三角の殺人~寛政捕物夜話5~

藤英二

(その1)

「ああ」

「おお」

「いい」

感極まった女の声と、裏返った男のかすれ声が、からみあって延々と続く。

どすんどすんと床を打ちつける音がして、

「あああ・・・」

「ううう・・・」

「いっちゃうよう」

獣じみた男と女の平仄を合わせた大きな声が、床下にも響いた。

あとは、ささやく声が長くしたが、よくは聞こえない。

やがて襖を開ける音がしたので、浮多郎は顔の蜘蛛の巣を剥がしながら、床下を這い出した。

茶屋の門を粋な綸子の羽織の色男が先に出て、華やかな振袖の女が三歩さがって池の端を歩く。

広小路で女は駕籠を拾い、色男は上野山下方向へ足取りも軽く歩く。

女の行き先は分かっているので、色男のあとをつけようとすると、ひょっとこ面を被った男が不意に横から現れた。

ひょっとこ男は酔っているのか、千鳥足でふらつきながら、色男に近寄って肩を抱いた。

そのまましばらく並んで歩いていたが、やがて綸子の羽織の男がその場に崩れ落ちた。

「きゃあ~」

向こうから歩いてきた女が悲鳴をあげた。

浮多郎が駆け出すと、ひょっとこ面を投げ捨てた男が、人込みの中へ駆け込んでいった。

抱き起すと、心ノ臓に匕首が突き刺さったまま、・・・色男は絶命していた。

『いくら養父の頼みとはいえ、こんな男女の密会をさぐる仕事などすべきではなかった』と、浮多郎は今になって悔やんだが、後悔はいつも先に立たない。

―日本橋の呉服屋・越路屋の隠居が、泪橋に政五郎をたずねて来たのがはじまりだった。

呉服で財をなした主の松太郎は、内儀を亡くしたのをきっかけに、若くして隠居して趣味の水墨画に励むようになった。

が、ひょんなことから浜町の足袋屋の娘のお勝に惚れ込み、後添えに迎えた。

お歯黒もせず、いまだに振袖を着た若い嫁は、取り巻きの若い男たちと遊び歩いている。

「惚れた弱みで好きにさせてはいるが、悪い男に騙されると可哀そうなので・・・」

松太郎は、男たちの素性を洗ってほしいと、昔馴染みの政五郎を頼って来た。

半身不随の政五郎は、この仕事を浮多郎にさせるしかなった。

これが、浮多郎がこの一連の殺人事件に首を突っ込む破目になったきっかけだ。

―刺されて死んだ男は、浜町の呉服屋の若旦那の喜之助と知れた。

喜之助は同じ町内の足袋屋の娘のお勝と恋仲だったが、親が遊び人の喜之助を嫌ったのと、やはり越路屋の身上の魅力には勝てなかった。

『刺したのは、人形町の大きな人形問屋の徳光の倅の、好次朗ではないか』と、松太郎がいってきた。

好次朗は、喜之助とつるんで遊び歩く悪い仲間でありながら、お勝を取り合っていた。

家によくひょっとこやおかめの面などが転がっているので、どうしたとたずねると、

『好次朗さんが、お土産に持って遊びに来た』といっていたので、お勝をめぐる争いがこじれ、面を被って顔を隠し、喜之助を刺したのではないか、というのが松太郎の見立てだった。

それを政五郎から聞いた浮多郎は、

「家業のお面を被ってひとを殺せば、わざわざ自分が犯人ですと教えるようなものではないですか」

と取り合わなかった。

これが奉行所なら、すぐにしょっぴいて拷問にかけ、白状させるのだろうが。

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