紅い夏の沼

稀山 美波

『青春』と『恋』に関する考察

「『青春』って言葉、あるじゃない」


 放課後の部室は、やけに静かだ。

 閉め切った窓の向こうから微かに聞こえる野球部の掛け声と、硬く閉じた扉の外から霞がかって聞こえるブラスバンドの音と、私たちが本を捲る音。それ以外の一切が、この部屋にはない。


「あるね」


 だからだろうか。ふとした私の呼びかけも、それに答えた彼の声も、嫌に響いた。世界の片隅に私たち二人だけが隔離されている、そんな錯覚すら覚えてしまう。


「あの言葉、どういうことなんだろう」


 この小さく狭い世界の中で、自らの存在を確かめるように私は少し大きめの声を出してみせる。その声量に驚いたのか、それとも私の意図するところがわからなくて驚いたのかはわからないが、とにかく目の前に座る彼は目を丸く見開いて本を捲る手を止めた。


「どういうことっていうのは、どういうことかな」

「『青春』って言葉は、若い時に送るある一定期間のことを言うじゃない」


 私を見据える彼の大きな瞳は、次の言葉を促しているように見える。


「その期間のことを名付けるにあたって、四季の中でも『春』を選んで、そしてそれに『青い』だなんて修飾をつけたのには、どんな意味があるのかなって」


 そこまで聞いた彼は、はあと小さく溜息をつく。

 また始まったな、そんな風に思っているに違いなかった。


 私と彼は、この文芸部の部員だ。

 部活、そして部員と言っても大したことはしていない。放課後になると、こうして顔を突き合わせて互いにそれぞれが小説の世界へと溶けていく。活動らしい活動は、それしかない。


「また始まったな」


 やはり、私の思った通りのことを考えていた。


 数時間にわたって読書を続けていると、私はどうも頭が痛くなって仕方がない。情報という情報が文字の形を成して、私の目から体内へと飛び込んでくるのだ。頭の一つや二つ、悲鳴を上げてもおかしくないと私は思う。


 だからこうして、何かしら『言葉』に関する疑問を彼に投げかける。それがこの部活、ひいては私たちの日課となっていた。


「ほんと、刈谷かりやは深く考えすぎだよ」

「失礼ね。言葉の意味を知る、考える、納得する。名のついたものに対して、それは当然の敬意だと思うわ」


 物事の名とは、それ相応の意味や由来があるものだ。それを正しく知ってこそ、我々人間ははそれらの名付け親たる資格を得るのだと、私は思っている。


 例えば私、刈谷かりや文絵ふみえの名前には、『文や絵、芸術に明るい人となりますように』との願いが込められている。文を読めば頭を痛めるし、絵を描けば全てが抽象画になってしまうような私だが、それはどうでもいい。大事なのは、その名に込められた意味や思いを知ることなのだ。


「青春、ねえ」


 空を覆う分厚い梅雨の雲よりも淀んだ顔をして鈍色の溜息を吐く彼、岡崎おかざき冬馬とうまの名前にだって、『冬の厳しい寒さにも負けずに走る馬のよう、強く生きて欲しい』という意味が込められている。


 それを言うと、『けど僕は極度の寒がりだけどね』だなんて彼は苦い笑みを浮かべてみせるが、やはり大切なのはそこではない。意味を知り、敬意を払うことにあるのだ。


「『春』を選んだ理由は、なんとなくわかるよ。日本において春っていうのは、出会いと別れの季節だからね」


 私のこの信念を、悪癖だなんて呼ぶ人も少なからずいる。

 いちいち細かいだの、話の腰を折らないでほしいだの、何回言われたことだろう。そう言われる度に私は『話のってどこにあるんだろう』だなんて言うものだから、人は更に呆れかえったものだ。


「入学しかり、卒業しかり、就職しかり。この国で『春』という言葉は、一種の門出や祝いの意として使われるよね」


 だが、岡崎は違う。

 私の質問に対して、名前の持つ意味を考察することに対して、実に真摯だ。数学の難しい問題に取り組むように、ミステリ小説の犯人を考えるように。その長い睫毛と大きな瞼の位置を下げて、言葉の持つ意味を自分なりに紐解いていく。


