DIVE_37 亮司と充

 後日。


 亮司は元気な姿で日本に帰ってきた。自分にまつわるいくつかの事実を頭に入れて。


 その事実とは、檜山がスパイだったこと。村雲亮司が実の父親だったこと。エイジが腹違いの兄弟だったこと。そして自分が十五年前に行方不明になっていたなどだ。


 それらを知った時、亮司は取り乱したが日本に帰る前日にはもうしっかりと受け止めていた。


「ただいまー」


 亮司は懐かしき自宅の玄関扉を開けて中に入った。靴を脱いで上がり、リビングの扉を開けると、そこには鈴森と檜山がいた。


「おかえりなさい」

「おかえり」


 鈴森は亮司に抱きつき、檜山は心の底から安堵した表情を浮かべた。


「ただいま」


 亮司は再度言って、綺麗に片付いている部屋を見回した。おそらく鈴森と檜山がやったのだろう。


「積もる話もあるけど、まずは亮司君に謝らないといけないね。本当に申し訳なかった」


 檜山は深く頭を下げて亮司に謝った。


「もういいですって」


 亮司は苦笑いをした。実はすでに檜山は電話で何度も謝っていたのだ。


「でも僕にできることはそれくらいしか……」

「檜山。もうそこまでにしておきなさいよ。せっかく全部終わって良い気分なのに台無しじゃない」


 鈴森は不満そうな顏で檜山の頭を軽く叩いた。


「…………」


 亮司は鈴森の全部終わったという言葉に小さく眉をひそめた。


 一連の事件の黒幕である村雲亮司は意識を取り戻す見込みがないため、秘密裏に処理された。エイジはラジエイト本社で事件の完全なる解決に向けて協力をしている。


  生前、村雲亮司は隠滅に備えて機器の設計図を含む全データを世界各地にいる協力者の元に転送していた。


  ラジエイト社は各所に根回しをして一般人に悟られないようにしつつ総力を挙げて協力者の捜索をおこなっている。天下の大企業が本気を出した以上はすぐに見つかるだろう。


  亮司、鈴森、檜山の三人は事件の真相を口外しないことを条件に、日常に戻れる権利を手に入れた。その際、鈴森は「偉い人って汚い」と愚痴を零していた。


  亮司がカードの力を使って復興させた商店街は今もなお繁盛していて客足は途絶えていない。もうカードの力を使わなくても当人たちの努力だけでやっていけそうだった。


「そうだ、亮司。どこか行くところがあるんだっけ?」

「ああ、うん。行かなきゃいけないところがある。……できれば、二人にもついてきてもらいたい」


 亮司がそう言うと、


「もちろん行くわよ」

「僕も行くよ」


 二人は即答した。


「ありがとう。それじゃあ今からその場所に行こう」


 亮司は礼を言って玄関に向かった。二人はそのあとに続いた。


 亮司たちは家を出て、最寄りの駅からリニアモーターカーに乗り、とある場所へと向かった。


 亮司は窓の外、移りゆく景色を見ながら、ふと他の実験体に思いを馳せた。


 亮司らが地下の実験・研究所を出たあと、屋敷に監禁されていた実験体は保護された。しかし残念ながら過半数は死亡もしくは廃人になっていた。


 自分もそのようになっていたかもしれないという恐怖と自分がそのようにならなかった後ろめたさを持ちつつ、亮司は今を生きていることに感謝した。


 亮司たちの乗るリニアモーターカーは三十分ほどで目的地の駅に到着した。


「こんなところに用があるの?」


 駅から出て早々、鈴森は言った。


 目的地周辺は高層ビルや人通りが亮司の住む都会より少なかった。とは言え、それなりに発展しており、田舎という言葉は不適切だった。


「ちょっと歩くよ」


 亮司は二人にそう告げて歩き始めた。どうやらその目的地は徒歩で行ける距離にあるようだ。


 三人はしばらく歩いて住宅街までやってきた。その時、


「ねえ、あれって……」


 鈴森は前方を指さした。指さすその先には『みくらや』と看板に書かれた小さな店があった。


「そうだよ。あれが目的地」


 亮司は緊張した面持ちで答えた。そのあと3人はそのみくらやの中に入っていった。


「はい。いらっしゃい」


 店に入ると三角巾を被った中年女性が元気な声で迎えた。


 その中年女性は亮司を見た瞬間、目の色を変えた。


「……もしかして、ミツル……?」


 中年女性は亮司の本当の名を呼んだ。亮司改め充はこくりと頷いた。


「……あああ」


 中年女性は言葉にならない声を出して涙を流した。そして充にゆっくりと近づいて力強く抱きしめた。


「……ただいま。母さん」


 充はそう言って抱きしめ返した。


