第二十二話 彼女の末路

   

 服が黒いフード付きだったり、黒い頭巾を被ったり、顔に黒い布を巻いたり、あるいは墨を塗ったり……。それぞれ微妙な違いはあるものの、とにかく体だけでなく顔も黒で覆い隠すのが、殺し屋の基本的なスタイルというものだろう。

 モノク・ローの場合、動きやすそうな黒衣を着込んで、首から上には黒い布を巻き付けている。肌の色が見えるのは両目の周りだけであり、しかも、黒布の間から覗く肌も褐色を帯びているため、青い瞳が、いっそう際立つ状態だった。女性ということもあって、見る者が見れば、宝石のように美しい瞳、という印象すら受けるかもしれない。

 夜の廃屋あばらやにおいても、入り口や窓から差し込む月明かりに照らされて、不気味に輝く青い瞳。

 そんなモノクの眼光に射抜かれて、

「ひっ……!」

 モデスタ・ドゥクスの口からは、怯えた声が飛び出していた。


 窓ガラスが割れて、そちらにウーヌムが引き寄せられて。

 部屋の入り口からは、招かれざる客が二人。

 続いて『飛翔気流三兄弟』が皆殺しにされるまで、モデスタにとっては、全て一瞬の出来事だった。

 呆気にとられた彼女は、入ってきた二人がどちらも知った顔――ウォルシュ殺しを依頼した暗殺者と都市警備騎士団の部下ピペタ・ピペト――であることすら、わかっていなかった。目では捉えていたはずだが、その情報が、脳まで伝達されていなかったらしい。

「な、何よ! あなたたち!」

 今ごろになって、喚き始めるモデスタ。

 モノクに睨まれたことで、スイッチが入ったのかもしれない。『蛇に睨まれた蛙』という表現があるが、それまで彼女は硬直していたからこそ、逆に動けるようになったのだろう。

 ようやく、部屋に入ってきた人物が誰なのか理解して。

 モノクの視線から逃げるように、ピペタに顔を向ける。

「ピペタ小隊長! あなた、殺し屋たちの仲間だったのね!」

 今この場においては、一種の現実逃避になるのだろうが……。都市警備騎士団の中隊長として、モデスタは考えてしまう。

 以前から「地方都市サウザで暗躍する殺し屋は多い」と感じていたが、その『殺し屋』の中に、現役の都市警備騎士が混じっていたとは……! 捕縛する側の人間と繋がっているのであれば、なるほど、殺し屋たちも簡単には捕まらないわけだ……!

 この点に関しては、彼女自身を棚に上げた話だろう。モデスタも『飛翔気流三兄弟』と組んでおり、ウーヌムに至っては「これで少々の出来事は目こぼししてもらえる」と期待していたのだから。

 だが、それをピペタの一件に照らし合わせて考えられるほど、今の彼女の頭は、冷静に回ってはいなかった。

 そんな彼女に対して、少し憐れむような顔で、ピペタが返す。

「裏社会には裏社会のルールがある。殺しの依頼において嘘偽りを述べ立てた時点で、あんたはもう、自分の処刑命令にサインしたのと同じだったのだ」

 騎士団では一度も聞いたことのない、冷たい声だった。

 これがこの男の本性だったのか。モデスタは、背筋が寒くなった。


 そもそもモデスタにとって、ピペタという男は、うだつの上がらない部下の一人に過ぎなかった。

 王都からの派遣組のくせに、都市警備騎士団では小隊長というポストしか与えられなかった時点で、サウザに来る前の様子も想像できる。よほど大きな失敗を王都でやらかしたに違いない。心の中でモデスタは、彼を嘲笑あざわらっているくらいだった。

 王都の剣術大会では優秀な結果を収めたこともある、という噂は耳に入っていたが、彼女自身がピペタの腕前を目にする機会はなく、どうせ話半分だろうと思い込んでいた。

 だからウォルシュが個人的に警護役としてピペタを指名した時も、

「同じ王都からの出向というだけで、彼を過大評価してるのね。ウォルシュは目が曇ってるんだわ」

 と判断。ピペタ一人で『飛翔気流三兄弟』の襲撃からウォルシュを守りきれるとは思えないから、おそらく二人まとめて殺されるのだろう、とも予想していた。

 ある意味、無関係なピペタを巻き込む形になるのだが……。しょせん王都から来た騎士だから構わない。彼の死を想像しても心が痛むことはない、と考えるほどだった。


「裏社会のルール……? そんなもの私に押し付けないで! あなたと違って、私はオモテの人間! 真っ当な都市警備騎士なのよ!」

 自分でも何を言っているのか完全には理解しないまま、恐怖を紛らわせるかのように、とにかく言葉が口から飛び出す。

 視界の隅では、睨みつけてくるモノクの姿が見えているから、そちらに目を合わせるのは怖い。かといって、ピペタの方にも別の威圧感があった。

 ユラリと一歩、モデスタに歩み寄るピペタ。騎士剣を握る右手はダラリと垂らしており、剣を構えてはいない。だが、屠ったばかりのトゥリブスの血が剣先からポタリと垂れるのを見れば、それだけで十分に恐ろしく思えた。

