Last D・J

大田康湖

Last D・J

 1990年12月28日金曜日、PM9時55分。

 さっきから青年は、ベンチに座ったまましきりに時計を気にしていた。小雪ちらつく駅のホームの、ありふれた風景だった。が、青年の手はポータブルカセットプレーヤーのボタンにかかったまま微動だにしていない。

 青年は、この年頃の若者の多くがあこがれる東京へ出て行き、そしてまた、多くの者が辿る失意の帰路の途中だった。この駅で電車を乗り換えれば、故郷の町に着く。

 PM9時59分。青年はプレーヤーのチャンネルをラジオに合わせた。地元のローカル局である。まだ彼が家と高校の往復しか知らなかった頃、このラジオ局は彼の良き隣人だった。

「これで、『中学生のスタディルーム』を終わります。引き続き、『まり子のナイトキャップ』でお楽しみ下さい」

 いつものようにアナウンスが流れる。青年は久しぶりに胸のときめきを感じた。『まり子のナイトキャップ』は彼のお気に入りの番組だった。

 局アナの中でもアイドル的存在だった野面のづらまり子のDJは、しゃくり上げるような笑い声が特徴で、他愛もない冗談ハガキで進行が中断してしまう事もしばしばだった。その代わり、小さな悩みでも真剣に考えてくれる一面もあり、リスナーにも好評だった。

 ラジオの時報が10時を告げた。久しぶりのテーマソングを聞きながら、青年はまり子の声を待っていた。

「こんばんは、野面まり子です。『まり子のナイトキャップ』今夜が最終回になります。そして、 私のアナウンサーとしての仕事も……」

 青年は、息をのんだ。

「これまでの五年間、私のおしゃべりに付き合ってきてくれた皆さんに感謝の意をこめて、 今日は今までの放送の中から、思い出のシーンを流したいと思います。テープの用意はいいですか?」

 プレーヤーに入っているカセットテープの中身を確かめる気も起こらず、青年は無意識のうちに録音スイッチを押していた。

「2番ホームに列車が入ります。白線の内側まで下がってお待ちください」

 青年が乗るはずだった列車がホームに止まった。が、彼はぼんやりと見送っただけだった。イヤホンを通して入ってくる音に全神経を尖らせていた彼には、座っているベンチの硬さしか感じられないようになっていたのだ。

 ハガキのおもしろさに笑いが止まらず、その日は番組にならなかった「まり子30分笑いまくり事件」、まり子の取りあげた手紙がきっかけで番組で初恋の人が名乗り出た、「カナとアキオ事件」、学校の標語かるたの話題から広がった、「カルタ迷語録」のコーナー、etc……。彼の記憶にあるものもないものも、まり子のさざめく声と共に、回転するテープに収まっていった。

「お楽しみいただけましたか? 最後に、私のとっておきのハガキを読ませて下さい。今から二年前、3月5日の消印が押してあります。××市の……」

 テープが反転した音で、良くペンネームが聞きとれなかった。放送は本文に入っている。

「……まり子さんのDJを聞くのも今夜が最後になりました。僕は明日、専門学校に入るため東京に出発します。今までずっと聞くだけだったけど、まり子さんに一言お別れが言いたくて、 最初で最後のハガキを出します。

 僕は三年間ずっと、夜十時になるとラジカセの前でまり子さんの声が流れるのを楽しみにしていました。修学旅行の時にも弟に録ってもらったくらいです。まり子さんの笑い声が特に好きです。たくさんの常連さんともすっかりおなじみになりました。でも、それも今夜で終わりです。

 東京で何が僕を待ってるかとても不安だけど、まり子さんのDJのように明るく、暖かい心を忘れずに勉強したいと思います。そして里帰りした時には、また僕にすてきな声を聞かせて下さい。それでは、いつまでもお元気で」

 途中から青年は気づいていた。それが自分の文章だという事に。今聞くとまことに情け無い文章だが、真剣な思いがあふれていた。

「ケイジ君、そして、今まで聞いていてくださったリスナーのみんな、ごめんなさい。私は、一身上の都合で引退します。この五年間、自分の番組を持てて、こんなに大勢の人に出会えて、しあ、しあ……」

 最後の「あ」が、しゃくり上げるような声になった。が、そこからなだれ出たのは笑い声ではなく、泣き声だった。

 数分後。ようやくまり子は声を整え、しゃべり始めた。

「ごめんなさい、取り乱しちゃって。リクエストに行きます。たくさんの人からいただきました。徳永英明さんで『壊れかけのRADIO』」

 音楽が流れだした。青年は顔を上げた。プレーヤーのイヤホンを外すと、叫んでいる車掌の声が飛び込んできた。

「1番ホームに入ります列車は、上野行きの寝台特急『あけぼの』です。お乗りの方は……」

 青年はバッグを肩にかけ立ち上がった。このブルートレインに乗れば、翌朝には東京に着くはずだ。

(まだ二年じゃないか。まり子さんは五年やったんだ。俺も、もう少し頑張ってみよう。あのハガキに書いたように。切符は……どうにかなるさ)

 人影もまばらなホームに、地響きをたてて列車がやって来る。青年はイヤホンをはめ直したが、歌は聞きとれなかった。

                 end

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