パンデミックが収束したから、ボクたちは日常を取り戻すために必死なんです。

たかなん(花楽下 嘩喃)

パンデミックが収束したから、ボクたちは日常を取り戻すために必死なんです。

 マヤ暦によれば二〇二〇年三月二〇日に人類が滅亡するだとか何だとか……そんな終末論がボクたちの間でもまことしやかに囁かれたりしたのだけれど、七月も終わろうというのに人類はいまだに生き残っている。

 滅亡こそしなかったものの、二月から六月くらいにかけて世界中で新種のウイルスが猛威をふるい、何十万人もの犠牲者を出した。マスクが売り切れたりなぜかトイレットペパーが買い占められたりして、世界中が訳のわからない混乱に堕ちていく中で、もしかしたらこれって『終わりの始まり』なんじゃないかと心配になったりもしたのだけれど、それでもどっこい人類はまだ生きている。


 日はだいぶ西に傾いたけど、日没にはまだ遠い。今日もまた猛暑日だったらしい。冷房の効いた教室では、真夏の熱気も感じようがないのだけれど。

 校舎を出ると猛暑の残滓ざんしがまとわりついてくる。不快な熱気に眉をしかめながら校門にさしかかった所で、背後から涼子が駆け寄ってきた。

「待って! 一緒に帰ろうよ」

 追いついてボクの肩に手をおき、息を整える。

「おまえ、補修じゃなかったっけ?」

「えへへ。宿題にしてもらったの」

 そう言いながら涼子は、カバンからプリントの束をつかみ出す。

 うちの高校は、この辺じゃ一番の進学校だ。パンデミックがひとまずの収束を迎えると、九月始業議論の決着を待たずして先陣を切るように授業を再開した。

 本来であればいまは夏休みと呼ばれる時期だけど、ボクたちは学校に通い、遅れた授業を取り戻そうとしている。夏休みの登校という非日常の中で、日常を取り戻そうと足掻いているのだ。

 そう、ボクたちの心配事はすでに、世界滅亡から一学期と夏休みが入れ替わってしまったことにシフトしている。いや、シフトさせようとしていると言った方が正しいかもしれない。一日も早く日常を取り戻そうと、みんなが必死なのだ。

「まぁ、頑張れや。八月中に巻き返さないと、後がしんどいぞ……」

「優等生さんは、余裕ですのぉ……」

 涼子の嫌味に肩をすくめると、二人肩を並べて緑に囲まれた帰路を歩き始める。


 ボクたちはまだ、非日常の中に居る。

 四ヶ月も見えない恐怖に怯えながら引きこもっていた影響は計りしれず、経済だって停滞してしまっているし、精神的に不安定になっているヤツだって多い。人が集まるイベントはいまだ自粛したままだし、お盆休みも帰省や外出の自粛が求められている。テレビじゃこの期に及んでもまだ不安ばかり煽ってるし、ラジオじゃいまだに「ステイ・ホーム、ステイ・チューン」とか巧いこと言っている。そしてスーパーやドラッグストアじゃ、いまだ事あるごとにトイレットペーパーが売り切れるのだ。

 日常は遠きにありて思ふもの……などとうたった詩人が居たかどうかはさて置き、当たり前のように在ったはずのボクたちの日常は、とても遠くへ行ってしまったように感じる。


 むせ返る木々の匂いに辟易へきえきしながら、二人して帰り道を急ぐ。しかし突然のように、涼子が立ち止まって脇道を指さす。

「ねぇ、寄ってかない?」

 指さした先は神社の参道で、少し行くと大きな鳥居の先に石段が延々と続き、登りきった高台に神社の本殿が在る。

「寄ってくって……神社に?」

「そう。あそこ眺めいいじゃん」

「このクソ暑いのに、何百段も登るの?」

「運動不足でしょ? 頑張ろう!」

 押し切られるようにして参道を歩き、石段を登り始める。獣道のような細い小道に敷かれた石段だ。周囲の緑は濃く、両脇の木々が参道に張りだしていて歩きにくい。噂ではこの山には野生の鹿が棲んでいて、神の使いと見られているそうだ。だけど残念ながら、いまだお目にかかったことはない。

 陽の光が木々にさえぎられているせいか、それとも霊験あらたかな地へ立ち入ったせいか、弛緩した夏の空気が引き締まったように感じられる。生い茂る緑の匂い、そしてしっとりと湿った土の匂い……植物の匂いなんてこの一ヶ月で嗅ぎ飽きてしまい不安しか憶えないけど、この参道に満ちる空気はなんだか安心する。


 流れる汗を拭いながらたどり着いた高台に人の気配はなく、木々のざわめきを背景にひぐらしの声だけが鳴りひびいていた。

 渡る風に心地よさを感じながら、振りかえって夕日に照らされた街を眼下にのぞむ。この高台からは、コンクリート造りのビルが立ち並ぶ街の中心部が一望できる。

「いつ見ても、信じられない風景だよね……」

 いまだ整いきらぬ息を弾ませながら涼子が言った。その言葉に、ボクは小さくうなづいて同意する。

 眼下に立ち並ぶ背の低いビルの群……そのいずれもが例外なく緑に覆われている。緑地が多いとか街路樹が多いだとか、そんなありきたりな風景の比喩なんかじゃなく、文字通りどのビルも緑に覆い尽くされているのだ。こけがむすように、つたがはうように、すべての建造物が何らかの植物に覆われて緑色に染まっている。