「合格を『桜咲ク』って言ってみたり、嬉しい出来事があると『春がきた』だなんて言うわね」


 もしかしたら、それが実に心地よいせいで、私は毎日ここに顔を出しているのかもしれない。けれど、それは決して口にしない。口にしたら最後、この男は私の言葉の意味するところを、私の心の内までも、考えてしまうだろうから。


「でしょ。そんな嬉しい季節でもあり、別れを悲しむ寂しい季節でもある。そういう不安定さを含有した季節こそ、子供でもなく大人でもない多感かつアンバランスな若者を表すにはぴったりの言葉だと、ぼかぁ思うね」


 岡崎の気分が高揚しているのが、手に取るようにわかる。

 彼はそういう時、いつだって饒舌になって、一人称が『ぼかぁ』になるから。


「まあ、私も『春』という言葉を選んだのはなんとなくわかる。岡崎と同じような理由でね。春夏秋冬の中でも、一番しっくりくるのは春だと私も思うもの。蕾のような若者が大人に向かって芽吹いていく様は、まさに春がぴったりな気がする」


 新芽にも似た十代の男女がようやく花開く様を、私は夢想する。なんとも言えぬ、一瞬の輝き。子供と大人・明と暗・未熟と成熟、そんな矛盾さを内包した存在。それらを形容するのはやはり、『春』がふさわしいと感じた。


「じゃあ、『青』を選んだ理由って何なのかしら。言ってしまえば、『青』ってネガティブなイメージがあるじゃない。希望に満ちた若者たちの時間を表現するには、いささか冷たい感じを受けるのだけど」


 春について突き詰めていけばいくほど、ますます『青』という色が似つかわしくないように思えてくる。青とはつまり、寒色だ。寒色とはつまり、涼しさや冷たさを感じる色だ。


 私はちらりと、窓の外を見る。アスファルトのように鈍い色をした雲がどこまでもそこには広がっていて、清涼的な青空を見ることは叶わない。梅雨がその足音を強めた今、本格的な初夏が訪れるまでそれは続くだろう。


 晴れ渡る空やどこまでも続く海を思えば『青』という表現もなくはないのかな、そんなことを思った。


「『青』って言葉にはさ、『若い』とか『未熟』って意味があるだろ」


 私の考えをよそに、岡崎は意外な角度から『青』という言葉にメスを入れた。青を色として考えるのではなく、青という言葉の持つ意味を考える。


 自分が、たまらなく興奮しているのがわかった。


 これまで様々な言葉の意味を考えてきた私と、岡崎が同じことをしているのだ。それはまるで、自身が教えてきたことを吸収していく我が子に対して、母が覚える喜びのように思えた。


「成長真っただ中の植物は『青葉』だし、未熟な奴は『青二才』と呼ばれ、年寄りは若者を見て『まだまだ青いな』だなんてボヤいたりする。成長過程の若者が送る期間の名前に冠するには、ぴったりの色だと思うけどね」


 私の心臓が脈打つ速度を増したことなぞ知らずに、岡崎は続ける。鳩尾にまで届くような澄んだ低い声に耳を傾けている内、段々と私も落ち着きを取り戻した。


 なるほど確かに、『青』という言葉は『未熟』という意味を孕んでいる。十代が持つ特有の未熟さを表現するには、『青い』という言葉は中々に絶妙と言えるだろう。


「色恋を覚え始めた、多感で不安定な若者。その若者はやはり、まだまだ人間としては未成熟だ。そう考えると、僕らの今を『青い春』と呼ぶのは、かなり妥当だと思うけど」


 雄弁かつ冷静にそう語り終えた岡崎の言葉が、私の中に染み入ってくる。それはすんなりと全身に溶けて流れていったが、ある単語だけは何故か弾かれて、そのまま口から漏れていった。