 ピペタの剣が目に入ったからだろうか。今さらながらにモデスタは、自分にも騎士剣があることを思い出し、腰から引き抜いた。彼女も一応は、騎士学院時代に剣術を学んだ身。教本や訓練を思い返しながら、モノクにもピペタにも対応できる形で、騎士剣を構えた。

 臨戦態勢のモデスタを見て、ピペタが嘆息を漏らす。その意味は、彼女には理解できなかったが……。

 武器を手にしたことで、少しはモデスタの気持ちも大きくなっていたのだろう。過度に恐れることなく、自然と、強い言葉が飛び出した。

「サウザの街は、サウザで生まれ育った騎士が守るのよ! 王都の騎士なんかに、勝手はさせないわ!」

 自分自身の発言で、ハッとするモデスタ。

 口にした瞬間、理解したのだ。

 自分の心の中にあった、小さな矜持を。

 王都に対する想いが、単なるコンプレックスではなかったことを。

 何故これほどまでにウォルシュをけむたく感じていたのか。それは、出世欲だけではなかったのだ。

「そうよ! 私はサウザの名門、ドゥクス家の騎士! だから、この私がサウザの街を……」

 しかし。

 ようやく一つの真実に辿り着いたような気がしたのに、それを最後まで言い切ることは出来なかった。

 いつのまにか迫ってきていたモノクが、黒い鉤爪でモデスタの喉を掻き切って……。

 本人も気づかぬくらい唐突に、モデスタの命は失われたのだから。


――――――――――――


 モデスタの屋敷では、翌朝になっても彼女が戻らなかったため、何らかの事件に巻き込まれたのではないかと心配になり、都市警備騎士団に届けを出すことになった。

 ちょうど騎士団の方でも、本部に出勤するはずのモデスタが現れず、不審に思っていたところであり、大騒ぎになった。

 モデスタ失踪事件だ。

 大隊長代理が消えた、という大事件であり、都市警備騎士団――特に南部大隊――では、必死になって捜索したが……。


 モデスタが初めてアジトに乗り込んだ時点では、屋敷に保管されていた『飛翔気流三兄弟』の捜査資料。それらは、ウォルシュ殺しを依頼した直後、モデスタの手によって全て破棄されていた。三兄弟の殺し屋と繋がりが出来た以上、もしも資料が流出して彼らが捕まるようなことになれば、モデスタ自身が窮地に陥るからだった。

 それに加えて、亡くなった夜のモデスタは、屋敷の者たちに「ちょっと出かけてくる」と告げただけで、その行く先については何も言い残していなかった。途中ですれ違う通行人も少なかったため、どこへモデスタが向かったのか、後になって調べても、十分な情報は得られなかった。

 また、そもそも『飛翔気流三兄弟』がアジトにしていた空き家は、誰も調べないような辺鄙なところに建っていたからこそ、殺し屋が住み着いたのだった。つまり、モデスタを探す過程においても、理由もなく捜査の手が伸びるような場所ではなく……。

 諸々の事情が重なって。

 都市警備騎士団が調べても、モデスタの亡骸が発見されることはないのだった。

 したがってモデスタは、公的には『行方不明』として処理されている。


 一方、ウォルシュ大隊長の屋敷の警備は、依然として続けられていた。

 ウォルシュ殺しの依頼人であるモデスタも、実行犯の『飛翔気流三兄弟』も亡くなったが、その事実を都市警備騎士団は知らないからだ。

 ウォルシュ本人は、モデスタ失踪のニュースを聞いて、

「モデスタ中隊長は、どこかで殺されたに違いない! 標的は私だけではなかった! 南部大隊そのものが狙われているのだ!」

 と思い込み、ノイローゼを悪化させたという。

 このままサウザの街に留まる限りは治らないのではないか、という治療師たちの判断。さらに、いつまでも複数の小隊を護衛任務に割きたくない、という東部大隊の思惑。複数の理由により、ウォルシュは王都に戻って療養する、という話が決まった。


 こうして、しばらくの間。

 大隊長と補佐役である中隊長、その両方が不在、という異例の事態に見舞われた南部大隊。次の大隊長が正式に就任するまで、残った中隊長たちが協力して、交代で大隊長代理を務めたという。

 しかし彼らは、それまで街の見回りをするだけだった者たちだ。実質的には小隊長と同じ役割だったため、いきなり騎士団本部で大隊長の任をこなすのは、なかなか大変だったらしい。

 南部大隊全体が軽い混乱状態に陥る中、ピペタは、裏の仕事でモデスタたちを始末した当事者として、

「なんだかんだ言って、大隊長のような仕事をやらせるのであれば、あの女は優秀だったのだな」

 と、少し複雑な気分になるのだった。


 そして、半月ばかりが過ぎた頃。

 南部大隊の新しい大隊長が決まった、という噂が流れ始めた。

   

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