西から来た剣士

デッドコピーたこはち

第1話

 不壊剣は、人身御供の禁呪によって造られ、命の炎で鍛造される。永遠にその形を保ち続け、持ち主の魂と強く結びつき決して離れることはない。故に、不壊剣の持ち主の魂は天上へと登ることを許されず、その肉体は呪われた不死となる。


 地平線に沈みかけている太陽は、世界を血のように染め、陽炎に揺らいでいた。夕日は、砂丘にはっきりとした陰影を刻んだ。

 井戸に水を汲みに外へ出たカラは、砂丘の天辺に夕日を背にして立つ人影を見た。だが、それはあり得ない筈だった。カラは思わず両目をこすった。人影が来た方向は、限りなく砂丘の続くべデル砂漠のある西だったからだ。『ふち』を意味する名を持つこのデヘラの村はべデル砂漠にもっとも近い集落だ。砂に囲われたこの村は大きなオアシスがあり、何とか人が住める土地ではあった。だが、これより西に人が住めるような場所は一切ない。

 カラは父の語った話を思い出した。『カラ、西から人の声が聞こえても、答えてはいけない。それは、悪い幽霊がお前をおびき寄せて食べてしまう為の罠なんだ。決して、西の砂漠に足を踏み入れてはいけないよ……』

 カラは走って自分の家へと戻った。

「お母さん!」

 カラは玄関を勢いよく開けた。カラの母であるドナは夕飯の支度をしている途中であった。ドナはカラの尋常ではない様子に驚いて、目を見開いた。

「どうしたのカラ。まさか、またグドーの連中が……」

「そうじゃなくて!西から人が歩いて来てるんだよ!」

「そんな……」

 ドナは息を呑んだ。カラのいうことが本当であれば、その人影はまず、生きた人間ではないだろう。少なくとも曾祖父の時代から、べデル砂漠を越えてこの村に来た人間はいなかった。生ける死体リビングデッドか幽鬼の類か、あるいは……

 こんな時こそ、夫にそばにいて欲しかった。ドナはそう思った。だが、夫はグドーの燐鉱山の働き手として取られてしまっている。他の村人の男衆も同様で、今この村にいる大人の男は呑んだくれのグドーの手下だけだ。

 村の一番西にあるこの家と幼い娘を守るには私がやるしかない。そうドナは決心した。

「カラ、家に居なさい」

 ドナはしゃがんでカラと目線を合わせていった。カラは不安げにドナを見返したが、母の決意を感じ、頷いた。ドナは菜切り包丁を持って家を出た。


 ドナは家を出て、西を見た。太陽はすでに砂丘の向こう側に沈んでいた。一気に気温が下がり、肌寒くなる。雲一つない空が昼と夜とが入り混じった色へ変わっていく。だが、まだ明かりが必要なほど暗いわけではない。

 ドナはカラの言う通り、何者かが西からこちらに歩いてきているのを見た。砂丘に残る足跡が、その何者かが砂丘の向こう側から来た事を物語っていた。

 その不審者は所々擦り切れた鼠色のフード付き外套を羽織っており、その顔を伺うことはできなかった。だが、腰に剣を提げているのはわかった。ドナは固唾を呑んだ。

「アンタ!何しにきた!」

 ドナは精一杯の大きな声を出し、震える両手をなんとか御して菜切り包丁を不審者の方へと向けた。もし、あれが野党や死霊術師ネクロマンサーの作った兵士の類だったら、終わりだ。ドナは神に祈った。

 不審者はドナの声に反応したのか、足を止めた。そして、おもむろにフードを脱いだ。黒髪の女の顔だった。

「水を、いただけませんか」

 しわがれた、だが穏やかな声だった。


「ありがとうございます。夕飯まで頂いてしまって」

 ウェンラと名乗った女はいった。ドナとカナ、そしてウェンラは同じ食卓を囲んでいた。

「良いんだよ。困った時はお互いさまっていうじゃないか」

 ドナはいった。

 西の砂漠を踏破してやってきたという冒険者を家に招き入れ、あまつさえ食事を与えるなど、自分でも常軌を逸しているとドナは思った。だが、疲れ果て、乾ききったウェンラの顔を見て、邪険にすることなど、ドナにはできなかった。

 ウェンラは礼儀正しかった。家に入る時、怖がって柱の裏に隠れていたカラにすら頭を下げた。また、ウェンラはドナが見たどんな人間よりも綺麗に食事を食べた。最初は、天日干ししたゾンビのようだったウェンラも、スープとパンを食べたことで、随分血色が良くなっていた。

 食事中、ウェンラは今までの冒険で見て来たことをドナとカラに話した。岩が煮え立つ炎の大地、極寒の海で山よりもそびえ立つ氷塊、飛龍が雲霞の如く飛び回る渓谷、秘匿された巨人たちの王廟……砂に囲まれた生活しか知らないドナとカラには、まるで異世界のことの様に感じられた。

