田康湖
ただいま Light Houseへ
僕は後ろを振り向いた。卵くらいの大きさになったドームの外壁が光って見える。でも寂しくはなかった。却ってせいせいしたと言ったら違うかもしれないが、本当にそんな気分だったのだ。まぶしい光のドームに向かって僕は叫んだ。
「もう、帰らねぇぞ!」
僕は家出をしてきたのだ。と言っても特に目的がある訳ではない。ただ僕を取りまく全ての物から逃れたかっただけなのだ。
”ガクン、ガクン”
いやな音だ。エアバイクがいかれてきたらしい。無理もない。物置に転がっていたのを引っ張り出してきたのだから。そもそも自動操縦装置があったからここまでやってこれたような物だ。僕はまだ12歳なのだから。
(ま、いいさ。もうここまで来れば誰にも見つからないだろう)
僕はエアバイクを砂の上に乗り捨てた。ヘルメットを外すと、砂漠の熱気がもろに吹きつけてくる。思わず息を止めたが、僕はそのままヘルメットをハンドルに引っ掛け、とにかくがむしゃらに歩きだした。
どれくらい歩いたろう。太陽はとっくに夕日に変わりやや凌ぎやすくはなってきたが、汗ビッショリ、足はクタクタだ。とうとう近くの岩陰に寝っころがる。疲れが一度にドッと出てきた。
ポケットに入れてきた写真を僕は取り出した。家族でメルー山に行った時の写真だ。何も持って来なかった僕だが、これだけは持ってきたかったのだ。
父が、母が永遠に笑っている。ほんの一ヶ月前の事なのに、まるで一年も前のように思える。それ程僕をとりまく世界は変わってしまったのだ。
「フォン、じゃお前、買い物には行かないのね」
「うん。ルチア達とゲームやるんだ」
「それじゃ、後頼んだわよ」
「はーい」
それが、僕と母との最後の会話だった。あの日一緒に買い物に出た両親は二度と帰らなかった。交通事故に巻き込まれたのだ。
(あの時、僕も一緒に行けば良かった……)
今まで、何度心の中でつぶやいた事だろう。今もつぶやいて、泣きたいくらい切なくなった。夕陽がぼやけて目にしみる。
(このままここにいれば、絶対死んじゃうよな)
喉の渇きでか、それとも凍死するか。いや、何ならすぐに、この岩の破片を使って首の血管を切れば済む事なのだ。いつでも死ねるのだと思うと、僕は開き直った。
だんだん喉が渇いてきた。僕はただぼんやりと、地平線の向こうに沈んでいこうとしている夕陽を見ていた。
(そう言えば僕がここに来た時も、夕陽が沈みかけていたっけ……)
両親の葬式の後、親戚達の間で夜遅くまで話し合いが行なわれた。僕は早く寝てしまい、夜中目が覚めてトイレに行こうとした時に声を聞いたのだった。
「私の所は、まだ赤ん坊が手がかかる状態で……」
母の弟に当たる、グエン叔父さんの声だ。
「家だって、おばあちゃんがあの体だから」
父の二番目の兄のダルム伯父さんが、何だかしぶっているような声を出した。
「私はかまわないが、フォンが喜んでついてきてくれるかどうかが気がかりなんだ。何せブリアは遠いし、子供には寂しい所だろうからな」
父の長兄のダルエス伯父の言葉で、僕はやっと話の中身を理解した。僕の引き取り先を決めているのだ。
僕自身、ブリア星に行った事もなければ、ダルエス伯父に会ったのも初めてだった。何しろ、ブリア星は僕の住むトリュース星から150光年も離れている上に、鉱石採掘場がいくつかある他は特に目立った所もない星なのだ。その採掘場の1つで働いている伯父は、中背でがっしりとした体格の無口な人だった。日焼けした顔がいっそうそれにぶっきら棒な感じを与えていた。背が高く、いつも微笑をたたえていた父と兄弟とはとても思えなかった。
僕はダルエス伯父に引き取られそうな自分を思うと、もうトイレに行く気も失せ、その夜はまんじりともせずベッドで考えこんでいた。
