朧月夜

一条 灯夜

第1話・紅葉

 国の動乱の熱さに反して、秋は例年通りに訪れていた。

 足を運ばないから、どの山が鞍馬だか貴船だか比叡山やら分かってはいないが、山の名は知らずとも紅葉した山の遠景は、見事なものだと素直に感じた。

 いや、それだけじゃなく……。

 人々がひっきりなしに行き来する往来。どこか浮かれたような喧騒が、この国の力強い息吹のように響いている。天を衝くように伸びた東寺の五重塔。それだけでなく、幾重にも、天を摩するように建ち並ぶ、人々の営みの歴史。

 まだ昼過ぎだが、夜になれば煌々と点された提燈が闇を照らす。そうすれば、遊郭の、地に足が付かないような、夢うつつの空気に街が霞む。


 京の賑わいが好きだった。

 一年が経った今でも、いつまでも見続けていられる。


「おい」

 人波の中から、綺麗なおねえちゃんを探していたところ、不意に背中から声を掛けられた。背中からしか見れていない美人そうなのが一人居たんだが、こっちを振り返らないので、顔は結局見れずじまいになってしまった。

 惜しいな。

 いや、見えそうで見えないからこそ、男心がくすぐられるっていうね。これはこれでよかったのかもしれないさ。うん。

「ん~? 珍しいね、志士のセンセイがオレなんかの雇われ者に声を掛けてくるなんて」

 顎を突き出すようにして顔を上げ、声を掛けてきた男を見上げる。


 この店は、一階は料亭だが、二階と三階、それと屋根裏の隠し部屋が宿となっていた。まあ、宿と言っても一般客は泊めず、その内実は、西国から上ってきた尊皇派の隠れ家のひとつになっているんだが。


 声でなんとなくは分かっていたが、予想よりも若い男だった。月代を剃らずに、前髪を後ろに後ろにと引っ張って割と高い位置で髷を結っている。志士で流行の、総髪の慈姑頭だ。目も大きいし、鼻筋も通ってる。

 女に不自由し無さそうで、羨ましいねぇ。

「アンタ、護衛について長いんだろ?」

 自分を、いや、自分の使命を妄信的に信じているキラキラとした、だが、足元さえも見えていない目をしている若い男。

 オレも昔は……。いや、オレの場合は、昔っから曇ってる側の人間だったかね? まあ、黒船が来る前からも、武家も中々食えない所が多かったしな。

「ああ、まあ、そうさね。京に上ってきた時期でいえば、先発組だろうねぇ」

 軽く肩を竦めて、いつもどおりにからかうように答えれば、男は眉間の皺を深くした。

 ははん。

 それじゃ、折角の美男が台無しだろうに。


 ケタケタ笑いながら、もうずっと昔の事のようにさえ思える去年の京を思い浮かべる。

 最初は、死体ひとつで大騒ぎしてたのが、今じゃ京の人間も、斬った張ったに慣れちまって挨拶程度に昨晩死体のあがった場所を談笑してやがる。

 いやそれだけじゃなく……、今年の頭までは幅を利かせていた長州が、下関で負け、続く八月には京から追い出され、今じゃ会津の天下ってね。


「なのに、なぜアンタは尊皇攘夷論を――」

 しぃっと人差し指を口に当て、今度はニヤニヤと目だけで笑いかけ、男の口が止まったのを確認してから、両手を耳に当ててわざと大きな動きで左右に視線を巡らせた。

「ここには、味方しか居ないだろ?」

 どこか呆れたように、それでいて不機嫌に呟いた男。

 ははん、と、鼻で笑ってオレは――、その男を試すことにした。

「そうじゃない。大きな声で叫ぶ思想は、耳に心地良いってことさ。矮小な自分を見なくて済むからな」


 京に長くいて、人を見る目は養えた気がする。

 思想は様々だったが、本当に自分で考えて動いている人間と、自分で考えたつもりになって誰かに追従しているだけの人間、なにも考えていない日和見に――。

 人が集えば、物が集まり、金が匂い立つ。

 そういう場所に出張ってくるのが、一番始末に終えない、騒動を助長するだけの、オレみたいなただの流れ者。渡世人、無頼漢、ごろつきに札付き。そして、人斬り。


「しかし、それは、お前じゃない。せいぜいが、その思想を記述する、ほんの一文程度だ。いや、それでも多いかもしれない」

 目の前の若い男が息を飲んだ、目に、不安や戸惑いが現れている。鯉口を切ろうとでもいうのか、左手の指まで漫ろだ。

 指の動きを注視しながら、下から男の顔を覗き上げた。

「本当のお前は、なんだ? なにしに京まで出てきた? 物見遊山か? 皆が尊王攘夷と謳うから、自分も踊ってみたくなっただけなんじゃないのか?」

「なら、アンタは!」

 降ってきた怒鳴り声に、鼻から溜息を逃がしてオレは元の窓際に腰を落ち着けた。

 この男は、多分、大成しないだろう。実力を弁えるよりも先に、若さが前に出過ぎてる。……その癖、度胸がひとつ足りていない。

「オレ? オレは、金にたかってるだけさ」

 見下すような男の目に、再び最初と同じように不真面目にケラケラと笑いかけ――。

「一太刀に、己の人生を賭けるだけ。たまたま雇われたのがこっちってだけでね」

 しかし、まだなにか腑に落ちないのか、口を真一文字に結び、塗り壁のように立ちはだかっている男に、ふは、と、短く息を吐いて付け加えた。

「いや、そもそも。だ。食い詰めた牢人者が、命を張るなんて、はした金で充分じゃないか?」

 上の馬鹿の結果の減封でクビになった――それまでも、なんとかぎりぎりで食いつないできた程度の下級武士なんて、そもそもの元手がないんだしな。貧乏長屋でその日暮らしってのが大半で、商人として上手くやり直したヤツになんて会った事が無い。たまの大仕事は堤防の修理だの、城の石垣の石運びだの、土砂崩れした道の整備なんかの人足。

 最後の最後に行き着く先は、餓死か強盗かってね。


 用心棒の口があるなら、それで充分。今のところ、三度飯がおかず付きで食える生活が出来てるんだし、変に思想を謳いたくない。関ヶ原以来のこの祭りの空気が、いつまで続くのかだって分かったもんじゃないんだし。


 ……目の前の連中には悪いが、こっちは、引き際を見誤るつもりまでは無いからな。

 こいつ等が、大きな事を成し遂げたとして、大した出自でもないオレをわざわざ取り立てるつもりなんて無いだろう。

 商才がオレにあるとも思えないし、最後はどっかのあばら家で野垂れ死に。なら、所詮は浮世と、汚れた金でしばし夢を見る程度で充分さ。

 真面目に入れ込むほどに、人生は楽しめなくなるものなのだから。

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