第七話・藤袴
弓の援護を受けながらではあったが、二十人以上の敵を突き……槍が折れた。
京の戦の趨勢は……既に緒戦から劣勢が伝わってきていた。協調戦闘に失敗し、中立売門を突破した第一陣は敗退、堺町御門は一進一退との情報だが、日が昇るにつれて徐々に逃れてくる長州藩兵が増えてきていた。きっと、既に戦線は崩壊しているんだろう。
煙から、火の手が上がっていることまでは理解できるが、状況把握は完全とは言い難い。ここを守るのは元人斬りで構成された臨時の予備部隊で、充分な兵が居るとは言えないんだから。
刀を抜き――、尾鰭を付けながらも戦線離脱してきた一隊の脇をかすめ、追撃隊に斬りかかる。いや、オレだけじゃない。敗残兵の中でマシに動ける連中を掻き集めた臨時の斬り込み隊で、だ。
無事なのは居ないが、戦意を喪失している者もいない。
場所は、あの桂が選んだだけあって、左右に弓隊の潜める藪もあるし、そう悪くは無い。隘路は小勢で多勢を相手にするには絶好の地形だ。
「負傷者には手を貸せ! 足を止めるな。少しでも京から離れるんだ」
今、新たに逃れてきた一隊を検め――、ここで殿に再編させるよりは、そのまま退却させた方がいくらかマシだと判断し、指示を出す。十名中、重傷者二名、軽傷者六名、ギリギリ仲間を庇いながら次の宿場町まで退ける面子だと判断した。
「ッツ! ああぁ!」
「隊長!」
切羽詰った声に振り返れば、バカが脇差を抜いて着物を肌蹴させていあがった。鎧は捨てたか、もしくは、最初から着ていない足軽だったのか、サラシだけを巻いた腹が見えている。
「――ッチ」
すぐさま手首を蹴り飛ばし、脇差を飛ばす。
初陣の恐怖と、敗北で、もう士気はずたずただ。勢いだけで切腹しようとしたこの男も、混乱の局地にあるのか、まともな顔をしていない。
だから、間髪入れずにわけの分からない声で喚き続けているその横っ面を、思いっきり張ってやった。
籠手を着けたままだったから、バキ、とか、そうした鈍くて固い音が響き――少しだけ、辺りが静かになった。
視線がオレに集まっている。
その間を無駄にはせずに、オレは声を張った。
「いいか、よく聞け!」
腹を斬ろうとしたのは、多分、初陣の武者だ。
すれていない視線が、どこか、見覚えがあるような気がして――オレは奥歯をきつく噛み締めた。
「新しい時代が、必ず来ると信じた者達がいた。彼等は、もういうない! 京で死んだからだ! だが、だからこそ、お前達を長州へと返す。それが、オレの役目だ!」
「我々は、もう、負けました。負けたんです」
グチャグチャになった顔で言い返してきた男の襟首を掴んで、無理矢理立ち上がらせる。自分が情けなくて泣いているのか、戦闘の恐怖からなのか、それとも単にオレに殴られた痛みからなのか、表情だけからでは判断し切れなかった。
が、いずれにしても、戦場に踏み込んでおきながら、そんな甘っちょろい事をほざくヤツには反吐が出る。
「ちょっと京まで足を伸ばして、少しばかり戦って、もういいだと? ふざけるな! 這ってでも貴様は長州へと帰れ! 絶対に帰らせるからな。足を止めさせてやるものか! それが、オレの仕事だ!」
怒鳴りつけた後――、自力では歩けない、ソイツと同じ隊のヤツ目掛けて投げ飛ばした。
「見ろ!」
道の両脇。
ここまで逃れつつも、力尽き果てた長州藩士の死体がある。オレ達が斬り殺し、次の戦いの邪魔になるからと避けていた会津や薩摩の兵士の死体がある。この退路を維持するために死んだ、仲間の死体もだ。
「……あ、あ」
「志半ばで果てるとは、こういうことだ! いいか! 戦った経験を、記憶を、全てを絶対に忘れるな。必ず訪れる、時代の転機に、全てを費やすために」
「敵、遊撃隊が接近しております。数、三十」
説得も終わらないうちに、前衛の偵察隊からの報告が入る。
三十、か。
京での本格的な衝突は終わったのかもしれない。ここに向けられる兵の数は増え、攻勢の間隔も短くなってきている。が、そのぐらいなら、まだ、持たせられるだろう。
だが、それ以上は、もう押さえきれない。
潮時だ。
矢玉の残りは少なく……荷駄も、敗残兵を維持できるギリギリの量だった。これ以上敗残兵が増えれば、食料や薬が不足し、かえって犠牲が大きくなる。それに、この戦線を維持するには、損耗を出し過ぎていた。
次が、最後だ。
ここで、死ぬわけにはいかない。そのつもりもない。安っぽい悲劇に興じるなんて、オレらしくもない。
「鉄砲は使うな! 音でこちらに兵が潜んでいると主戦場側の兵に気付かれる。前衛を囮に、引き付けて弓で射掛けろ! 不意打ちで敵の足が止まったら、オレが斬り込む! 負傷者やそれ以外の兵士は、撤退を開始。防戦後、ここは放棄する。急げよ!」
陣形を整え、次の戦闘に備えるオレ達に、隊列も装備も整えずにさっきの兵隊達が……。
「わ、我々も、ここで」
心意気は買わないでもないが、如何せん、戦線離脱してきた部隊をそのまま次の戦闘へと駆り出すのは、無謀としかいえない。寄せ集めとはいえ……いや、だからこそ、戦略の基本方針と戦術の徹底を行った上での、殿なんだ。
数は増やしたいが、下手な動きをされて全体が危機に陥っては元も子もない。
「足が動くものは、助かる見込みのあるものを担ぎ、先に退け」
先に叱りつけたこともあってか、足手まといだと自覚できる程度には冷静になったのか、素早くも、規律だった動きでもないが、負傷者や敗残兵は道を進み始めた。
はぁ~あ、あ。
これで、今、背後を衝かせるわけには、いかなくなったねえ。
次の宿場町で再編しないと、行軍陣形も整えられん。
溜息を鼻から逃がし――。
「助かる見込みの無い者は、鉄砲を持ち、街道に潜め。ひとりでも多くの友を救うため、一刻一秒でも時間を稼げ。最後に死に花を咲かせてみせろ」
重傷者の、全員が助かるとは思っていなかった。が、ここで兵を選別し、死ねと命じればより混乱が増す。自発的に、死に残ってもららわなくてはならない。
先程の一隊が退くのを見届け、周囲の味方に向けて声を上げる。
「敵の殲滅後、殿も後退を開始する。いいか! 今度の敵は蹴散らすだけでは不十分だ。敵に部隊の再編をさせ、こちらが撤退する時間的猶予を稼ぐ。行くぞ!」
一拍後「応!」と、声が響き……そのまま、追い首を狙う遊撃隊が視界に入った。
折れた槍を捨て――、あの男の刀を抜く。
弓の射程に敵が入った。
「掛かれ!」
待ち伏せと、弓の先制攻撃で足が止まった敵兵に、号令と共に突撃する。
真夜中に始まった戦いだったのに、日は既に昇りきっている。正直、残っているのは気力だけだ。十人の兵士を逃がしたら、更に十人、日が昇るまで……そうして、粘りに粘ってここまできちまった。
あーあ、まったく、あの男のせいで、とんだ貧乏籤だ。
同じ地獄に着いちまったら、絶対どつきまわしてやる。
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