第5話・菜種梅雨
冬が終わって、京に来て二度目の春も過ぎ――。
季節は、夏へと向かい始めていた。
市井の人にとっては、斬り合いというモノは、散々に刃を打ちつけ、組み合い、もつれ合うようなモノを考えるのかもしれない。講談や歌舞伎なら、見せ場を作るためにそうしたことは必要なんだろう。
だが……。
真っ直ぐ突っ込んできて、素人丸出し……いや、玄人でもやるやつはやるが、まあ、あんまり良い手とは言えない、上段に構えた大振りを――。
広岡が木刀を振り下ろす寸前、腕を更に引き上げた隙に、脇腹を、短く、最小の動きで薙いだ。
「フッツ!?」
木刀で防ぐには構えの位置が悪く、かつ、避けるには勢いがつき過ぎていたので、オレの一撃をもろに受けて広岡が庭に転がった。
「どうした? 終わりか?」
木刀の切っ先でつついてみると、上体を起こした広岡が威勢よく――。
「まだまだ!」
しかし、威勢が良いのは口だけで、ひざが笑っていたので、木刀を放り投げてオレは言い捨てた。
「終わっとけよ、残ってんのが気持ちだけならさあ」
梅雨はまだだが、春と言うには冬の終わりのすっきりしない雲が居座っている。いずれにしても、降り出す前には終わるつもりだった。俺の方は。
実戦で決着がつくまでは、多くても三~四撃程度だ。よっぽど下手で技量が拮抗している……初心者同士の喧嘩なら別なのかもしれないが、それはそれで稀なことであり、基本的には技量が勝る方が一閃、もしくは二太刀目で勝負を決する。
戦いでは、なにも、胴を両断したり首を刎ねなくとも充分だ。太股、肩、腹……命に関わる傷を負わせられる場所は幾らでもある。あまりに浅いのは論外だが……。いや、真っ当に刀を振るって皮だけしか斬れない、というのは、そもそもが沙汰の外だ。そんなに刃物が使えないなら、抜かない方がまだ遣り様はある。
「大振りは下策か?」
屋敷の者に手当てされている広岡に訊ねられ、……返事に困った。
下手に駄目と言っても、良いと言っても、変な癖がついてしまう気がする。
そもそも、手合わせするまでも無く気付いていたが、この男はあまり戦いに向いていない。それでも、もしもの場合に意地のひとつも見せたいと騒がれて、時々はこうして相手しているが、あくまで木刀での稽古だ。
刀を刀として扱うには、不十分だ。
この男が人を斬れるとは、到底思えなかった。
とはいえ、黙ったままでいるわけにもいかず――。
「いやぁ……。薩摩の連中に追われたことはあるかい?」
広岡は首を横に振った。
島津は帰ったものの、居残りの連中も中々にめんどくさいのが多かった。気性の荒さに関してもそうだし、技量に関しても。天誅を下そうとしたこっちの人斬りを、何人か返り討ちにしている。
独特の構えから振り下ろす一撃は、防御の構えごとこっちを両断してくる。上段は、間合いが読みやすいものなんだが、躊躇無く突っ込んでくるせいなのか、予想よりもはるかに深く斬り込んできあがる。
無論、こちらも、がら空きの胴に一撃を見舞うこともできるが……。相打ち覚悟なんて、オレは御免だね。
「素早く振り下ろす技量があってこそだが、初太刀で決めるには悪い手じゃないんだ。まあ、オレはやらんがな」
「どうしてだ?」
「隙が多い。脇の下、内腿、膝裏、幾らでも具足を付け難く、守り難い急所はある」
言いながら、すっかり気を抜いている広岡の、急所を爪先でつつく。
「うぁ、おい! 止めろ!」
素直にオレは引き下がって、縁側に座り込んだ。
「そもそも、だ」
うん? と、顔を顰めたままの広岡がオレを見る。
「オレの商売にも支障が出るんだし、下手に戦うなよ。実戦と訓練は違う。最初に人を斬る時には、どんなに覚悟し、その場面を想像していたとしても、思い通りに身体は動かないものなんだ。返り討ちにあわれちゃ、たまったもんじゃないだろ?」
納得はいっていないようだが、上手く言葉が出てこないのか、膨れっ面でオレを睨んだ広岡は――。
「襲われたら?」
最終的に、そんなありきたりの質問をぶつけてきた。
「可能な限り逃げろ」
わけも無くオレが言い放てば、一層眉間の皺を深くさせている。
「朝倉 宗滴の言葉だが『武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候』ってね」
いつも通りにふざけ半分で格言を口にすると、口を真一文字に結んだ広岡はオレの横に腰掛け、追求してきた。
「それは、戦えってことじゃないのか?」
予想通りの返事に、半目半笑いで言い返す。
「オレなんかと違って、人の上に立とうって人間が、一戦に拘るなよ。何回逃げた所で、最後に勝ってりゃいいんだろ?」
オレみたいな雇われのゴロツキなら、目先の勝利に一喜一憂すれば――貰える駄賃と次の仕事に関わるんだし――充分だが、この国を~なんて、お題目を掲げる以上、そんなに底が浅くては鼻で笑うしかないってゆー、ね。
この男は、どうにも真面目過ぎて、京に来て半年以上も過ぎたって言うのに甘さが抜けなくて――。
そして、御大層な信念を貫くには、実力が足りていなかった……。
剣術も、話術も。正直の上に、馬鹿が付く男なんだから、然もありなんって所なんだが、ね。
「もし」
「ん~?」
考え事をしていたので返事が一拍遅れ――まあ、男で悩むなんてオレらしくもないか――、油断していたところに、真顔を突き出されてしまった。
「逃げられない場面だったらどうする? 大人しく投降も出来そうにない場面だったら」
…………。
答えられなかった。
結果が見えているのに、戦え、なんて言えるか?
確かに、志士を狙った襲撃は増えている。去年に京に集った志士も、長州が朝廷から遠ざけられて以降は減る一方だったし、なにより、相手方も場慣れし始めてきている。
論調を纏め上げる時節を逃し、幕府も朝廷もぐだぐだだ。
この時代の流れがどこに向かうのか、誰も正確に予期してはいないだろう。どんな思想を持つにしろ、自分の色眼鏡を通してしか世の中は見えないものなんだから。
「……アンタでも、難しい顔をすることがあるんだな」
広岡は、自分の技量に自覚はあるのか、少し寂しそうに笑って続けた。
「もし、その時が来たら――」
予感めいたなにかがあるのか、広岡はそこで一度言葉を区切った。
この男は、去年の八月に京から追い出された長州の名誉回復のため、あちこちに出入していたので、なにか大きな動きを感じ取っているのかもしれない。確信までは至らないにせよ。
「長州の志士の皆を頼むよ」
は、と、オレは短く太い息を吐き。
「駄賃が六文銭じゃ安過ぎる」
と、軽く右手を上げて話を打ち切った。
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