結局、僕はダルエス伯父と一緒にブリア星に行くことになった。そして、はるばるこの砂漠の町、マリティまで来たのだ。
「ほら、フォン、ここがお前の住む町だよ」
そう言われて窓の外を見た僕の目に映ったのは、夕陽に照り映えるドームの外壁だった。砂嵐から身を守り気候調節をするため、ドームを用いているのだそうだ。地理のビデオで見た事はあるが、実物を見るのは初めてである。そのドームの裏に大きな湖があり、オアシスになっていた。だが、夕陽が沈みかけている西は、砂と岩ばかりの荒涼とした地だった。
「ほら、北の方に大きな岩があるだろ。あの辺が鉱石採掘場だよ。いい鉄鉱石がとれるんだ」
なるほど、ドームのはるか北に大きな岩があり、その岩にも夕陽は照りつけていた。
「淋しすぎる」
僕は思わず小声でつぶやいた。
「そうでもないさ。すぐに慣れる」
伯父はそう言っただけだった。その言葉が、僕にはひどくそっけないものに聞えた。こんな時父だったら、僕を抱きしめ、そっとキスしてくれたろうに……。
伯母のマンナは、伯父と反対にころころとした体つきのよく笑う人だった。2人に子供はおらず、僕が来たのを心から喜んで何かと世話をやきたがった。それが僕にはうっとおしかった。
一度うっとおしく感じ始めると、何もかもが嫌になってきた。緑あふれるラベンナの街が、たくさんの友達がいた学校が、そして活気に満ちた星トリュースが、懐かしくてたまらなくなった。ついに、僕は全てから逃げるようにして砂漠にとび出したのだった。
太陽はすっかり沈んで、1つ、2つと、星がきらめき始めた。その中にひときわ大きくクリーム色に輝くのは、この星の衛星、ミンだ。衛星という物がなかったトリュースに住んでいた僕にとって、この星は今でもグロテスクで気味悪く思えた。
寒くなってきた。もう伯父達は、僕が家出した事に気付いただろうか。
(もしかして、僕を探してるかも知れない。でも、ここまでは来ないだろうな。だって、あまりに遠すぎるもの……)
胸がギュッとしめつけられたように感じた。何かが喉元にこみ上げてくる。僕は必死になってそれを押えつけた。
(僕のいくじなし! 何を期待してるんだ? お前、家出してきたんだろ?)
だが、僕の本心を抑える事は出来なかった。
『フォン、わしはお前を信じてるぞ。誰かに今しばらくは辛いだろうが、やがて分かる時がくる。世の中、そう悪い事ばかりでもないってな。要は心の持ちようだ。お前がマリティを好きになれば、次から次へと素敵な物が見えてくる。だが、その心をなくしたらおしまいだ。いいな』
あれは、確か航宙1日目の夜のベッドで伯父に言われた言葉だ。だが、僕は疲れていたし、伯父そのものに嫌悪感を感じていたので、特に気にも止めずに眠りに落ちていったのだ。だが今、その言葉を覚えていた事に僕は動揺していた。
(そもそも、僕があの光景を見て、寂しさの代わりに雄大さを感じていたら、こんな事はしなかっただろうな)
僕は息を潜めて星空を見上げた。ラベンナでは、決して見れなかった満天の星空。
(僕は、このまま死ぬんだ。この星空の下で)
だが、それはもう甘い響きを持たなかった。残っているのは、砂漠に1人取り残されたちっぽけな自分の意地だけだった。
ミンが、いつの間にか南の空に昇っていた。柔らかい光が僕を照らしている。東の空にかかっていた時のグロテスクさは消え、まるで1人ぼっちの僕を見てくれているような気までしてきた。
(このミンの光のように、遠くからそっと見守る優しさっていうのもあるのかもしれない)
陽焼けした顔の中の伯父のまなざしが、いつしか僕の心によみがえってきた。いつも陽気な伯母の声が、僕の耳に快く響いた。その途端、僕の意地が本心に負けた。
(帰ろう。少なくとも今のところは。死ぬ事は今でなくても出来る)
僕は立ち上がった。ミンの光が、砂漠の砂に照り映えている。
