射聖伝

神崎 ひなた

射聖伝

 ここはマラカイト王国。みんなが自分の性癖をオープンに語りあったり、同人誌の即売会で盛り上がっている平和な国です。


 ――しかし、突如としてその平穏は崩壊ッッッ!!!


「うーむ、こいつは参ったのう」


 王様は、前線の防衛砦から平原を見下ろしておりました。そこは平常であれば吹きすさぶ風に青草がそよぐ、美しい光景が広がっているのですが、今となっては見る影もありません。甲冑を身にまとった精強な兵士が、ずらりと並んでいるのです。


 ――その数、およそ三万。


「伝令! 伝令申し上げます!」


 王様の元に、兵士が現れました。しかし満身創痍で、顔中血だらけでした。片方の腕はだらりとして、折れているであろうことが伺えます。

 彼はこの大群を率いる公王へ、使者として遣わされた者でした。


「よく戻った。しかしその様子では、あまりいい知らせとは言えなさそうじゃな」


「はっ! 公国軍は我々の要求を拒否! 王には……「その首をもらい受けに行くまで待っておれ」と……そして我々に攻撃を……」


「やれやれ。禁欲の果てに魔王に成り下がってしまったか……」


 この世界では欲望を溜めすぎると人ならざる者――魔物となってしまいます。一国の王ともなれば、より格の高い魔物――つまり魔王となってしまうのです。


「はぁ……今日は妃にメイド服を着てもらう予定だったのに台無しじゃ」


 王様の呟きは悲痛に満ちていて、兵士も傍にいるだけでなんだか悲しくなってしまいました。本当にコイツが王様で大丈夫だろうかと不安になりますが、しかし、マラカイト王国はそういうところでした。


「しかし王よ。こうなってはもはや開戦は避けられぬかと。急いで兵の手配をした方がよろしいのでは」


「それができれば苦労せんわい。お主、同人誌即売会が明後日に控えておるのだぞ?」


 同人誌即売会は、マラカイト王国で毎月行われるお祭。世界中から様々な人種が集まり、誰もが性癖を解放して乱舞する様は圧巻の一言です。

 兵士の中にもカミエシクラスの作家が大勢おり、同人誌即売会が明後日に控えている今、国の守りは手薄でした。公国軍はそれを承知で、このタイミングに挙兵したのです。狡猾ですね。


「し、しかし公国軍はどうするのです!? 連中、今にも攻めてきますよ!」


「それなんじゃよなぁ」


 挙兵すれば同人誌即売会どころではない。

 しかし、兵を出さねば国が亡びるのを待つだけ。


 ――その時でした。

 三万の軍勢を横切りながら、星条旗せいじょうきを掲げた堂々たる騎士が現れたのは。


「まさか……まさか余は、夢を見ているのか……?」


 王様も、兵士も、同時に口を開け、茫然ぼうぜんと立ち尽くしました。彼らの眼が狂っていなければ――確かに、数多の星が、戦場の風にひるがえっているのでした。そう錯覚するほどに、騎士の掲げている旗は巨大なのでした。