「色恋、ね」


 人とは、未知のものに拒否感を示す。

 私にとって色恋は、まさしく未知のものであった。


「やっぱり刈谷もそういうのに興味あるんだ」


 いつも同じ調子の岡崎にしては珍しく、いたずらっぽいというか嫌らしいというか、とにかくそんな調子でそう言った。慣れていないことなのだろう、自身では気づいていないようだが、その声は普段よりも幾分か上ずっていたと思う。


「別に。興味というか、怖いもの見たさというか、まあそんなとこ。自分の知らないものだから、どんなものか気になるだけよ」

「それを、『興味がある』って言うんじゃないかな」


 岡崎の声が、さらに上ずる。

 彼の言動を諫めるが如く、トランペットの甲高い音がぷわあと外から聞こえてきた。それきり、再び部室に静寂が満ちる。先ほどまでの心地よい静寂が、どこかむずがゆいものとなってしまったように感じる。


 色恋とか恋慕とか、彼も興味がないように思っていたのだが、そうでもないらしい。岡崎も岡崎で、人並みにはそういったものに関心を持っているのだろうか。


「ねえ岡崎」


 背筋にゲジが這いずったようなむず痒さを払拭すべく、意図して強めの声を出す。色気も色香も色恋も無縁の私からどんな言葉が紡がれるのだろうかと、岡崎は先ほどよりも前のめりになって私の言葉を待った。


「『恋』と『愛』の違いって何だろう」


 だがそれも空振りに終わったと悟り、岡崎は体をのけ反らせた。彼の座る椅子から、ぎぃと鋼管の軋む音がする。それはまるで、彼の落胆の声のようであった。


「ああ。恋は下心で愛は真心、だなんて大喜利的な答えは求めてないから」


 落胆の声と様子から察するに、彼は私の意図するところを理解しているだろうが、一応釘を刺しておく。恋だの愛だの、普通ならば甘い話題となること請け合いだが、私の場合はそうではない。岡崎も、それを十分に理解している。


 その意図は勿論、『恋』と『愛』という言葉が持つ意味合いについて考えたいという一点につきる。


「そうだね」


 そう呟いて、岡崎は部室の天井を仰ぎ見る。多くの高校生を送り届けてきたこの校舎に刻まれた、思い出と染みの数を確認しているかのように。


 しばらくの長考の末、岡崎は視線を天から私に向け直し、ゆっくりと口を開いた。


「刈谷。『愛』という単語を使った表現を一つ、ぱっと思い浮かんだものを言ってみてよ」


 あい。

 岡崎の言葉を咀嚼するように、小さく復唱する。なんども噛んで飲み込んでみたとて、まだ愛を知らない『青い』私には、その言葉が持つ意味をあまり理解することはできなかった。


「愛を育む」

「うん」


 けれども、その言葉を使った表現や文章は知識として知っている。その内の一つを吐き出してみると、岡崎は大きく頷いた。その頷きは肯定の意か納得の意か、それとも別物か、いまいち掴み切れない。


「ちなみに僕は、『愛に生きる』って表現が思い浮かんだ。じゃあ次に、『恋』という単語を使った表現を思い浮かべてみて」


 こい。

 また同じように復唱しては、咀嚼する。先ほどの『愛』を飲み込んだ時よりも、すんなりと自分の中に入ってこないのがわかった。喉に小骨が刺さったかのような、異物感すら感じる。


「恋に落ちる」


 それでも私は、一番に思いついた言葉を口にした。

 人は、ふとした拍子に恋することを、『落ちる』と表現する。明るく甘酸っぱい感じのする『恋』という言葉に、『落ちる』というなんとも危なっかしい動詞をつけたす。その言葉の意味は、その言葉の意志は、果たして何なのだろうか。


