第2話・待宵

 秋の日はつるべ落とし。

 そして、日が落ちれば冷え込んでくる季節だ。


 会合場所近くの屋台で蕎麦を啜っていると、言い争う声が響いてきた。鉄を打ち合わせる音はしない。悲鳴は、ちらほら。応戦せずに、逃げるのに必死になっているんだろう。

 まあ、下手に足を止めて囲まれるよりは賢明な判断か。


 先月半ば頃から、取締りが厳しくなり始めた。

 志士側もこうして帰り道にそれとなくオレ等みたいな用心棒を予め配しておくことで、逃走の手助けとはしているが……。まあ、御用の者と遣り合うには分が悪いって所だな。

 もっとも、だからこその金蔓なんだが。


 蕎麦屋のふりをしていた志士から金を受け取り、懐に仕舞いこむ。店主は、そそくさと近くの橋の方へと逃げ出していった。逃走経路の確認と、オレが騒ぎを起こした後に、今逃げてる連中を手引きする準備だろう。

 まだ立ち上がらない。準備万端で待ち構えていれば、向こうもオレが敵だと警戒する。あくまで、たまたま居合わせたという形からの……。


 あくまで物音につられた風を装って、軽く視線を向ける。

 後ろに余計なのを引き連れてやって来たのは、数日前にオレに喧嘩を吹っ掛けてきたあの若造だった。……ああ、いや、ひとりじゃないなふたりだ。どっちがおまけか、までは分からんが。つか、尾鰭をつけて逃げ回る辺り、どっちも京に上りたてて危険に対する感覚が鈍いんだろう。

 はぁ、と、息を吐き――。


 背後に来た役人目掛けて、無造作にどんぶりを放り投げた。

「あつ!」

「な! 貴様」

 抜刀し、追っ手の前に立ちはだかる。

「さっさと引け、若造」

「でも……!」

「邪魔だ」

 短く吐き捨てると、多少は分かっているのか、もうひとりの男が若造を引き摺って橋の方へと退いていった。

「いいから、行くぞ、彦也」


 相手は五人。京都見廻組だな、服装が下町にいる浪士組――ああ、いや、今は新撰組か――とは違い、装備も含めてきちんと整っているし。どっか、こうして対峙していても行儀の良さがある。

 応援を呼ばれていたら……、いや、呼ばれているだろうな。

 連中が、川沿いのこの通りに入る前からちょっとした騒ぎが聞こえてきていた。祇園も近いし、余計な犬まで縄張りを越えて噛み付いてきそうだ。

 多少、無理を押しても早めに始末しよう。退路を断たれたくはない。


 だらりと肩の力を抜くように、下段に構え直して一歩、微かに上体を前に傾げ深めの二歩目、姿勢を更に低く一直線に駆け出し――。

 目の前の連中は、数の利が仇になって、薙ぐ動きが出来ていない。

 正面のヤツが振り被った、今だ。

 塀に右肩をぶつけるように、敵の刃圏直前で右に飛び――同時に身体を捻り、右手だけで掬い上げるように軽く斬り上げ、右足でしっかりと接地してから、柄の後ろを左手で掴み、刀を引き上げる。


 右の肋骨の下から、左の鎖骨をやや逸れながらも斬り上げ、一人目を始末した。

 斬った相手と視線が合う。が、ソイツは致命傷だとまだ分かっていないのか、どこか、途方に暮れたような、虚ろな目をオレに向けただけだった。


 そのまま今度は左足を浮かせ、身体を捻り――。

 敵に背を向けるのは怖い、が、どうせほんの一瞬の出来事。一番近い奴を斬った今は、改めて構え直す方が隙が大きい。

 独楽の動きでそのまま一回転し、壁を背に残りの四人と相対する。

 位置取りは良くは無い、が。

 ……太平の世の中で、武士といえども心構えが出来ていない人間は、確かにいる。張り詰めた場面では、それがくっきりと浮かび上がる。

 漫ろな切っ先、定まらない視線。若いな。多分オレより四つ五つは下だろう。刀を抜くのは初めてなのか、柄をきつく握りこんでしまっている。離すべき指を離していない。それでは、人は斬れない。

