黒騎士に依頼を
陳腐な表現になるが、うっそうとした森というのはこういうのをいうのだろう――。
深い茂みを手で払いながら、ダンテ・ブラックはそんなことを考えていた。
ギザギザとした柊の葉が、無防備なスキンヘッドを斬りつける。
ここはサムザントと旧魔導王朝領とを隔てる境界。
別名『黒の森』とも呼ばれる樹海である。
二百年以上もむかし、かつてニコラス一世が辺境守護のためにおなじ森を抜けてきたのか思えば感慨も深いが、ブラックはそもそも王朝外の北方の出だ。
樹海に足を踏み入れること三日。
建国の偉業を称える気持ちよりも、いまはただ腰を落ち着けて休みたかった。
ブラックの旦那。
ひとつ仕事を頼まれちゃくれませんかね――。
いまや「メイルゥ商会」の舎弟を公言して回っている元チンピラヤクザこと、暴れナイフのジョニー。彼から仕事を依頼されたのは、メイルゥが不良貴族たちの『夜会』を潰してから数日後のことだった。
「仕事だと……」
翠巾党の一件以来、ブラックは本業である賞金稼ぎの依頼は受けていなかった。
一度は捨てようとまでした銃をいま手にしているのは、ひとえにメイルゥという人物の人となりに惚れ込んでいるからである。
彼女のための剣となる。
それがいまのブラックがちからを振るう唯一の理由であり、当代最強のガンスリンガーという肩書きになんら未練はなかった。
「断る……」
「ちょ、そんな話くらいは聞いてくださいやっ」
娼婦の子供たちを寝かしつけ、今度は一階ホールにモップ掛けでもしようとしたところである。もとより受ける気などさらさらないが、意外にもジョニーが食い下がってきた。
「いま裏の世界じゃちょっと噂になってるんですよ。『黒の森』に魔物が出るってね」
「魔物……だと……」
「へ、へぃ」
ブラックの鋭い眼光に気圧され、ジェニーが一瞬言葉に詰まった。
かわいい猫のアップリケが施されたエプロンを着込んでいても、殺し屋は殺し屋である。うかつに踏み入ってはいけないという領域をジョニーはチンピラが持つ嗅覚で察知したらしい。
「面白そうな話だ。詳しく聞かせなジョニー」
するとあらぬ方向から、援護射撃といわんばかりに一声掛かる。
興味を持ったのはブラックとはべつの人物だった。
もちろん彼らの大親分、メイルゥ魔導卿閣下そのひとだ。
いつものように暖炉のまえで、紙巻きたばこをくゆらせていた。
「ばあさん……」
露骨に嫌な顔をする黒騎士に対し、カッカッカと小気味いい笑い声をあげる魔女。
ブラックからの「圧」で固まっていたジョニーだったが、彼女の「まあ、いいじゃないか」の一言で戒めを解かれる。
「しかしいまどき魔物とは穏やかじゃないね」
「そ、そうなんですよ、姐さん。ここ二か月ばかしまえからなんすけどね、『黒の森』に入った森林開発の業者が一時的に行方不明になってやして」
「一時的?」
「へぃ。一旦は行方不明になったんですが、のちに全員発見されておりやす。ただ居なくなっていたときの記憶がねえときた!」
自分の語りに興が乗ったのか、ひざをベシっと叩いてジョニーは拍子を取る。
メイルゥは紫煙をふぅと噴き出して、彼の様子を静かに見守る。
「こりゃただ事じゃねえと誰もが口にした。きっと魔物がかどわかしたに違ぇねえと。そのうちおカミ(役所)も本腰入れやしてね。何人もの賞金稼ぎを送り込んだが、いっこうに捕まらねえ。いよいよ手に負えねえってんで、賞金が倍額になったんでさぁ」
「で、その仲介料目当てにブラックに声を掛けたってわけだ」
「そそそそそそそそ、そん、そんなわ、なっ」
「分かりやすいね、おまえさんは」
メイルゥはたばこの灰を床に落として、目を眇めた。
そして暖炉のまえで安楽椅子に座る彼女は、天井を見上げながら二三、身体を揺らすと「ふむ」と枯らした息を吐く。
こういうときは大抵なにか企みをめぐらせているのだと、ブラックはこれまでの経験則で学んでいる。
「ブラックや」
きた――。
多分メイルゥはもういろんなことを決めている。
彼女は強制はしないだろう。しかしブラックには、よっぽどのことがない限りそれらを断るという選択肢がない。
騎士として魔女に忠誠を誓うというのは、そういうことだ。
「どうだろうね。ここは世間様のためにも引き受けてみちゃどうだい。魔物退治をさ」
「……いいのか。例の侯爵とナシをつけるんだろう?」
ウォルター公、ボーモント侯爵。
元老院の名誉議長にしてサムザ大公の家老である。御年八十歳。いまなお権力の中枢を掌握し貴族社会に影響を持つ大物である。
車いすの紳士デニス・ルブランは『夜会』の壊滅により、彼がメイルゥへと接触してくるだろうと予見している。
ブラックもまたその可能性は高いと考えていた。
だとすれば会見の場には、当然、自分も彼女のそばにいるものだと考えていたのだが。
「そっちは適当にやっとくさ。おまいさんもたまには外の空気吸っといで、ガキんちょの世話も助かるが、毎日じゃ身体がなまっちまうよ」
「旦那、留守の間のことは、俺たちに任せてつかぁさい!」
メイルゥの言葉に被せるように、ジョニーはおのれの胸を叩いて鼓舞する。
ブラックはしばし考えたが、すぐに「分かった」とだけ返した。
そしていまに至る――。
