第二十三話 新しい大隊長

   

 その日の朝、ピペタ・ピペトは、いつもより起きるのが遅かった。あらかじめ決められた非番の日だったのだ。

 もちろん、都市警備騎士団の全体が休みというわけではない。もしも警吏が一斉に休んだりしたら、街の犯罪者たちにとっては天国な一日になってしまうだろう。

 あくまでも、ピペタに割り当てられた非番の日であり、同じピペタ小隊の他の三人ですら、休みではなかった。ラヴィたち三人は、予備員として詰所で待機という段取りになっていた。

 だから、朝食のためにピペタが騎士寮の食堂へ行くと、他の騎士たちは出仕した後。もう誰も食べている者はいなかった。

「うむ、これで良い」

 ピペタは元来、他人と連れ立って行動するよりも、一人でいることを好む性分だ。満足そうな笑みを浮かべて、静かな食堂で朝食をとり……。

 それから、部屋でゆっくりと休むのではなく、街に繰り出した。


「ここが、例の刃物屋か……」

 ピペタが訪れたのは、『ジョンの刃物屋』という看板の掲げられた店。ただし、その扉は固く閉ざされている。

 殺し屋モノク・ローの仲介屋であると同時に、ピペタにとっては、裏仕事の依頼人。ジョンという男の店だった。

 既に潰れた商店であり、中に入るつもりはない。店の前で立ち止まることすらせず、ただ近くを歩きながら、様子を見るだけだった。

 ピペタたち復讐屋が、ジョンの無念を晴らすために『飛翔気流三兄弟』を始末したのは、入り口の月の第十九、大地の日。それから時は流れて、暦の上では、もう入り口の月ではなく、罪清めの月になっている。未解決事件として捜査も打ち切られたようで、犯行現場である店の周りには、一人の騎士の姿も見られなかった。

「うむ。今さらではあるが……」

 無人の店を、遠巻きに眺めながら。

 ピペタは心の中だけで、ジョンに黙祷を捧げた。


 続いてピペタが向かったのは、『アサク演芸会館』。殺し屋モノクの、オモテの職場だった。

「これはこれは、騎士様! お久しぶりですね!」

「そういえば、しばらく来ていなかったか」

 入り口で声をかけられて、ピペタは、当たり障りのない言葉を返しておく。何度も足を運んでいるため、すっかり顔を覚えられていたのだ。

 廊下にある掲示物にチラッと目をやって、本日の公演スケジュールを確認してから客席へ。適当な席に座って、しばらくの間、面白みのない大道芸を見続けていると、

「さあ! 続いての演目は『投げナイフの美女』です! 異国出身の褐色美人が投げるナイフは、まさに百発百中! お客様のハートだって射抜いてしまうという、彼女の妙技をお楽しみください!」

 舞台の右端に立つ司会者の紹介文句で、客席がワーッと盛り上がる。

 現れたのは、褐色を帯びた肌と赤い髪が特徴の、健康的な色気を漂わせる女だった。髪色と同じ真っ赤なレオタードで身を包み、脚には黒い網タイツ。すらりと伸びた手脚が目立つ上に、胸のなめらかな膨らみが強調されるので、なかなか扇情的なステージ衣装と言えるだろう。

 夜は殺し屋として暗躍するモノクの、昼間の働く姿だった。

 白い歯を輝かせて、客に向かって満面の笑顔を振りまく彼女の様子は、モノクの正体を知っているピペタにしてみれば、いつ見ても信じられないくらいなのだが……。

「それにしても、見事なものだ」

 客席からの視線と歓声を一身に浴びながら、モノクは次々と、卓越したナイフ投げの腕前を披露していく。

 観客の拍手喝采に対して、彼女が一礼。『投げナイフの美女』の演目が終わったところで、ピペタは呟く。

「うむ。いつも通りの彼女の姿だな」

 懇意にしていた仲介屋を失った直後のモノクは、明らかに『いつも通り』ではなかった、とピペタは思っている。

 今こうして舞台の上で振りまく愛想は、あくまでも観客向けであり、そこからモノクの心情を推し量ることは出来ないが……。

 それでも、以前と変わらないモノクの姿を見て、ピペタは、どこかホッとするのだった。


――――――――――――


 翌日の朝。

 ピペタが都市警備騎士団の詰所へ入っていくと、部下の一人――女性騎士のラヴィ――は、既に出仕していた。

「おはようございます、ピペタ小隊長!」

 わざわざ駆け寄ってきたラヴィは、顔を近づけて、少し声を潜める。

「聞きましたか、あの話?」

「あの話とは、何のことだ?」

 いきなりの質問に対して、怪訝な顔をするピペタ。逆にラヴィは、納得したような表情を見せた。

「その様子では、ご存知ないのですね。実は……」

 いかにも内緒話という雰囲気でラヴィが語り始めたのは、騎士団の女子寮で流れ始めた噂話。南部大隊の新しい大隊長が決まり、王都から派遣されてくるのだという。

「ウォルシュ大隊長も、王都守護騎士でしたからね。それに、次期大隊長の筆頭候補だったモデスタ中隊長は、依然として消息不明。代わりに大隊長代理をしておられる他の中隊長の方々は……」

 言いにくそうな顔で、ラヴィが言葉を飲み込むのを見て。

 ピペタは、苦笑いを浮かべてみせた。

 残りの中隊長たちが持ち回りで大隊長代理になったことで、誰も大隊長に相応しい者がいない、と露呈したようにピペタには見えていたが……。これはピペタだけでなく、騎士団全員の共通認識だったらしい。