僕は、がむしゃらに歩いた。さっきエアバイクを乗り捨てた所まで行けば、きっと帰れると思ったのだが甘かった。この砂漠にとっては、エアバイクの一台など岩の一塊にすぎないのだ。
(どうしよう……)
一旦死をふり捨てた後、無常にも死は僕に覆いかぶさってきたのだ。僕の頼りは、背後に輝くミンの姿だけだった。
やがて地平線の向こうに、キラキラ輝く物が見えてきた。その正体を確かめたくて、僕は手近の砂丘に駆け上がった。頂上に立った僕は見た。光の缶詰のように、砂の向こうに超然と輝くドームを……。
「ウワーッ! 」
とでも言うような叫び声をあげて、僕は飛び出した。遥かな昔、数々の旅行者達が旅路の果てに一つの光を見い出した時の喜びが、今自分の元に押し寄せてくるのを感じた。
僕は砂丘を駆け下りたまま勢いが止まらず、そのまま走り続けた。途中、何度も岩にぶつかりそうになり、砂に足をとられて転んだが、もうそんな事にはかまっていられなかった。
あえぎあえぎながら、ようやくドームの全体が見える所までやってきた時、ついに僕はその場にへたり込んでしまった。だが、いくらもたたないうちに、またふらふらと歩き出した。ドームの光は、僕を呼んでいるホームの光だった。
「フォン、この町は別名 『ライト・ハウス』って言うんだ」
「『ライト・ハウス』ってどういう意味?」
「なんでも、地球の古語で『灯台』という意味だそうだ」
「灯台って、海岸にある物でしょ。変なの」
「ま、今に分かるさ」
伯父との会話が、今改めて脳裏によみがえる。
(ああ、確かにここは、陸の灯台だ)
僕の行く先を照らしてくれたのだから……。
よろめく足を砂にとられながら、僕は一歩、また一歩、美しき光の家に向かって歩いて行った。
町は思ったより静かだった。どうやら、僕が家出した事は誰も知らないらしい。いやもしかしたら、みんな僕を探しに出払っているのかも知れない。
(その方が、いいな)
僕は自責感にかられていた。帰ったら何て言われるだろう。壊れたエアバイク、砂まみれになった服。なんだか自分がみじめになってきた。思わずポケットに両手を突っ込んで気付く。
(あ、写真!)
そうなのだ。あの騒ぎで、家族写真をどこかへ落としてきてしまったのだ。
(ま、いいや。アルバムにはまだ、写真がある)
何故か素直にそう思う事が出来た。あの砂漠から帰りついた事を思えば、写真の一枚ぐらい、どうって事はない。
(それより、早く家へ帰らなきゃ)
僕は最後の力をふりしぼって歩き出した。
家の手前で、僕は思わず立ち止まった。ドアの前に黒い塊があったからだ。ダルエス伯父だ。僕は足がすくんで動けない。だが伯父は、すっくと立ち上がると僕を見つめた。
「フォン!」
反射的に僕は目をそらした。伯父の声が震えている。
「……フォン、おかえり」
「ただいま」
僕は伯父の顔を見る事が出来なかったので、そのままつぶやいた。
「今度から、出かける時には行き先と帰る時間くらいは、ちゃんと言っておけ。心配するからな」
伯父は何一つ恨みがましい事は言わなかった。それだけに、その言葉は僕の心をゆさぶった。
「さ、入ろう。マンナが待っている」
伯父は両手を広げた。それは初めて見せたスキンシップの印だった。そのまま微動だにしない。中背の伯父の影が、玄関灯のせいで父の背ぐらいに伸び、あと一歩踏み出せば僕の足に届きそうなくらいになっていた。そう、僕が後、一歩踏み出せば……。
僕はそろそろと足を進めた。爪先が影の先端に厳れた時、全身に震えが走った。
「伯父さん!!」
もう、ためらわない。僕はもう一つの自分の
おわり
ただいま Light Houseへ 大田康湖 @ootayasuko
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