 十五年を経た母子の再会に檜山はぼろぼろと泣き始め、鈴森は泣き顔を見られたくないようで必死に堪えていた。


 充の母は感情が極まり嗚咽していたが、だんだんと落ち着いてきた。


「……電話があった時は正直嘘だと思ったけど、本当で良かった……」

「僕も母さんが生きていると知った時は嘘だと思ったよ」


 充は少し笑みを見せて言葉を返した。


「……ねえ、母さん。聞きたいことがあるんだけど、この店は母さんの店?」

「そうよ。あなたが行方不明になったあとに開いたの」


 充の母は背中に回した手を離して答えた。


「どうして、みくらやって名前の和菓子屋にしたの?」


 充は聞いた。その問いには檜山も鈴森も興味を引かれたようだった。


「その昔、あなたのお父さんの家が小さな商店街で『みくらや』って言う和菓子屋さんをやっていたの。色々あって潰れてしまったけれど。……それである時ふとそのことを思いだしてね、やってみようかなって思ったのよ」


 充の母は感慨深い面持ちで話した。


「……そうだったんだ」


 母の話を聞いた充は合点がいった顔になった。そしてなぜか覚悟を決めたような顔に変わり、


「母さん。名残惜しいけど、僕はこれから行かなきゃいけないところがあるんだ。だからもう少しだけ、待っててくれないかな」と言った。


 充の母は驚いた顔をしたが、


「……分かったわ。でも必ず帰ってきなさい。約束よ」


 すぐに元の表情に戻って答えた。


 充は力強く頷いて店から出ていった。檜山と鈴森は意味が分からず慌ててそのあとを追った。


「ちょっとどういうことよ。他に行くところなんてないでしょ?」


 鈴森は先を歩く充の肩を握って言った。


「亮司から充に。これから本当の自分を取り戻しにいく」


 充は立ち止まり振り向いた。


「え、それって……」

「……亮司君……」


 鈴森と檜山は言葉の意味を理解し、驚愕した。


「帰国する前に言われたんだ。本当の自分に戻るか、そのままでいるかって。その時は決められなくて保留にしたけど……母さんの顔を見て決心した」


 充は言葉と表情で二人に覚悟を伝えた。


 亮司が充になるためには、妨げになる村雲亮司のデータを抽出し、充のデータを再移植しなければならない。成功率は九十パーセントといったところで、失敗はまずない。まずないが、失敗した場合は廃人もしくは村雲亮司のような運命が待っている。


 それに成功したとしても、今ここにいる自分のままでいられるかどうかは分からない。


「もしも今の俺が、違う俺になったとしても……、友人でいてくれるかな」


 最悪の場合も考えて充は二人の顔を交互に見て言った。


 鈴森と檜山は顔を見合わせたあとに、


「当たり前でしょ!」

「もちろんだよ」


 当然のごとく答えた。


「……ありがとう」


 充は目に涙を浮かべて体の底から心の底から礼を返した。


 今ここにいる不完全な充にとって、長い時間をともに過ごした二人は特別でかけがえのない存在。


 だからこそ今、涙を流しているのだろう。




 一カ月後の午前十一時。


 鈴森と檜山は空港のロビーでとにかくそわそわしていた。会話はなく緊張した面持ちで各々時間を消費している。


 今日は充が日本に帰ってくる日。


 成功か失敗かの事前連絡はなく、実際に会って確かめるしか手段はなかった。二人はそういう理由で落ち着きがなかったのだ。


「あ! 檜山! 来たわよ!」


 鈴森は遠くを指さして言った。檜山は急いで振り向いた。


 鈴森が指さす先にはキャリーバッグを引く充の姿があった。充は無表情で二人のほうへ向かってくる。


 鈴森と檜山は唾を飲み、その場から一歩も動かずにじっと待つ。脈を打つにつれて、充の姿がはっきり見えてきた。


「……え」

「…………」


 鈴森と檜山は唖然とした。


 事もあろうか、充は二人の横を通り過ぎていったのだ。


「充!」


 鈴森は振り向いて亮司の本当の名を呼んだ。そうすると充はピタリと立ち止まって振り返った。振り返ったあとには、


「……ただいま。檜山さん。皐月」


 意地悪そうな笑みとその言葉があった。


 鈴森は天にも昇る勢いで充に飛びつき、檜山は大粒の涙を流した。



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仮想と現実の狭間に揺らぐ 砂糖かえで @MapleSyrupEX

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