後書き

マルチバースからユニバースへ~誰が少女を蘇らせたか?~

「『氷上のシヴァ』第六章 Butterfly 霧崎汐音」をお読みいただき、ありがとうございました。

 この作品は2020年第44回すばる文学賞に応募した「氷の蝶」を大幅に改稿したものです。

 この後太宰治賞に応募するため、12月10日をもちまして非公開とさせていただきます。

 後書きの場を借りまして、第六章にて何が起こったのか、作者として精一杯のご説明をさせていただきます。


 当初「氷の蝶」を書いた時にはあくまで「氷上のシヴァ」がメインで、そこに接続するような話を書きたい、「氷の蝶」を読んだ人には、その後何が起きたかということを確認するために「氷上のシヴァ」を読んでもらいたい、という強い動機がありました。

 よって、初稿の汐音は明確に死へと収束していきました。

 シヴァにて汐音の死因は明らかにしていませんが、設定上は全日本ノービス大会前日のインフルエンザ脳症による突然死です。しかし、それはあくまで病理学上の話にすぎず、本当は汐音は氷上の魔に取り憑かれて亡くなった、という前提が私の中ではずっとありました。シヴァにて達也が取り込まれて消え、瑞紀が触れて狂った、銀盤の呪いです。

 洵はそれを「妹の命を奪ったのは病魔ではなくスケートにまつわる何かである」と直観しており、だからこそ第五章のような強迫観念が彼をスケートに駆り立てていったと言えます。

 初稿では、汐音がいかに銀盤の魔に取り憑かれ、地上に見切りをつけるか、ということが描かれていました。ラストシーンには、刀麻の姿を借りた未来の洵(汐音の死を体験した後の洵、シヴァの諸々で四回転サルコウを獲得した洵)が顕現し、決して避けられない死によって定められた別れを惜しむラストダンスがありました。


 カクヨムに第六章として投稿を始めた時も、推敲しつつもあくまで初稿通りの流れでいこう、それがシヴァの本筋として正しい道だ、と私は信じて疑っていませんでした。身も蓋もないことを言えば、汐音の死が無ければ「氷上のシヴァ」という作品そのものが成り立たないので。

 しかし、中盤あたりから、様子がおかしくなっていきました。兆候は合宿のビュッフェの場面を書き加えたあたり、確信を得たのは達也が登場してトチ狂ったスケート哲学をぶちまける場面から。

 汐音の内面に没入しながら書くうちに、腹の底から沸き立つような「死にたくない」の声が聞こえてきたのです。死の方向には絶対にこの筆を進ませない、という圧力です。

 どれだけ筋に沿って書こうとしても、汐音は銀盤の魔に取り憑かれる方向には進んでくれませんでした。

 その時、私は悟りました。

 ああ、これは私は罰を受けているんだな、と。

「氷上のシヴァ」という物語を――もっと言えばそのプロトタイプであった「SILVER EDGE」を立ち上げた時から、汐音というキャラクターの死の上に全てを積み重ねた罪を、私は清算する時に来ている。明確にそう思いました。


 そこからは(本当に狂気じみていますが)、キャラクター達が総出で汐音を救出するように動きました。

 達也のコンパルソリーでのアドバイス。美優のプログラム変更。可憐の何年後でも待ってるという言葉。洸一の靴の啓示。

 何より、刀麻の全ての動きです。

 私は改稿して初めて、刀麻は汐音を銀盤へと誘う死神ではなく、ずっと汐音を助けたかったのだなと理解しました。

 逆転しているようでおかしいですが、「バタフライ・エフェクト」のエヴァンのように、おそらく刀麻は今まで何度となく汐音を救出しようと試みたのだな、という実感が私の中で生まれました。


「氷上のシヴァ」はマルチバース(多元宇宙)を描いた物語です。第一章から第五章まで、全ての章の世界線が異なっています。その並行世界を行き来しているのが刀麻です。

 第一章がメリーバッドエンドルート(刀麻が神性を失い、人の身を得る)、第二章がLAWルート(刀麻が神性を洸一に譲り渡し、実体を持たなくなる)、第三章がCHAOSルート(神の身の刀麻が悪魔に堕ちる)、第四章がエピソード・ゼロ、そして第五章がNEUTRALルートにして真エンドルートです。


 第五章で四回転サルコウを飛んだ洵のエッジは銀盤に届きました。

「ここに君の手が届いたら何が起こるのか興味がある」と達也は言いました。

 その「何が起こったのか」を、私は第六章にて示しました。

 平たく言えばやり直しであり、上書きです。

 汐音の死は回避され、マルチバースの物語はユニバースへと収束し、「氷上のシヴァ」は虚空に消えました。


 そんなに簡単に人を生き返らせていいのか、という批判があるかもしれません。

 でも、洵に汐音を返してあげる以外に、やるべきことなんて私には無いと思いました。


 この小説は破綻しています。またか、という感じです。

 何より、新人賞の投稿作に「何かのスピンオフ」は許されないことです。

 でも、もういいです。

 私は賞を取るために小説を書いているのではありません。

 小説のために小説を書いている。この哲学は揺るぎません。


 汐音が生き返ったことで、一番アイデンティティを失ったのは洵です。

 汐音の喪失が、彼のスケートを支えていましたから。

 このポスト・シヴァの宇宙で今、洵がどんなスケートを生きているのか。私には全く想像がつきません。

 でも、それでいいと思います。

 スケートが好きと言っていたので、それで十分じゃないでしょうか。

「氷上のシヴァ」は、このシンプルな気持ちを死に物狂いで模索するスケーター達の物語でしたから。


 この第六章もとい「氷の蝶」をもって、「氷上のシヴァ」は完結です。

 続編はありません。

 ですが、実は一人この世界に取り残されている人物がいます。

 晴彦です。

 現在、私が執筆中の「キリュウユイトのヴェイパーウェイヴ」という小説の一つの章に、晴彦が主人公の物語があります。この小説は音楽小説ですが、その章ではフィギュアスケートを中心に物語が展開し、晴彦はまだシヴァの世界に取り残されていることが分かります。

 シヴァの完全なる収束は、そこを見届けてからということにしてほしい、というのが作者の本音です。

 こちらは当初メフィスト賞への応募を予定しておりましたが、今は横溝正史ミステリ&ホラー大賞への応募を考えています。

 カクヨムからの投稿が可能なので、ここでお披露目できたらベストですが……頑張ります。


 また、これもまたいつになるのか分かりませんが、シヴァとは全く別のフィギュア×スピード小説、「スケート・オア・スケート」の構想もございます。

 シヴァの第一章の最初に、里紗より先に刀麻を「とーま」と呼び捨てする六花というキャラクターがチラッと出てきたと思います。実は、彼女はフィギュアスケーターです。

 そして第四章でスピードスケートにおいて刀麻のライバルだったエイジ。

 六花とエイジ。彼ら二人が織り成す、スケート×スケートの二部構成の物語を、現在構想中です。

 そこにはポスト・シヴァの榛名学院の面々も出てくることでしょう。

 ……本当に、いつになることやら、ですが。


 なんだよ、全然完結してねーじゃん! と思った方、その通りです。

「氷上のシヴァ」は私の背骨です。手放すことはないと思います。

 往生際が悪くてすみません。

 わたしはあきらめの悪いワナビ――汐音に重ね、終わりの言葉とします。


 こんなにも長い物語に最後までお付き合いいただいた皆様には感謝してもしきれません。

 数々の応援、本当にありがとうございました。


 2021.11.23 天上杏

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