「いや、言いたいことはわかる。無理に言う必要はないぞ」

「ありがとうございます。そういう事情なので、ウォルシュ大隊長の後任が同じく王都守護騎士となるのも、妥当な話だと皆が納得しているようです」

「ふむ。だとしても、正式に通達される前に、女子寮で噂が流れるというのは……。よくあることなのか?」

 単純に女たちは噂話が好き、というだけなのか、あるいは他に理由があるのか。ピペタとしては軽い疑問だったが、ラヴィは、一応の答えを持っていた。

「今回は、少し特別ですね。新しい大隊長は女子寮に入るということで、だから寮関係者に先に話が来たそうです」

「ほう、騎士寮で暮らすのか」

 大隊規模のトップに立つのだから、大隊長になるような騎士は、ある程度の年齢に達しており、妻子持ちであるのが一般的だ。ウォルシュだって家庭があったからこそ、家族で暮らせるような屋敷を与えられていたのだ。

 もちろん、例えばピペタのように、中年騎士でありながら妻も子供もいない、というケースはある。特に、今度の大隊長が女性であるならば、仕事一筋で独り身を貫いてきた騎士なのかもしれない。

 そう想像して、ピペタは少し親近感を抱いたが、

「噂によると、若い伯爵令嬢だそうです」

 とラヴィが言うのだから、どうやら見当はずれだったようだ。


 伯爵家には王国より領地が与えられており、だからこそ『伯爵』と呼ばれるのだが……。伯爵が自ら領地に赴いて直接統治するのではなく、例えばサウザにも都市行政府が置かれているように、それぞれで民主的に運営するのが基本スタイルになっていた。

 領地からの税収だけでも暮らせるだろうが、それとは別に、自分の仕事を持っている伯爵貴族も多い。

 今度の大隊長も、伯爵令嬢だというならば、いずれは伯爵家を継ぐのだろう。だが騎士団の中でも出世を志しているからこそ、わざわざ単身で、王都守護騎士団から都市警備騎士団へ出向してくるに違いない。

 新しい上司の思惑を、ピペタは勝手に考えてみたのだが……。

 ポロッと口からこぼれたのは、全く別の言葉だった。

「そういえば私は、王都守護騎士団でも、若い伯爵令嬢の下で働いたことがあったな」

「あら! モデスタ中隊長も女性騎士でしたし、ピペタ隊長は、何かと女性の方々と縁があるのですね。しかも、若い貴族の御令嬢だなんて!」

 いや『女性と縁がある』というような艶っぽい話ではないのだが……。

 反論しようかと思いながらも、躊躇してしまうピペタ。

 ラヴィは笑顔を浮かべているが、どうも口調が表情に合っていないのだ。

 彼女が内心で何を考えているのか、ピペタにはわからない。ただ、女性心理は難しいと感じながら、それ以上この話題は続けないことにした。


――――――――――――


 それから数日後。

 噂通り、王都から新しい大隊長が赴任してきた。

 部下を一堂に集めて挨拶するのではなく、短い時間で構わないから個別に面談したい、というのが彼女の要望らしい。南部大隊の中隊長と小隊長は、それぞれ一人ずつ順番に、都市警備騎士団の本部『城』へ呼び出されることになった。


 ピペタは少し緊張しながら、南部大隊の隊長執務室へ行き、そのドアをノックする。

「どうぞ」

 中から若い声が返ってきたので、扉を開けて入室すると。

 面談と面談の間の一休み、というタイミングだったのだろうか。新任の大隊長は、椅子を反対側に向けて、窓の外を眺めているようだった。

 大きな背もたれの付いた椅子に、深く沈み込むように座っており、入り口の方からでは、背もたれに隠されて彼女の姿はほとんど見えない。頭だけを少し覗かせて、かろうじて「金髪である」ということだけ確認できる状態だった。

「ピペタ・ピペトです。挨拶に参りました」

 という言葉に応じて。

 大隊長が、くるりと椅子を回転させる。

 正面を向いた彼女は、確かに若かった。「星がまたたいているかのような」という表現が似合いそうな、キラキラと輝く青い瞳。それに金色の巻き毛と、頬の雀卵斑そばかすが目立つ、まだ二十代の少女だ。

「お久しぶりね、ピペタさん。……ではなくて、今は『ピペタ小隊長』と呼ぶべきですのね」

「こちらこそ、お久しぶりです。ローラ隊長、いえ、ローラ大隊長」

 相手に合わせて、わざと最初は間違えて、以前の呼称を使うピペタ。

 まさに彼女こそが、ラヴィとの会話に出てきた、かつてのピペタの上司。王都守護騎士団でピペタの所属する小隊を率いていた女性騎士、ローラ・クリスプスだった。

 ピペタがローラの下で働いていたのは、ちょうどゲルエイ・ドゥたちと出会って、復讐屋ウルチシェンス・ドミヌスを結成した頃でもある。当時の悲喜こもごもが、ふと頭に浮かんできて……。

「あら、ピペタ小隊長。もっと懐かしさを顔に表しても良いのですよ。それとも、また私の部下になるのは、嫌ですか?」

「いえいえ、とんでもありません。ローラ大隊長と再会できて、嬉しくてたまらないくらいです。いやあ、本当に懐かしいですなあ」

 複雑な想いを胸に隠して、口ではそう返しながら。

 ピペタは、改めて決意するのだった。

 騎士としてではなく、むしろ裏稼業の一人として、初心に帰った気持ちで頑張っていこう、と。




(「復讐屋 vs 殺し屋」完)

   

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異世界裏稼業 ウルチシェンス・ドミヌス(4)「復讐屋 vs 殺し屋」 烏川 ハル @haru_karasugawa

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