第6話・荒南風
前に稽古をつけてから、ひと月も経っていなかった。
なのに――。
朝廷へと働きかけていた古高が新撰組に捕らわれた事に対する対策を、池田屋で話していた際に、逆に新撰組に踏み込まれ……。広岡以外にも多数の大身の志士が斬殺・捕縛され、京での志士側の活動は事実上、不可能に陥った。
もっとも、だからといって京から志士が一掃されたというのは早計と言うモノで、まだまだ多くの長州やそれに同調する藩士達が京に潜んでいる。ものの……。
やっぱり、動揺は隠せないようだねえ。
落ち着かないのか、二日に一度はどこかしらで会合が持たれている。そこを再び襲撃されたら元も子もないだろうに。
深刻そうな顔で、でも、結論を出すための議論ではなく、ただ喋って安心したいって感じの議論をする連中を、斜に構えて見守る。もし、ここに踏み込む手合いがいれば、それを斬るのが今日のお仕事だ。
ただ――。
「なんだかな」
「ああ、まったく、なんだかな、だな」
独り言に混じってきたのは、オレを最初にこっちに雇った桂だった。
直に顔を合わせるのは、随分と久しぶりだ。
まあ、頻繁に大身の者に接触するってのも、オレも向こうも危険だから、それも当然かもしれないが。
「大事になったな」
「まあな」
さすがに場慣れしているのか、それとも、元々剣を極めているせいで腹が据わっているだけなのか、どこかとぼけた調子で桂が答えた。
まあな、なんて言ってはいるが、この男だってあの襲撃に遭遇し、屋根伝いになんとか逃げ仰せ、九死に一生を得ている身だ。
……この男は、広岡とは、場数が違う。技量も。頭の良さも。
いざという場面では、戦うか退くか、迷って身体を硬直させてはいけないんだ。即座に決め、行動に移さなくては機会を逃す。逃げ切ることも、戦うことも出来なくなる。
「なんだ?」
徐に、桂が、オレの目の前でひらひらされた瓦版を受け取り中を検めるが……。
「天皇の連れ去り計画だとよ。さすが、商家を襲う盗賊まがいの連中は、考えることが違う。こうも卑しくはなれん」
アチラさんは、池田屋では志士を殺しまくったからな。世間の反感を沈めつつ、志士を貶めつつ、実利をも得ようって魂胆なんだろう。
最初は、本当に単なる荒くれ者の集団って感じではあったが、内部抗争の果てに頭の良いのが台頭してきて、最近はこうした狡賢い真似もするようになってきた。松平の入れ知恵もあるかもしれないが、まあ……。
池田屋の件では、事後処理も含めて完全に後手に回ったってことだな。
しかし、それでも、妙なところは多い。第一に――。
「正味の話、あの政変以降、朝廷と長州には少なからぬ溝があっただろう。攘夷の都合上、天皇を祭り上げる必要があるにせよ、不和は井戸端会議のネタにもされてたはずだ」
その政変にしたって、元は攘夷に沿って馬関海峡を封鎖したが、各藩が続かず、最終的に会津と薩摩に京を追われる結果に繋がった。
天皇を連れ去るにしろ、本人の意志に基づく動座という形にしろ、逆に周囲からの攻撃を誘発するだけに終わることは目に見えているだろうに。
「面白ければ、どちらにでも転ぶのが世の常だろう? 池田屋の衝撃で、そんな古い話と皆、忘れているさ」
桂は、どこか皮肉な笑みを口の端に乗せて言い切った。
まったく、薄情なことだな。いつの世も、勝った方が正義ってね。
ふふん、と、軽く鼻で笑っていつもの皮肉を口に出してみる。
「負け犬には、世間の風は厳しいものだねえ」
「なに、まだ終わりじゃないさ。それに――」
刺すような視線を向けられ、つい、こちらも真顔になってしまった。
一呼吸後、表情を緩めた桂が、続く台詞を口にした。
「お前も、基本的には、そういう姿勢だったろう?」
「まあ、な」
頭の後ろで腕を組む。
こっちが勝ってくれないと困るが、負けたところで、程々で逐電するつもりだったし、世の中の動きなんてものを、そこまで重視していなかった。
ん――、と、鼻を鳴らしつつ天井を眺めていると、肘を引かれ。
「なんだ?」
刀を渡された。
「広岡の刀だ。お前、いっつも良い刀がないとぼやいていただろ。アイツの遺言だよ」
抜いてみる。
傷みは少ないが、全くの無傷というわけではない。あの男が手入れを怠っていたとは考えられないし、池田屋で戦ったってことなんだろう。
「応戦しつつも必死で逃げて、逃げて逃げて……藩邸近くで死んだ。死体を公儀に押収される前に、刀と遺言を受け取れたのは、だからだ」
抵抗せずにさっさと逃げれば良かったものを、と、考えたのと、桂の言葉は同時だった。
ふ――、と、長く息を空に向かって吐き出す。
なんだか、どこか、やるせない気分だった。
「お前も、参戦するか?」
前置きも無く訊かれ――ああ、過激派の志士がいきり立って主張していた挙兵は、結局、実行に移されるんだ、と、悟った。
下関の結果から、なにも学んでいないのだろうか?