樹々の間に紛れるときにもただ練り歩いているわけでない。
ブラックはつねに自分の正中線を揺らしながら移動を続けている。そして周囲に気を巡らせて、動物が小石を跳ね飛ばす音さえ逃さなかった。
正直なまっていたのは事実だろう。少々、ゆるい生活を続け過ぎた。
だから「それ」の存在に気づくまで三日近くも掛かってしまったのである。
ブラックはおもむろに懐へと右手を差し入れた。
掴むのはもちろん拳銃である。
オーバーホール中の「相棒」に代わって、メイルゥから下賜された呪われた伝説の銃がそこにはあった。『
弾丸の再装填にも手間の掛かる年代物だが、威力だけは現用拳銃にもひけを取らない。
カチリ――。
ブラックは静かに撃鉄を起こした。
それに呼応したかのように、左側面から藪を揺らす音がする。
ブラックは反射的に銃を構えるが。
「いや……違うな」
即座に左手でもう一丁の『時代を滅する者』を抜き放ちトリガーを引いた。そしてあとから撃鉄を弾く。
銃口が火を噴き、マズルローディングならではの丸い弾丸が飛んでいった。
先に反応した藪のなかから一匹のうさぎが跳ねた。
白い背中が、暗い森の奥へと逃げていく。
一方、ブラックの放った弾丸は「それ」を捉えていた。
だが致命傷には至らなかったようだ。
いまなお剣呑とした気配をブラックに浴びせながら、そこに立っている。
「あんたは……」
ブラックは信じられないものを見たかのように、目を見開いた。
木で出来た狐の面を被った法衣の男だ。
彼は手にした杖の先で、ブラックの放った弾丸を受け止めている。
「わがうつせみを見破ったか。強くなったな賞金稼ぎよ」
「十年……いやもっとか。まさかこんな場所で再会するとはな……」
二丁の銃を懐に戻すと、ブラックは肩からずり落ちたザックを背負いなおした。
狐面の男は杖に残った弾痕を軽く親指の腹で拭う。
表情が分からないせいもあるが、ひどく淡々とした様子に、ブラックはしばし幻想の世界をさまようような感覚を覚える。
「ま、ここじゃなんだ。場所を移そう」
ブラックは狐面の男に促されるままに、その場をあとにした。
しばらく歩くと草むらを抜け、空を仰げる小高い丘陵へとやってきた。
そこには狐面の男が設営したかと思われる、煮炊きの痕跡が残っている。
数日ぶりに腰を落ち着けたブラックだったが、すぐに荷をとくとお茶の準備をはじめた。よくぞそのザックにそれだけのものを納めたなというほどの野営道具を出し、沢で汲んできた水をポットで沸かし始める。
あっという間に二人分のコーヒーを淹れて、ひとつのカップを対面に座る狐面の男へと手渡した。その手際の良さに彼も驚いているようだった。ちなみにお茶請けは途中で狩った鹿肉のソテーである。
「これはありがたい。しかしまあ大したものだ」
「……このところ賞金稼ぎよりもこっちが本業でね」
くくく。
狐面の男は首を傾げて笑っている。
「まさかあんたが……『黒の森』の魔物とはな。誰にも捕まえられんわけだ」
「魔物とな? そんな風に思われておったか」
「森に入った人間を片っ端からさらい……記憶を消してもとへ戻す。考えてみりゃ魔法使い以外にそんなことを出来るはずがなかったな……」
ブラックはフライパンの鹿肉を焦がさないようにつつきながら、半ば呆れたような口調で眼前の男を評した。
男は面をずらして口元だけをさらし、淹れてもらったコーヒーを口にする。
唇のうすい、異国の雰囲気を漂わせた顔だ。
思ったよりも若い。
しかしブラックは実年齢と見た目が伴わない人間をほかにも知っているので、それほど驚くことはなかった。
「無計画に森林を破壊する行為には賛同しかねる。ただそれだけさ。中世の暗黒時代を思い出せ。この樹海もすぐに禿げ上がるぞ」
「……いつまで続けるつもりだ。キリがないぞ」
すると狐面の男はいずこからか取り出した木の苗を手にして「これが育つまでだ」と、ブラックに答えた。
「気の長い話だな……」
「そうでもない。あとすこしで結界を張り終える」
「結界?」
「そうだ。さすれば結界内は人の手には及ばぬ領域となり、この小さき苗が大樹へと育つときも稼げよう。ここ百年来のわがライフワークだよ」
「……そういえば最初に会ったのも森のなかだったな」
「ふふ。さよう。そうだ賞金稼ぎよ。ちと手伝っていかんか。話したいこともたくさんある」
意外な申し出にブラックは呆気に取られる。
魔法使いとはみんなこうマイペースなのだろうか。
そう思わずにはいられない。
「……俺はあんたを殺しにきたんだが?」
「殺せたか?」
狐の面は細い瞳でジッとブラックを見返してくる。
心の奥底まで見通される気分だ。
かつては恐怖したその視線も、いまでは存外悪くない。
これもまたあの魔女と出会ったことで、おのれの銃に誇りを持てたからだろうか。
「……いいや」
苦笑いとも自嘲とも違う。
自然と溢れた微笑み。
なにやら真剣に考えるのもバカバカしい気がした。
「……なにからはじめるんだ」
焼き上がった鹿肉のソテーを皿に盛りつけ、狐面の男に渡す。
無表情のはずの面が笑い返したように感じたのは、ブラックの心を映しているからかもしれない。
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