「はっはっは! 誰だか知らんが、とんだ阿呆がいたものだ! 三万の軍勢を前に!? たった一人で!? 立ち向かうとはなぁ!!!」


 最前列の公国兵が、声高に笑いました。そうして、地面に突き刺していた2mほどのハルバードを軽々と振るいます。


「どれ、いっちょお手並み拝見といこうじゃねぇか!」


 公国兵は、のっしのっしと力強い歩幅で星条旗の騎士に近づきます。

 しかし、


「え……は……ちょ、そん、え、なんで……」


 哀れな公国兵は、ぶるぶると震えながら、その甲冑に刻まれた文字を確かに見届けました。


 ――みるきんぐ先生LOVE。


 いくら世界広しといえど、こんな文字を掲げて戦場に君臨できる者は、たった一人しかおりません。


「や、や、や、や、ヤマトだぁァァァァァァァ!!!!!! 射聖士しゃせいしヤマトが出たぞォォォォォォォ!!!!」


 それが公国兵の断末魔となりました。ショックのあまり死んでしまったのです。

 動揺は、瞬く間に公国軍に広まりました。


「バカな! なぜヤマトがわが軍に!?」


「ひぃぃぃ! まだ死にたくない! 死にたくない!」


 戦場を巡る悲鳴を引き裂くように、星条旗の騎士は高らかに宣言します。


「俺の名はヤマト。この戦争を止めるべく参上した!」


「ヤ、ヤマト…! まさか、実在したとは……」


 王様は、目の前で起こっていることが信じられませんでした。

 ――射聖士ヤマト。

 この世界で唯一の射聖の妙技を操る者。絶大なる個でありながら、どんな戦力にも属さず、孤高に世を駆ける伝説の騎士。

 かつて魔王を屠った勇者とも呼ばれる存在で、今は隠遁生活を送っている彼が、どうしてこの場に。


「おお、見よ。三万もの兵が――真っ二つに、割れている」


 王は、射聖書で語られるモラセの一説を思い出しました。ヤマトが一歩進むたびに、公国兵が怯えて道を譲ります。それはまさに、割れる大海を想起させるが如き光景でした。

 ――しかし、公国軍には彼がいました。


「ふん、お主がヤマトか。面白い! たった一人で三万の兵に立ち向かうか!」


 超然としてヤマトに立ちはだかったのは、公王シコルスキーその人でした。その体格はゆうに三メートルを超え、魔王の力よって暗黒の進化を遂げていることは明らかです。


「兵を引け。今ならまだ間に合う」


「小童が! ……と、言いたいところだが、いいだろう。お前の器量に免じ、ここはひとつ賭けをしようではないか」


 公王はにやりと笑って、公国軍の本陣を指さしました。


「我が本陣の軍旗を、お主の射聖とやらで打ち抜いて見よ! さすれば、余は兵を引こう。だが、外した場合には……」


「どうとでもするがよい」


 ヤマトは静かにそう告げた後、星条旗を地面に突き立てました。そして、自らのげきを握りました。

 公王は一瞬、その大きさにおののききましたが、すぐにやりと笑みを浮かべて前線を後にした後、こっそりと前線を後にしました。


(馬鹿が。射聖士だか勇者だか知らんが、こんな罠にかかるとはな)


 公王は、軍旗の前でこっそりと暗黒魔術の詠唱を始めました。つまり彼は、こう考えていたのです。


(射聖など、余の暗黒魔法で打ち消してくれるわ!)


 そんな企みが裏で起こっているとも知らないヤマトは、静かに目を閉じて、神妙に何かを呟きながら、戟をさすり始めます。

 ――するとどうでしょう。最初、ただの戟であったそれは、見る見る内に青龍戟せいりゅうげきり――さ、さらに、方天画戟ほうてんがげきへと怒張していくではないか!?


 その場にいる誰もが妙技に圧倒されている時、どこからか声が聞こえてきました。


(ふふっ。たったこれだけのことで期待しちゃうんですか? 情けないブタですね)


「こ、この声は……幻聴!?」


「い、いや、俺にも聞えるぞ! いや見えるッ! ヤマトのすぐ傍に、メイド服の少女が……!」


 ――形象拳。

 古来より、動物を真似て拳法の型とする妙技です。達人の形像拳であれば、あたかもその動物が目の前にいると錯覚するほどだといいます。


 しかし、しかし、ヤマトが見せた妙技はそれを遥かに凌駕していたッ!!!


「これは……涙!? 俺は泣いているのか!?」


 もはや、その場にいる誰もが心を一つしていました。誰の目にも同じ声が、誰の眼にも同じ姿の少女が映っていました。メイド服を着た年下の少女が(それは概念的に誰にとっても年下の少女なのでした)、しきりにヤマトへと卑猥な罵倒を浴びせているのです。


「あれはまさか、みるきんぐ先生の短編集に収録されている円城寺朱音ちゃんではあるまいか!?」


 そう。そうなのです。ヤマトはみるきんぐ先生の絶対的なファンであり、彼の発行する同人誌を必ず三冊購入していました。

 彼は、みるきんぐ先生の同人誌に登場するキャラクターには輝きがあると信じていました。そして、彼の信じる心が――真っすぐな信仰こそが、今まさに、射聖となって顕現し、方天画戟から放たれようとしているのです。


「やはりメイドのあるべき姿は……素直になれない罵倒系だよねッッッ!!!!」


 ヤマトの号哭が平野に響き、方天画戟から鋭い光が飛び立ちました。ヤマトの想いが形となり、一筋の光の矢となって、戦場を駆けます。


「ひゃははは! バカがよぉ! 貴様の妙技は、余の前に敗れ去るのだ!」


 しかし、軍旗の前では、既に暗黒魔法を展開した公王が、意気揚揚と勝ち誇っています!


「ひゃはは……ひゃは……ひゃ……ヒャハアアアアア!?」


 暗黒魔法は通常の魔法とは一線を画する強力な効果を持っています。しかし、それは所詮暗黒の力。ヤマトの射聖とは、そうした悪しき力を断つための力だということを、公王は知らなかったのです。

 そして、彼がそれを知る機会は二度と訪れませんでした。

 公王は一瞬で白濁に染まったかと思うと、暗黒魔法ごと木っ端みじんに爆裂四散! 辞世の句すら読む暇がありませんでした。


――ズドン。


 そして射聖の一撃は、公国軍の軍旗のちょうど真ん中を、力強く打ち抜きました。


「ひ、ひいいいいいいい!! 逃げろ!! 逃げろぉぉぉぉ!!!!」


 公王を失った公国軍は、もはや烏合の衆。目の前で起こった奇跡に圧倒されたつわものに、闘う気概など残ったはずもなく、めいめいに「俺……メイドさんっていまいちピンと来なかったけど改心しそうだわ」「メイドさんに罵倒されたい」「はやく家に帰って致したい」「みるきんぐ先生信徒になりそう。なったわ」などと声を上げて一目散に逃げていきました。


 王は大喜びで、ヤマトに大声で呼びかけます。


「よくやってくれたヤマト! 国民を代表してお主の功績を称えよう! なんでも望むものを申すがよい!」


 しかし、ヤマトは小さく首を横に振るだけでした。


「不要。俺はみるきんぐ先生の新刊が読めればそれでよい」


 救国の英雄は星条旗を翻して王に背中を向けました。

 そうして草原の中でぽつりと、思い出したように呟きました。


「またつまらぬ星を集めてしまった」


 ――射聖伝。

 それは天下無双の力を持ちながら何にも属さず、ただ孤高に射聖の星と、みるきんぐ先生の新刊を追い続けた、とある勇者の物語。





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射聖伝 神崎 ひなた @kannzakihinata

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