いや、確かに、当時は反撃を受けたが、今は砲台を増強し、海峡を封鎖できているという驕りもあるのか……。
「止めとくよ」
負け戦に組するつもりは無い。
現実を見れない人間が、勝機をつかめることは決して無い。誰の目にも明らかな結果さえ予測できない連中に、付き従うなんて御免だ。例え、死んだ男に頼むと言われた話であってもな。前金代わりの刀を送られたとしても――。
「天王山に陣を布くんだったな?」
「うん? ああ、噂ではその予定らしいな」
止めとくよ、だけで会話が終わったと判断していたのか、一歩を踏み出しかけた桂が、ややよろけながら肩越しに振り返り、不思議そうな顔で答えてきた。
「退路を押さえる。適当な場所の心当たりはあるかい? 目立たず、それでいて、ある程度の数の敗残兵が通れるような」
桂は首を傾げ――。
「撤退戦を指揮するのか?」
オレの意図を確認するように訊ねてきた。
つか、他にどう言葉の意味を捉えられるんだか分からないがな。一言で理解してくれよ、聡いアンタなんだからさ。
「上士は腹を斬らねばならんだろうからな。下士と足軽と、ここの人斬り連中なら……、まあ、オレでもどうにかまとまるだろ」
ふ、と、少しだけ優しく口元を緩めた桂が、ポン、と、オレの肩に掌を乗せた。
「頼んだ」
「ああ」
桂は会話は終わったとでも言うのか、オレに背中を向けたまま、議論が熱くなり過ぎて取っ組み合いを始めた志士の方へと……向かう最中に足を止め、肩越しに振り返った。
「しかし、意外だったな」
「なにがだい?」
自覚がないわけではないが、そうもあからさまに告げられると照れもあってオレは築かないふりを決め込んだんだが……。
「お前は、もっと冷めた男だと思っていたよ」
「オレもそうだと思ってたんだがな」
からかいの色の無い桂の顔に負けて、素直に答えちまった。
ただ……。
「……いや、冷めてはいるんだろうな」
「うん?」
一呼吸の間を開けて続けたオレに、怪訝そうな目が向けられる。
「オレに期待されれたのは、きっと、仇討ちではなく、あの男達を無駄にしないことだって、そう、思うからな」
激情に駆られるのは容易い。感情に任せて走るのは、誰にでもできる簡単なことだ。
しかし、そこに意味はない。
結果が全てだ。
事を成せないなら、その感情も、思いも、なにもかもがムダになる。いつか、遠い未来に勲しを歌われて、それでお仕舞いだ。そんな時代もあったな、なんて……赤穂浪士の故事と同じで、演目になって、人口に上がって……それで、時代は変わらずに終わる。
それだけじゃ、不十分だ。
死んだ人間の命の重みを鑑みれば。
「まだ終わりじゃないさ。黒船が来ようが来まいが、幕府は既に傾きつつあったんだ。新しい風がそんなすぐに吹き止むものかよ」
桂が、出合った頃と変わらない口調でそう答えたのを見届け――。
「じゃあ、長州で、な」
「ああ、そっちも気をつけろよ」
オレ達は、再び、お互いの居るべき場所へと戻っていった。
十日後に始まる、戦争に備えるために……。
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