親愛なるきみと


 きょうは身体の調子がうんといい。

 朝からご飯もちゃんと食べれた。


「お嬢。本日は来客がございます。くれぐれもお部屋からは出ませんよう。ふぇっふぇっふぇ」


 爺や2号が釘を指していった。

 知ってる。

 きょうは魔法使いのメイルゥがやって来るんだ。

 こないだ『黒猫』からもらった手紙にも書いてあったもの。


「拝啓、白猫さま――きょうの手紙はあなたを驚かせてしまうかもしれません――」


 私は届いてから何度も読み返した『黒猫』からの手紙にもう一度目を通す。

 コロコロとした丸っこい独特な文字。

 羊皮紙に書かれたカリグラフィーのよう。一文字ごとに込められた優しい想いが、いつも私の心を慰めた。


「――信じてもらえないかもしれませんが、私の保護者はサムザの魔導卿メイルゥなのです。じつはこれまでの物語も、彼女をモデルに書いたものだったのです」


 この文言を読み返すたびに私の頬は紅潮する。

 いつもは弱く脈打つだけの心臓が、バクバクと張り裂けんばかりに高鳴るのだ。

 サムザ公国の魔導卿といえば、200年間この国を守り抜いた英雄である。

 そんな有名人がまさか自分のペンフレンドの保護者だったとは。


 きょうの手紙はあなたを驚かせてしまうかもしれません――。

 そりゃ普通、驚くでしょ。


 絵本やむかし話にもなってる魔女メイルゥの逸話。

 本棚にあるエドガー・ナッシュの作品からも、彼女の影響が随所に見え隠れしている。


 まさに生ける伝説だ。

 そんな彼女がなんとわが家を訪ねて来るという。『黒猫』がいうには、魔女メイルゥが仕事上の付き合いで顔を出さねばならない場所があり、その住所にどこか見覚えがあったと。

 なんのことはない。『黒猫』への手紙に記されたわが家の住所だったというのだ。


 しばらくお顔を見ていないけれど、きっと「お父様」に会いに来るのだろう。

 魔女と仕事って一体なにをするのかしら?