 落ちるとはなんだろう。

 落ちた先には何があるのだろう。


 青く未成熟な私は、まだそれを知らない。


「奇遇だね。僕もそれが思い浮かんだ」

「これがどうしたっていうのよ」


 『恋』という言葉についてあれこれ頭を悩ませているのがどこか恥ずかしく、色々と出かかった言葉をすべて胃の中へ流し込み、ひどく不愛想な返事をした。


「『愛を育む』という表現も、『愛に生きる』という表現も、どちらも共に能動的だ。自らがそうする、という意味合いを感じる。対して、僕ら二人が思い浮かんだ『恋に落ちる』という表現は、自らの意思によらない感じがする。言ってしまえば、受動的だと思わないか」


 岡崎はそんな私の様子に気づく素振りすら見せず、矢継ぎ早に言葉を続けた。思考が沸く速度に口の動作が追い付いていない、そんな感じが見て取れた。


「自らの意志とは関係のないところで、いつの間にか、気づいたら勝手に、思わぬ内に。『恋に落ちる』という表現は、そんな風に聞こえる。深層心理で人は、『恋』は自分が知らぬ間に陥っているものだと思ってるんじゃないかな。『落ちる』という表現には、そういう意思を感じるよ」


 愛は、能動的。

 恋は、受動的。


 恋とは、自身の意志に関係なくいつの間にか生まれ出ずるもの。自身の知らぬ間に、自身の内に生じているもの。意識の外で生じるその様を、『落ちる』と表現した。


 岡崎の持論は、私の中へ実にすんなりと入ってくる。

 『恋』という存在は私の意識の外にあるのだ。生まれているかそうでないかも、定かでない。だから未知のもので当たり前。そう思えば、『恋』という言葉を咀嚼した時の違和感にも説明がつく。彼の持論は、まさに今の私にぴったりだったのだ。


「それに、『愛』の対象には様々なものがある。家族愛、兄弟愛、師弟愛、とかね。こうして言葉を並べてみると、家族・兄弟・師弟だなんて、独りよがりでないものが多いと思うんだ。つまり、『愛』は一方通行ではなくて、互いに思い合うことなんじゃないかな。そう考えれば、刈谷が言った『愛を育む』なんて表現は実にしっくりくる」


 言われてみると確かに、と私は大きく頷いた。

 一言で『愛』と聞けば、一般に男女のものが想起されると思う。私だってそうだ。けれどそうではなくて、『愛』の形や対象には様々な形があり、多様性を内包している。


「それに対して『恋』は、受動的。独りよがり、一方通行、そんな風に思う。それに『恋』の対象は、いつだって異性だ。ああ、最近じゃ色々な恋愛の形があるけど、今はそれは置いといて。とにかく、『愛』と違って『恋』の対象はただひとつ」


 いくつもの意味を孕んだ『愛』に対し、『恋』はいたってシンプルだ。

 『恋』の対象はいつだって決まっていて、どこか他所を向くこともない。そうなると、『落ちる』という表現にも納得がいくかもしれない。落ちるのはいつだって、下向きだ。上に行くことも、横に行くこともないのだから。

 

「似たような意味に思えて、実のところ本質は真逆のもの。そう言いたい訳ね」

「まあ、そうなるのかな」


 愛は、能動的かつ多方的。

 恋は、受動的かつ一方的。


 こうして並べてみれば、実に真逆の性質を持っていると言える。同じような意味を並べたはずの『恋愛』という言葉は、実のところ正反対の意味の言葉を並べたものだったのだ。



「『恋』はさ。沼のようなものだと思うんだ、僕は」



 その時、あらゆる納得が全身を巡るのを止めた。

 二つの言葉が持つ意味を味わっている中、なんとも納得し難い持論が舞ってきたからだ。


「沼」

「そう、沼」


 心地よい充実感を妨げられた私は、不服そうに彼の言葉を反芻し、吐き出した。納得も理解もなにもかも出来ていない私を尻目に、岡崎は満足げに頷いている。


 思えば、岡崎が自分の方から持論を展開するのは初めてのことかもしれない。私の方が疑問を投げかけ、それに答えるよう理論立てて持論を構築する、それがいつもの光景だったはずだ。