 敵が瞬きする一瞬で突っ込み、正面のひとりの胸を突き、反射的に刀を右に振り上げた隣の男の刃を身を捩ってかわす。

 敵の切っ先が空に向く。

 突いた相手の胸の中心に刺したままだった刀を引き抜き、目の前の敵の胴を払って三人。


 半分を殺って、相手の戦意が――摺り足で距離をとり始めていることから――萎むのを確認し……。

 増援の笛の音に注意が向いた隙に、振り返らずに全力で駆け出した。

 待て、だの、卑怯者だのと後ろから声は響いているが、追いかけてくる足音はしない。多分、ここで遣り合って損害を出すよりも、区画を封鎖して、長物を持った連中で囲もうって算段だろう。

 …………。

 ――ッチ。

 確かに、思ったよりも時間を掛けちまったかもしれない。斬り結んでいる際には、どうしても、視野が狭くなる。

 歓楽街なら人波に紛れられるかもしれないが、あのゴロツキ集団がいるだけに、面倒だ。取り合えず捕縛して拷問にでも掛ければ良いとか、そんな連中なんだしな。

 かといって、この辺りに潜んでも、会津藩兵や京都見廻組が大勢連れてくるだろうしな。

 藩邸に逃げ込むってのも、影響がどう出るか分からない今は余計に危ない。

 さぁて……。

「こっちだ」

 どうしたものかな、までは心の中でひとりごちれなかった。うん? と、声の方に視線を向ければ、さっきの若造が橋とは逆の道から顔を出している。

 まあ、当ても無くこの場を離れるよりかはましかと、その細い通りへと転がり込めば……。

「おい、長屋に潜んでも」

 貧乏長屋には、確かに武家崩れからなにから、素性の怪しい町人も多いので、身を隠せはするだろうが、踏み込まれればお仕舞いだ。

 しかし、若造は答えずにボロ屋の箪笥を横にずらし……。

 箪笥の裏の壁が穴になっていて隣の屋敷の庭へと通じ、そのまま、庭を抜けて表通りに屋敷を構える料亭の裏口から……。

「アンタ、強いな」

 意外と慣れた様子で表通りへと抜け、怪しまれないように歩き始めると、どこか馴れ馴れしく表情を崩した男。

 ああ、いや、名前は……なんだっけな? 逃がした際に、もう一人の男が名前を呼んだような記憶はあったが、忘れてしまった。

 まあ、別にどうでも良いが。

「見てたのか? さっさと逃げればよかったのに」

 嘆息して答えると、どこか屈託の無い笑みを返されてしまった。

「桂さんから聞いたぞ。腕利きだってな」

 悪い気はしないが、好い気にもなれないな。

「先だって、荒木田が殺られたからな。代わりが要るんだろ」

 肩を竦めて見せれば、若造は立ち止まって少し考えるような顔になった。

 まあ、荒木田は新撰組に潜入して情報を集めていたんだし、怪しまれれば消されるって分かってはいたんだろうがな。

 アイツもアイツで、短い人生を楽しもうって気骨があって、面白い男だったんだが。

 いや、殺ることもあるし、殺られることもある……つか、そんなことばっかの世界だ。明日は我が身ってね。

 感傷に浸るなんて柄じゃないや。


「ん? どこに行くんだ?」

 いつもの隠れ家とは違った方へと足を向けるオレに、置いていかれた形になった若造が、どこか情けない声を上げた。

「懐もあったまったからな、遊郭ででも夜を明かすさ。帰りに尾行られるなよ」

 多分、ここからは真っ直ぐ帰るであろう相手に短く答え、オレは歩き続ける。

 初期の志士がやり過ぎたおかげで、政変後の京では、疑わしきは罰せ、みたいな風潮もあるんだし――特に、騒ぎの起こった夜に人の出入りが多いなんて、人の口に上がるのは早い――、今夜は塒を変えるつもりだ。

 翌朝戻るかは、まあ、気分次第だな。

 懐が寂しくなるなら……、まあ、もうじき冬なんだし、温かいモンを食いっぱぐれねえように、そんなに経たずに戻る予定だが。

「広岡 浪秀だ。こっちじゃ、広分 彦也と名乗っている。次も頼む」

 オレに追いつき、真面目ぶった挨拶をした若造――もとい、広岡。つか、偽名を名乗るなら、本名は絶対に口にするべきじゃないんだがね。

 どうも、やっぱり、危機感は薄いな。


「金が出れるならな」


 説教なんて柄じゃないオレは、頭を掻いた後はいつも通りに、軽い足取りで花街へと向かった。

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