 でも。

 私にとって重要なのはそんなことじゃない。


「『白猫』さま。そのときには私もお供しようと思っています。あなたにお会いしたいのです」


 そこまで読んで、私は『黒猫』からの手紙を胸にグッと押し当てた。

 まだ心臓がトクトクいってる。

 ひとたびこの屋敷を出てしまえば、止まってしまうこの命。自分が籠の鳥であることは十分に分かっている。

 分かっているが――。

 こんなに生きていると実感がするのは、一体いつ以来だろう。

 会いたい。私も会いたいよ。




 もし私と会ってもいいよと、あなたのお許しがいただけるのならば。

 窓辺に白いハンカチーフでも掲げておいてはくれませんか。

 それが私たちだけの秘密の合図――。




「秘密の合図……」


 ふと窓辺を見る。

 そこには数日前からぶら下げている真っ白いショールがある。

 生まれてこの方、外に出掛けたことなんかないから、ハンカチなんて持ってないもの。

 これで分かるかな。

 もし分かんなかったらどうしよ――。


「え――」


 私は目を疑った。

 陽の光をほどよくさえぎるレースのカーテン。その向こう側にうっすらと影が浮かぶ。


「なぁあん」


 猫だ。

 窓の外に猫がいる。

 優しい鳴き声。胸元に提げた緑色の首飾りがキラリと光った。


「黒猫!」


 私は慌てて窓辺へと駆け寄る。

 シルクのねまきがシーツにこすれて音がした。


「あ、待って!」


 まるで暗い洞窟に射す一筋の光のようだった。

 消え去る猫の背中を追って、私は真っ白く輝いた窓辺へと吸い込まれてゆく。


 こんなに強いちからが私のなかにあったのか。

 バンっと――。

 壊れるかと思うほどに激しく窓を開ける。


 突如、部屋に舞い込む外の空気は、ひんやりとして。

 それでいて暖かく感じる矛盾とした感覚に、私はしばし戸惑った。

 久しぶりに嗅いだ風は、若草の香りがした。


「あ――」


 いない。

 揺れるカーテンが私の頬を急速に冷ましていく。


 気のせいだったのかな。

 窓に掲げた白いショールが哀しげに揺れている。

 涙がこぼれそうになり、指で目元を拭う。

 ふと下を向いたとき「彼女」の姿が目に入った。


 キョトンとした丸い瞳で、窓枠の下から私を見上げている。

 山吹色のエプロンドレスを着た黒髪の女の子だ。

 ほっぺにそばかす。

 日に焼けた肌。


 窓下の花壇につまずいたのか、庭の芝生に尻もちをついている。

 首から提げたペンダントが緑色に輝いていた。


 え――それってさっきの猫が――。


 そう思ったのも束の間。

 彼女は一陣の風となって、私の部屋のなかへと飛び込んできた。

 一体なにが起きたのか。

 さっきまで間違いなく「彼女」はひとだった。

 なのにいま私の横を通り抜けていったのは、夜空を固めたみたいに真っ黒な毛をした一匹の猫だったのである。


 猫は部屋へと入るなり、絨毯に脚を取られながらもベッドの陰に滑り込んだ。

 それきりずっと静かになって、鳴き声ひとつあげない。


 私は確信している。

 この猫はさっきの「彼女」だ。そしてきっと――。


「――あなたが『黒猫』ね?」


 私がそう問いかけると「彼女」はベッドの陰から、ひょっこりと小さな頭を見せた。

 窓から入った陽の光を反射して、金色の瞳がキラリと光る。

 そういえば、あなたを驚かせてしまうかも――手紙にはそう書いてあったな。

 だから出てこないの?


「ううん。驚いてなんかいないわ。だってお手紙で書いてくださったもの」


 たくさんの物語り。

 全部ホントのことだって信じてた。

 だからあなたが魔法を使えたって不思議じゃないわ。


「ほら。もっと近くにお越しになって。会えるのを楽しみにしていたんですからっ」


 それでも「彼女」は出てこない。

 せっかく見せてくれた顔も、またベッドの陰に引っ込めてしまう。


「ホントよ?」


 私は胸のまえに手を組んで懇願した。

 まるで精霊さまにお祈りをするときみたいよね。

 でも私にとって、あなたはそれ以上。

 だからお願い。

 お顔を見せて――。


 すると「彼女」は、ひたひたと二本の足で私とそばまでやってきた。

 山吹色のエプロンドレスと、緑色のペンダント。

 やっぱりさっきの少女だ。

 私の顔を見るなり「彼女」はニコっと笑う。前歯の抜けた、愛らしい笑顔で。


「はじめまして『黒猫』さん。私が『白猫』よ」


 私も精一杯の笑顔をお返したけれど、どうかな。

 うまく笑えたかな?

 普段は三人のおなじ顔をした爺やとしかお話ししたこともないから。


 そんな心配をしていると「彼女」は、笑顔のまま、身振り手振りでなにかを私に伝えようとしていた。

 パンっと手を叩いたり、両手で自分の頬を挟んでみたり。ときには首をかしげたり。

 その仕草のなんと愛らしいことでしょう。


 でも待って。

 なんで「彼女」は一言も話さないのかしら。


「――間違っていたらごめんなさい。もしかしてお声が出せないの?」


 コクコクと。

 不躾な私の質問にも「彼女」は嫌な顔ひとつせずに答えてくれた。


「ちょっと待っていらして」


 私は机に身を寄せた。

 そして一冊のノートと、インクを付けた羽ペンを持って「彼女」のもとへ。

 お行儀が悪いと分かっていたけれど、私は絨毯にそのまましゃがみ込んで「彼女」の腕を掴んでみせた。

 細くてとても柔らかな腕だった。


「筆談でお話ししましょう。私、あなたの文字が好きなの」


 ただでさえ素敵だった「彼女」の笑顔は、さらに愛らしさを増した。

 エプロンドレスのスカートが空気をはらんでぽすんと広がり「彼女」は私の隣に座る。


 あったかい。

 彼女の体温が私に伝わってくる。

 艶やかな黒髪からは、太陽の匂いがした。


 白紙のノートにさっそく文字が埋まってゆく。

 いつも読んでいる丸っこいデザインのカリグラフィーだ。

 洗練されていて、なおかつほかに見たことのない個性で溢れている。

 それは「彼女」の言葉だ。


 声なき「彼女」の声。

 だからこそ、こんなにも美しいのだろうか――。




 はじめまして『白猫』さま。

 私が『黒猫』です。

 ずっとお会いしたかったの。

 きょうはたくさんお話ししましょうね。




「ああ『黒猫』。こんなに嬉しいことってないわ。あなたが『黒猫』で本当に良かった」


 私たちは手を取り合って喜んだ。

 あなたは私にとって最初のお友達よ。

 これからも仲良くしてね。


 私は「彼女」からペンを受け取ると、そんな想いをしたためた――。

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精霊物語りⅡ 真野てん @heberex

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