 岡崎の心変わりの理由を考える暇もなく、彼は私からの返事も待たずに続ける。その口調と様子には、いつもの興奮に加えてどこか戸惑いや憂いのようなものが入り混じっているように思えた。


「落ちたら最後、もう抜け出せない。抜け出そうとじたばたすればするほど、ずぶずぶとますます深みに嵌っていく。じゃあこれ以上落ちまいとじっとしていも、それはそれでやっぱり沈み、落ちていく」


 恋も沼も、落ちるもの。

 落ちればどう足掻いたとて、沈み行く未来が決定する。


「『恋』は、『沼』は、落ちたらそれは自らの身動きを制限してしまう。『恋』が、『沼』が、自分の身にまとわりついて離れない。気づいたら、旋毛の辺りまでどっぷりと浸かってしまっている。そう思えば、恋に『落ちる』という表現は実に正鵠を射た表現だと、ぼかぁ思う」


 もがけばもがくほど、『恋』は自らを縛り付ける。動きを止めれば止めるほど、『恋』が自らを囲んで離さない。そういうジレンマにも似たもどかしさが、『恋』にあって、まさしくそれは沼に足を踏み入れたのと同じ状況である。岡崎はそう語った。


 経験のないものだから理解はできないが、腑には落ちた。

 腑に落ちた理由が、十分に説得力のある持論であったからか、それとも岡崎が言ったことだからか、そのどちらであるかはわからない。


「なんだか岡崎らしくないわね、最後のは」

「え」


 ただやはり、らしくない。

 図星をつかれか、それとも思いもよらぬ指摘を受たからか、とにかく岡崎は小さく短い息を漏らし、机を僅かに揺らせてみせた。

 

「岡崎はいつも理路整然と、論理的に、感情論とか抜きにして、言葉の意味を考察していくけれど。最後のそれはどこか情緒的というか。ああ、悪いって言ってるんじゃないよ。ただいつになく詩的だなって思っただけ」


 これまでの岡崎の持論が、物理や数学の数式みたいに理論に裏付けされたものに例えるならば、今回のそれは古典文学のように思える。理論的ではなく、実に叙情的だ。


 言ってしまえば、これまでただ理屈にのみ支配されていたものに、感情論が入り込んできたように思えた。今私が腰かける椅子みたいに強固かつ信頼のおけるものではなく、外に浮かぶ淀んだ雲のよう。気ままに流れ、気ままに姿を変える、そんな不確かさを感じる。


「そうかな。いつもと変わりないと思うけど」

「え、なに。実は体験談とかだったりするわけ」


 この狭い部室の中に、梅雨の嫌らしい湿り気とは違う、心地の良いぬるま湯のような空気が流れたような気がした。私はそれがなんだかまだるっこしく、気まずさのようなようなものすら感じたので、敢えて茶化すようなことを言ってみる。


 私も岡崎も、こういった色恋染みた話をしたことがない。年頃の男女にしては逆に不健全だと言われることもしばしばあるが、私はまだ『青い』のだ。熟すことを、どこか恥ずかしがっている節もある。


「まあ、ね」


 だが岡崎は、そこから一歩踏み出そうとしていた。

 青い彼は青いなりに、春を目指そうとしてる。


「えと、冗談のつもりだったけど」

「はは。まあ僕も一応、『青春』を生きる若者だし」

「そう、ね」


 私は、思いあがっていたのかもしれない。

 言葉の持つ意味を考える喜びを岡崎と分かち合っている内に、彼も私と同等のものだと思い込んでいた。だが彼は、いつまでも『青い』新芽であることを良しとしていなかったのだ。