「何が起こっているんだろうな……」

 現実離れした風景に、思わずそんなセリフが口をつく。まるで打ち捨てられて何十年もたってしまった街のようにも見える。だけどこの街は廃墟なんかじゃなく、不安に怯えながらも大勢の人たちが生活を営んでいる生きた街なのだ。


 うっすらと緑の汚れが付着している……最初はそんな風にも見えた。電柱や建物の表面に付着した緑は瞬く間にその濃さを増し、その範囲を広げ続け、数日の後には苔状の植物だけでなく蔦のような植物も見かけるようになった。

 日本中の、そして世界中のいたる所で、同じ現象が起こっているのだという。植物の成長速度は驚異的で、所かまわず緑で覆いつくしてしまう。たったの一ヶ月間で、世界中の都市は緑一色に染まってしまった。

 特に路面に育つ植物が厄介で、緑色の雪が降り積もった状態……とでも言えば解りやすいだろうか、車の走行に大きな支障をきたしている。

 すでに物流にも影響が出始めていて、このままでは食料品を始めとした物資が不足することは目に見えているし、スパーもコンビニもすでに慢性的な品不足だ。ヘリでの物資供給や配給制度なんかも、しきりに議論されているところだ。


 かすかに震える手を伸ばし、涼子がそっとボクの手をにぎる。

「どうなっちゃうんだろうね……これから」

 並んで街を見下ろす彼女の横顔は、いまにも泣き出しそうだった。

「解んないよ。なるようにしか、ならないだろ……」

 我ながら、間の抜けた答だとは思う。でも、仕方ないじゃないか。この先に何が待ち受けているかだなんて、ボクに解るはずがない。いや、世界中の誰にだって、きっと解らないはずだ。

 ネットでは、様々な憶測が飛び交っている。研究中のバイオ兵器が漏れ出したとか、宇宙から未知の植物が飛来したとか、宇宙人の侵略が始まったとか、あの植物自体が宇宙人なのだとか……。

 自己増殖型のナノマシンが暴走して増え続けているという説は、意外と説得力があるんじゃないかと思う。目に見えないほど小さなナノマシンが、せっせと植物が育つ環境を整えているのだと。けれどもこれが本当だとすると、地球上の炭素やケイ素を使い尽くすまで指数関数的に増え続けることになってしまうので、単なる憶測であってほしい。


 この奇妙な緑化は、さらに大きな不安要素を抱えている。いま増殖を続けている表面を覆う植物だけじゃなく、もしも内部に根を張る植物が発生すれば、あの驚異的な成長速度であっという間に建造物を破壊してしまうのではないかと危惧きぐされている。

 どこかの国ではすでに、三日でビルを破壊する植物の存在が認められたのだとか何だとか……まぁ、信憑性の疑わしいネットの噂ではあるのだけれど。

 もしも破壊するタイプの植物が増え始めれば、すべての建造物は崩壊の危機にさらされる。結果ボクたちは、築き上げてきた文明圏から追い出される……なんて羽目になりかねない。

 コロナ禍で引きこもることを余儀なくされてきたけど、今度はそこから追い出されるかもしれないだなんて……冗談もいい加減にしてほしいものだ。


 不安気に添えられた涼子の手を、ボクは力づよく握りかえす。

「大丈夫だよ。きっと大丈夫」

 もちろん、根拠なんてない。

 けれども、信じるしかないのだ。大丈夫だと信じながら、新しい日常を生きていく……ボクたちにできる事なんて、それくらいのものだ。

 涼子がボクを見上げている。やがて強張った表情を緩ませ、そっと目を伏せる。

「そうだよね。大丈夫だよね……」

 つぶやいて涼子は、少し笑った。

「せっかく来たんだし、お参りしていこうぜ」

 手をつないだまま二人、拝殿へと向かう。

「何をお願いするの?」

 ポケットに賽銭を探りながら、涼子の言葉にしばし考えを巡らせる。

「……世界平和、かな?」

 とぼけた答に、また少し涼子が笑みをこぼす。

 賽銭箱に五円玉を投げ込んで、綱を引いてガラムガラムと鈴を鳴らす。

 本当は、世界平和なんて願うつもりはない。そもそも神社で、願い事なんてするべきじゃないのだ。神の前では、誓いを立てるべきだと思っている。もしも願いごとをするのなら、誓いを確たるものにするための力添えを願うべきだ。


 神の前に進んで二礼二拍手。

 ボクは誓う。

 どんな未来が待ち受けていても、希望を捨てずに生きていくことを。

 ボクは願う。

 未来に立ち向かう勇気がほしいと。

 一礼し、拝殿を後にする。


 石段の前に差し掛かり、暮れなずむ街を見下ろす。濃緑に彩られたビルの群が、いままさに闇に溶けようとしていた。

 かつての日常を取り戻そうとすることは、もしかすると間違っているのかもしれない。いま生きている日々こそが、新しい日常なのだ。ボクたちはきっと、新しい日常を受け入れるべきなのだろう。

 涼子の手を、ギュッと握りなおす。

「帰ろうか……」

 声をかけると、涼子は小さく微笑みを返してくれた。

 ボクたちは夕闇に沈んでしまいそうな石段を、二人ならんで下り始める。


(了)

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