エピソード3・味方になるよ
「春川、先生が味方になるよ。だから、おまえは一人ぼっちで悩まなくっていい」
「先生が、味方……?」
「現状はそれで動くのかというと、保証はできない。だが、もう一人じゃない。愚痴だろうがなんだろうが、聞いてやる」
桜子は声もなく涙を流し、すすり泣いた。
「おまえは、よろこびになれる」
「なあにそれ」
「さあな。先生も言われたけど、やっぱりわからなかった、その時は。けど、おまえはきれいだよ。どこも欠けたところなどない。胸を張っていい」
「私が……きれい?」
桜子の涙がひっこんだ。そうだ、おまえは心がきれいだ。
「ああ、誤解するなよ。セクハラじゃない。世の中には自分のせいでもない病気で国から差別されたり、結果死に至らしめられた人々がいる。しかし、おまえはそうじゃない。自由だ」
「じゆう……」
こういったらなんだが、五体満足で生きている、それだけで未来の選択肢は大きく開けている。
「僕は大学でそう勉強してきたし、それでだいぶ気持ちが楽になって前向きになれたんだ」
「私、後ろ向きかなあ……」
「卒業したら、どうしたいんだ? 進路調査、真っ白で気になってたんだよ」
クス、と桜子は目を細めて笑った。
「今ごろなの」
「お、笑った……いいぞ、笑う門には福来るだ」
「先生って……」
「ん?」
秋田が目をしばたいていると、桜子はパッと立ち上がって、勢いをつけた。去り際に彼女は言った。
「やっぱり、先生は、先生だ。相談なんて、するんじゃなかった……バカみたい」
秋田は追うのも忘れて、そこにたたずんだ。
伝えたいことがあった。支えてやりたいと思った。いや、それ以上に……秋田は。
報われることの少なかった、目の前のもう一人の自分に、贈ってやりたい言葉があった。
同日。
秋田は自室にいて、悩んでいた。
――桜子の家に連絡を入れるべきか。
お宅の娘さんはいじめを苦に、登校してません、と?
いかに教師であろうと、家庭内のことまで口出しはできない。
しかし、実際に桜子の身に害が現れている。思い返せば、桜子のキズテープだらけの指は、あれは家事労働で傷ついた痕ではないのか。
あれを目にしていながら、何もせずでは、なんのためのお悩み相談。
だから、桜子も立ち去った――捨て台詞を残して。
ばん回せねば。
「……あ、春川さんのお宅ですか」
「先生っ」
咎めるような声が返ってきた。どうやら桜子本人が電話口に出たらしい。
「春川……大丈夫なのか。親御さんはそこにいるか」
「余計なことをしないで」
耳元で通話はとぎれ、それからは何度かけても、留守番電話の応答アナウンスが聴こえてくるのみだった。
(親に連絡はとれない、か……)
しばらく秋田は黙考した。
ベッドに横たわると、頭をよぎったのは、明日は教室に何人生徒が来るか、ということだった。
それからしばらく、秋田は無人の教室で、授業配信を続けていた。
宿題を一斉送信して、後は前回の宿題の添削をする。
ただ、やはりというか桜子の宿題が未提出続きだった。
秋田は思い切って、メールで書き送った。
そのままでは、親御さんの目に触れるといけない。届くかもわからない賭けではあった。
添付ファイルに、一言。
――公園で待っています。
果たして桜子は、その日の夕方に公園に姿を見せた。
肩で息をしている彼女に、座るように勧めると、自分もベンチの隣に座った。
「私が来なかったら、どうするつもりだったんですか」
「さぁね」
「公園て、どこの公園なのか、曜日も日時も書いてなかった」
「他の公園での接触はなかったんだよ、おまえとは」
もともとイチかバチかだったのだ。結論は急がないが、好みの展開だった。
「おまえ、動植物は好きか」
「え……それが何か」
「好きならいいなと思って」
「はい、好きな方だと思います」
「よかった。じゃあな、この春に何匹か生まれたんだが、里親探しを手伝ってくれるとうれしい」
秋田は画像を見せる。黒と白の子犬が三匹、写っていた。
三月、卒業の日。
式が済んで、公園に集まる卒業生と、その家族が秋田のもとにやってきた。
そこへリードを着けたままの黒と白の中型犬が、乱入してきた。
じゃれつかれた、もう一頭のブチ犬は、同じ犬種とは思えないほど落ち着き払っている。そばに、杖をついた桜子の父親と、それよりかは幾分若い、妻と小学生の女児がいた。
路肩にとめてあった国産車から、顔をのぞかせているのは三頭目のブチ犬で、秋田の犬だった。
あの三匹の子犬たちは、桜子と、桜子のクラスメイト、そして秋田のもとで育てられることになったのだった。
今日は久々の無礼講とばかり、きょうだい犬が尾を振りじゃれあう。
桜子の家では、何の役にも立たないペットはお断りだったため、訓練に出して介助犬として迎え入れることと相成った。
「わたしは、介助ロボで十分すぎると思ってたんですよ。それがなんですか、獣臭い犬なんか連れてきて。まったく呆れます」
つん、とすましている、春川継母。
なにを言われているのか知らぬげに、口角をもちあげる犬たち。
「ま、まあ。わたしが実家から送ってもらったメイドロボは、メンテナンスがしょっちゅう必要なので、代用にはなりますけれど」
冷たく見下ろすその先に、無垢な黒目がちの瞳がなにを思うのか、じっと見つめ返している。
「ほら、ミチル、おやつやっておあげなさい」
「うんっ……おかあさん」
「まあ。動物の分際で、命令を理解できるのは重宝ですわ。ありがとうございますね、先生」
「きゃ、またなめた。くすぐったぁい」
ミチルが破顔すると、ようやく母親にも余裕が生まれる。人々がロボットにとって代わられる時代において、生きた動物を飼うことは、一種のステータスだった。
今、ここにあるのは笑顔ばかり。
「だから言ったろ」
――大事なものを育てるのには、根気と学びが必要なんだよ。
自信満々にほほ笑む秋田に桜子が言う。
「見て、先生。うちの犬、背中に桜みたいな模様があるの。気づいてた?」
「おー、でもそれは葉桜だな。先生のとこのにもあるぞ」
笑顔と友情を育てるのには、根気と学びが必要なんだよ。
秋田が飼い犬の頭をなでると、気持ちよさそうに、目を細めた。
【了】
【葉桜の君に】筆致は物語を超えるか参加二弾目 れなれな(水木レナ) @rena-rena
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