 恋を知り、その身を恋に落とし、藻掻いている。

 青い彼は、鈍色が落ちる地上から暗く淀む沼に落ち、明暗共存する春を迎えた。


「そうね」


 それを無理やり理解させるよう、もう一度言葉にしてみせた。

 岡崎は今、沼に浸かっている。ただそれだけのことであるのに、心は靄がかかったようにぼんやりとしている。血液の循環が鈍く、視界はどこか遠い。


 この感情は、なんだろう。

 この感情が持つ意味とは、なんだろう。

 この感情に名前を付けるとしたら、なんだろう。


 そういった疑問をいつもぶつけてきた人物にそれを尋ねるのは、やはり躊躇われた。



『最終下校時刻です。部活動を行っている生徒は速やかに下校の準備をしましょう』


 流れる時の川から放り出された私を引きずり込むように、部室の天井に据え付けらえた何世代も前の古びたスピーカーが声をあげた。酸素以外の何か飽和した息苦しい室内に、新しい空気が雪崩れ込んでくる。


「もうこんな時間ね。帰りましょう」

「そうだね」


 私はそれを思いきり肺に入れて、冷静さを装うだけの余裕ができた。意識が彼方から此方へ戻ってくれば、周囲の状況がよくわかる。鈍色の空はすでに夜の帳が落ちかけていて、野球部の掛け声はグラウンドに一礼をするものに変わっており、金管楽器特有の五臓六腑に轟く音も既にない。


 一度白紙に戻すではないけれど、明日になればこの感情も、この感情に対する疑問も、薄れていくことだろう。


「ああ、そうだ。宿題」


 その逃避にも似た思いを打ち消すよう、岡崎はぽつりと呟いた。気が気じゃない私のことなんてこの男は気づいていないのだろうと、理不尽とも言える苛立ちを思わず感じてしまう。


「ああ、そうね。忘れてたわ」

「先生が見回りに来ても困るし、さっさとやろう」


 どの感情から生じたかわからない苦笑いを浮かべながら、岡崎は椅子に深く腰掛ける。馬鹿に丁寧な仕草で手元にあった小説に栞を挟んで鞄にしまい、代わりにルーズリーフ用紙の束が入ったビニールを取り出した。


 その一挙一動が、ひどく滑らかかつ間延びして見えた。

 下校を急かすクラシック音楽がスピーカーから流れているが、もはやそれもどこか遠い。岡崎がビニールの袋を封止している粘着部をぺりぺりと剥がしていく音は、ひどく耳につくというのに。


「今日はどうするのさ」

「私は授業中に考えてたから。それを書いて終わりよ。岡崎も早く書いてよね」


 そう促すと、岡崎は用紙にペンを走らせる。私もそれに倣って、未だ霞む頭を振ってノートに視線を落とした。


 これも私たちの日課のひとつだ。

 互いに自作の単語なり二字熟語なりを作って、相手にその読み方を問う。例えば、『赤服髭爺』などと書いて『サンタクロース』と読ませる、のように。言ってしまえば、一種の言葉遊びだ。


 これをクイズ形式にしてお互いに出題し合って、問題をそれぞれ持ち帰る。そして次の日に答え合わせをする。実に文芸部らしいと言えよう。私たちはこの日課を、『宿題』と仮に名付けたわけだ。


「あれ、すんなり書けたわね」

「下校時間だしね。ぱっと思いついたものだよ」


 ペンを走らせるのも数秒、岡崎はすぐに紙を四つ折りにして私に手渡す。先ほど彼から『恋』だの『愛』だのと聞いたせいだろうか、それともここが放課後の部室だからだろうか、とにかくその仕草がどこか恋文を渡すそれに見えて仕方がなかった。


「ちゃんと考えたんでしょうね」

「考えたよ。考え抜いたよ。でも刈谷なら読めると思う。というか、刈谷以外には読めてほしくもないし、読んでもほしくないかな」


 いまいち要領の掴めないことを、岡崎は捲し立てるように言う。これもまた、岡崎らしくない言い回しのように思った。はっきり過程と結論を述べる彼にしては、遠回しかつ濁った、もやもやとした言い方だ。


