第6話 異端のレースと男の役割 

 実のところ、キタサンブラックの競争生活の中で菊花賞というのはかなり異端いたんなレースであったと言える。スタートで先行を自重し中団グループでスタミナを温存、最後の直線で末脚を爆発させライバルと叩き合って競り勝つというスタイルを見せたのは後にも先にもこの一回きりである。

 他に新馬戦で後方追走からの抜けだしを図った例もあるが、この時は騎手もキタサンブラックのことを理解し切っておらず、まだ探り探りで走っていた頃であるため同一の例であるとは言い難い。また五歳秋の天皇賞ではスタートに失敗(ゲートに頭をぶつけてしまった)して後手を踏んだケースもあるが、この時は鞍上の武豊騎手がそれでも強引に不良馬場のインコースに突っ込んで位置を押し上げていったため、これも菊花賞とは状況が異なっている。


 筆者は菊花賞でのキタサンブラックの走りを「二度と同じようにできない、その時限りの走り方である」と評してネットの掲示板に書き込んだことがある。実際、先述したケースをのぞいてキタサンブラックの走りはことごとく逃げあるいは先行でレースを進めるスタイルを貫いている。スタートを決めて先手を取り、レースを自分の思いのままに支配してそのまま押し切る、「競馬のお手本」とさえ呼べるようなレースぶりで並み居るライバルたちを蹴散らしてきたのがキタサンブラックの競馬なのである。それを考えると、菊花賞でのレースぶりはどちらかといえば弱気にさえ映るかも知れない。



 しかし、当時のキタサンブラックは一つの壁に直面していた。デビュー以降スプリングステークスまで順調に出世街道を歩んでいたキタサンブラックであったが、皐月賞での惜敗、ダービーでの惨敗を経験し、ドゥラメンテという強力なライバルの存在に怯え、どこか足がすくんでしまっていたのかもしれない。事実、キタサンブラックは現役時代にドゥラメンテと三度対戦して一度も先着することが出来なかった。

 だから、そんなキタサンブラックを果たしてどこまで信頼したらいいものか、ファンも周囲も、何よりもキタサンブラック自身がよく分からなかったのではないだろうか? キタサンブラックは四歳秋の京都大賞典きょうとだいしょうてん(芝2400m。G2)になるまで一度も一番人気に支持されたことが無かったのであるが、それもどこかでファンがキタサンブラックのことを疑っていた証拠と言えるかもしれない。



 そんな中で、キタサンブラックの主戦騎手であった北村宏司騎手は恐らく悩みに悩みぬいたに違いない。もちろん、本心としてはキタサンブラックの持つ底力を信じていたい。しかし、信じるにはあまりにも材料が少なすぎた。そんな中で3000mという未知の距離を走らなければならない菊花賞を制するにはどうしたらよいのか? その答えがあの菊花賞での戦術だったのである。

 普段のスタイルは一時的に封印し、先行を控えて中団で待機。焦ることなくマイペースを固持、一歩一歩手応えを確認しながら慎重にレースを進め、確かな勝機を見出すまで耐えに耐えて、相棒たるキタサンブラックを勝利へと導く。それは決して弱気な戦術ではない。どこまでも手堅く、壁に直面していた悩める相棒をしっかりと迷路の出口へと導く、隙のない完ぺきな勝利への方程式だったのである。

 キタサンブラックが菊花賞を勝利したその時、実は北村騎手に定められていた「役割」というものは終わっていたのかもしれない。

 キタサンブラックの引退セレモニーに出席していた北村騎手の顔には笑顔以外浮かんでいなかった。そこには主戦騎手を途中で辞めざるを得なかった寂しさや悔いなど一切なかった。



 キタサンブラックの勝利した2015年の菊花賞。それは自信を失いかけていた一頭のサラブレッドが一人の男の手に導かれて迷いを乗り越え、父も祖父もたどり着けなかったはるかな高みに至るための手がかりを見つけた、大切な第一歩だったのである。

(了)

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壁を乗り越えて ~父と祖父と、なによりも自分のために 緋那真意 @firry

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