8 両家の事情
壱重家は皆、善良な人たちだ。基経は多少計算高いところもあるが、基本的には善良だと思う。
「これからお話すること、誰にも言わないと約束してくれる?」
「え、ええ」
「実は、うちの姉は……基経さんのお兄様と結婚していたの」
信夫から聞いて知ってはいたが、相手が級友の姉だとは知らなかった。確か由緒あるお寺の娘だと聞いている。
お寺の娘さんが、神社の息子さんと……不思議な組み合わせだ。
「ああ、うちがお寺だから不思議に思うかもしれないけれわね。もともと祖父同士が仲が良くて、男女の孫が産まれたら結婚させようと約束していたんですって」
「へえ……」
思考を三和に読まれたような気がして、繭子は少しひやりとする。そんなに考えていることが、顔に出ていたのだろうか。
「まったく、勝手なものよね。どちらも跡継ぎが必要な家なのに。たまたま都合良く、どちらにも跡取り息子が産まれて、うちには女が産まれたってわけ」
ふう、と三和は息を付いた。
「幼い頃から『お前たちは将来結婚するんだ』って聞かされていたせいか知らないけれど、仲が良かったのよ。子供のわたしから見ても、羨ましいくらい。お義兄様と結婚してからも、姉は幸せそうだったわ」
けれど、その基経の兄は戦死してしまった。
信夫から聞いた話を思い出す。
「でもお義兄様は戦死されてしまって……弟である基経さんとの再婚することになっていたの。いくら兄弟とはいえ、お義兄様と基経さんは別の人間だわ。壱重家の男子なら同じだろうと言われているようで、姉は許せなかったのだと思う」
「でも……お姉さんは、受け入れたのではないの?」
「受け入れた訳じゃないわ。受け入れざるおえなかっただけ。結婚に個人の感情は関係ないのよ」
大人びた口調で、三和は嘆く。
「そんな最中、基経さんに赤紙が届いてしまって。壱重家のご長老は出征前に結婚させたかったみたいだけど、基経さんとご両親が、どうにか婚約までに押し留めてくれたの」
恐らく基経は、万が一のことを考えて婚約で留めて出征したのだろう。
「姉はその後身体を壊して、遠山家の親類の家へ疎開したの。そこでお世話になったお医者に見初められて……とはいえ婚約していたから、断っていたらしいんだけどね。そうしたら、基経さんの訃報が届いてしまったでしょう。遠山家は元々、基経さんとの結婚にはいい感情を持っていなかったし、そのお医者様は地元の名士だし。姉も意に添わない結婚をするよりも、自分の事情を知っていても受け入れてくれた眞白家を選んだの」
「……お姉さんは、基経さんとの結婚が嫌だったの?」
「だから言ったでしょう? 壱重家に恨みがあるって。それに再婚相手の基経さんがいないなら、壱重家に残る義理なんて無いでしょう?」
「そんな……」
「例のご長老が亡くなったから、できたことでもあるのだけれど」
三和の姉の気持ちは、確かにわからなくはない。
夫が亡くなったから、その弟と結婚させようとした壱重家を恨む気持ちがあっても、仕方ないのかもしれない。
でも、基経はどうだったのだろう。義姉との結婚に、どんな感情を抱いていたのだろう。彼も仕方がなく受け入れたのだろうか。
ううん、違う。
基経の言葉を思い出す。
『彼女はその馬鹿男が望んだ通り、良い相手を見つけて遠方へ嫁いでしまいました』
馬鹿な男……基経は、彼女の幸せを願っていたのだ。遠い戦地から、彼女の幸せを。
戦地から戻った時、基経はどんな気持ちだっただろう。銀杏の実と枝のお守りを、心の支えにしていたのではないか。待っている人がいるから、過酷な戦地を潜り抜けてきたのではないか。
他の人との間に出来た子供を宿した彼女の幻を、どんな思いで見つめていたのだろう。
きっと基経の心には、彼女が焼き付いて消えていない。きっと、まだ忘れていない。
三和との縁談は、基経に取っては幸せなのだろうか?
面差しがよく似た三和の存在は、基経の心を慰めることができるのだろうか?
いいや、それは違う。三和は言っていたではないか。
いくら姉妹でも、顔がよく似てたとしても、三和は彼女ではない。まったく別の人間なのだと。
そう三和の姉は、壱重家を恨んでいるのだと。
「お姉様は……ご自分が壱重家にされたことを、基経さんにしようとしているということなのね」
「そう。このままでは、わたしも不幸になるだけだわ」
亡くなった兄の代わりに、弟と婚姻を結ばれそうになった三和の姉。
他家に嫁いだ自分の代わりに、自らの妹を空いた席に据えようとしているということか。
繭子は突然聞かされた壱重家と遠山家の事情。ただただ驚くことばかりだったが、次第に怒りが沸いてきた。
元はといえば、壱重家のご長老が発端かもしれない。だが、基経と実の妹に自分と同じ思いを味合わせようとする気持ちは理解できない。
「……それで、あなたの名案とは?」
「ありがとう。あなたなら、きっと協力してくれると思っていたの」
三和は満面の笑みを浮かべる。
あなたの恨みなんて知らない。
三和に良い案があるなら、乗ってやろうではないか。
「それは説明するから、一緒に来てくださる?」
「……どこへですか?」
「ふふ、内緒」
勢いよく席から立った三和が、繭子の前に行きたい人に手を差し出す。
まるでお芝居の主人公が、目の前に飛び出してきたみたいだ。その雰囲気に呑まれて、繭子は思わずその手を取ってしまう。
戸惑う繭子に、三和は爽やかに微笑んだ。
「さあ、行きましょう!」
神様の樹 ~ギンナン泥棒とほら吹き宮司~ 小林左右也 @coba2018
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