 先ほどの件といい、この暗く湿った梅雨の毒気にあてられてしまったのではないかと思えてくる。


「なにそれ」

「ヒントだと思ってくれればいいよ。僕もヒントあげたんだから、刈谷もヒントくれよな」

「あなたが勝手に言っただけじゃない。駄目よ」


 だが、減るもんじゃなしと言って笑ってみせる彼の表情には、毒気はない。長雨に濡れた地面をも枯らす、陽のような笑顔とすら思える。


「さ、帰るよ」

「ええ」


 湿気でかびたのは私の頭の方かもしれない、思い過ごしか、などと考えながら私は岡崎と共に部室を後にする。がたのきた部室の扉に苦戦しつつも、なんとか施錠を終えた。


 その時ようやく、私は元居た世界へと帰還したような錯覚に陥る。

 扉が閉まる音が私をこちらへと引き戻してきたような、そんな感覚だ。先ほどまで私の中に居座っていた、現か幻かわからぬ奇妙な浮ついた感覚。それが指と足の先からじわりと抜けて、暗く伸びた廊下の陰の中へと消え入った。



「宿題、忘れないでよ」



 体の中に僅かに残った搾りかすのような感覚が、岡崎の言葉に共鳴して小さく震えるのを、私は確かに感じた。



 ◆



 自宅へと帰ってきてすぐ、私は宿題に取り掛かった。

 岡崎の出した『宿題』ではなく、本当の意味での宿題だ。明日の一限には数学の授業があって、そこで課題の提出があったのを先ほど思い出したためである。


 小学校時代から愛用している、素朴にも重厚にも感じる学習机。そこに重い腰を預け、デスクライトに明かりを灯す。蛍光灯の光の乏しい自室内で、その光はやけに眩しい。私を戒めるかのように、机の上に置かれた教科書とノートを照らした。


「はあ」


 大きく吐いた溜息が、ノートを捲る。

 気づけば、そこにはびっしりと計算やら数式やらが刻まれていた。はてと思い、時計を見る。集中して課題へ取り組んでいる内に一時間ほど経過したぞ、と二本の針が私に教えてくれた。


 集中が切れたところで、またして物言えぬ感覚が私を襲う。

 頭蓋骨の裏側にこびりついた岡崎の言葉が、姿が、笑顔が、再び剥がれ落ちてきたのだ。沼で藻掻いているという彼の言葉を思い出し、その記憶が刃物となって私の胸を刺す。


 岡崎が落ちた沼は、いったい誰なのだろう。

 彼は言っていた、『恋は一方通行である』と。彼の矛先は、どこへ向けられているのだろう。それを思う度に、刃は私の中に深く沈んでいく。


「宿題」


 先ほどの数学の課題のように没頭できるものがないかと考えた時、ふと『宿題』の存在を思い出す。学校から提出を求められた課題ではなく、私と岡崎が日課としている『宿題』の方だ。何かしら頭を使っていれば、この感覚も忘れられるだろう。


 鞄の底の方へと追いやられていた四つ折りの紙を見つけ出し、手元でゆっくりと開いて、光の下へ曝け出した。


「なによ、これ」


 そこに綴られた一文字から、私は思わず目を逸らした。

 岡崎の出題した、自作の読み問題。その読み方を、私は知っている。



『でも刈谷なら読めると思う。というか、刈谷以外には読めてほしくもないし、読んでもほしくないかな』



 その文字がちらりと目に入った瞬間、岡崎の言葉が何度も頭の中を流れていく。きりきりと痛む心臓と頭を必死に抑え込んで、その言葉が意味するところを考える。


 これは、そういうことなんだろうか。

 これは、そういう意味なんだろうか。

 これは、そういう意図なんだろうか。


 それを確かめるべく、綴られた一文字に目を通す。それはまるで、見てはいけないものを見るかのような、恐怖と期待の入り混じった、背徳感のある行為のように思えた。


 やはり、私にはこの漢字の読み方がわかる。

 そしてそれは、私に向けられたものなんだろうか。


 岡崎。この言葉の意味、ようやく私にも理解できた。岡崎が言っていた持論は、残酷すぎるほどにその本質を捉えていたと思う。



こい



 だけどやはり、『青春』という言葉だけはしっくりとこない。


 だって私の頬は今、夏の陽に照らされたみたいに、紅いだろうから。

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