 既に、ドナはウェンラを気に入っていた。だが、カラは警戒心をまだ捨てきれないようだった。

「お姉ちゃんって、悪い幽霊なの……?」

 カラは半信半疑という感じで尋ねた。

「こらっ!カラ。失礼でしょう」

 ドナはぴしゃりとカラを叱った。ウェンラはふふっと笑った。

「……そうだよ。お姉ちゃんは子どもを食べるのが大好きなわるーい幽霊なんだよ」

 ウェンラはそういってカラの両脇をくすぐった。カラはきゃっきゃと笑った。


「それで、なんで東を目指してるんだい?なにかあるのかい?」

 ドナはウェンラに問いかけた。

「なにがあるのかわからないから、行くんです。」

 ウェンラはそう答え、にっこりと笑った。ドナはもはやウェンラに対して憧れすら覚えていた。この狭い村を飛び出して、ウェンラのように広い世界に飛び出せたのならどれほどいいだろう。ドナはそう思った。だが、それは夢物語であることもドナはわかっていた。自分には子どもも夫も居る。それに、自分には世界を渡っていく剣術の腕も、魔術の才もない。

「ねえ、もっと聞かせておくれよ。冒険の話を」

 ドナは頬杖を突きながらいった。

「もちろん」

 ウェンラは応えた。

 ドナとカラにウェンラが冒険の続きの話をしていると、外から騒がしい音が聞こえた。

「なんでしょう?」

「グドーの一味がなにか悪さをしてるのかも……」

 ドナは眉を寄せながらいった。

「グドー?」

 ウェンラは首を傾げた。

「錬金術に使う燐鉱石の鉱山がここらで見つかったとかで、最近この村にやってきたならず者たちさ。……ツソーク要塞跡に住み着いて、燐鉱石の採掘をやってる。家族を人質にとって、ここらの近隣の村から男衆をみんな引っ張って働かせてるんだよ。私の夫もそうさ……命令に従わなきゃ私とカラを殺すって言われて、鉱山に連れてかれちまった」

 ドナは悲し気にいった。カラはドナに抱き着き、ぶるぶると震えていた。

「……そうですか」

 その内に騒がしい音が大きくなってきた。

「私が様子を見てきます」

 ウェンラは席を立った。

「でも、あんた……」

 ドナは不安げにいった。

 ウェンラは下していた自分の剣をまた腰に提げ直し、外套を羽織った。

「一飯の恩、お返しします」

 ウェンラはにっこりと笑って、玄関から出ていった。


 ウェンラが外に出ると、村の中央にある広場で5人の男が一人の女を縛り上げているのが見えた。広場の周りには、無理矢理に連れて来られた村人たちが所在なく立っていた。

「こいつの夫は俺たちに逆らった!だから、今からこいつを処刑する!よく見ておくんだな。俺たちグドーの一座に逆らうとどうなるか!」

 右手にねじくれた木の杖を持ち、黒い外套を着た男が声を張り上げていた。風貌からして魔術師であろうか。ウェンラはそう判断した。他の4人は斧や槍などで武装し、革の鎧を着ていた。

「まて!」

 ウェンラは声を上げた。広場に居る全員の視線がウェンラに集まった。

「なんだお前は。見かけない奴だな」

 魔術師の男は訝しんだ。

「私は通りすがりの者だ。だが、貴様らの非道、見過ごせぬ。この剣で斬られるか、悔い改めて降伏するか、選ぶがよい!」

 ウェンラは腰に提げた剣を抜いた。その剣はウェンラの腕ほどの長さで、その両刃は光沢のない黒い金属で出来ており、柄には大きな紅玉ルビーが嵌まっていた。この紅玉ルビーはウェンラの剣がただの剣であるだけでなく、同時に魔法の杖でもある事を示していたが、グドーの手下たちは気がつかなかった。

「馬鹿が。英雄になったつもりか?」

 魔術師の男がいった。

「おっ、嬢ちゃん。やる気かい……」

 男たちは各々の武器を構え、ウェンラの方に近づいてきた。

「なるほど。さて、この中に私を殺せる者はいるかな?」

 ウェンラは剣でグドーの手下たちを指して、いった。

「今の状況わかってんのか?かっこつけると長生きできねえぜ、嬢ちゃん」

 短槍を持った男がいった。

「へへへ、イカれちまってるんだよ。コイツ」

「ちげえねえ」

 グドーの手下たちは笑った。こちらは5人、その内一人は魔術師だ。負けるわけがない。そう考えていた。

 短槍を持った男と手斧を持った男が左右から挟み込む様にウェンラへと近づいた。その後ろには幅広の曲剣を持った双子が控えており、さらにその後ろには魔術師の男がいる。

 魔術師の男は火球ファイアボールを放つべく、詠唱を始めた。

 火球ファイアボールは最も初歩的な攻撃魔術だが、生身の人間がまともに喰らえば死ぬ術だ。かつて素行不良で学院を追い出された魔術師の男は、いくつかの初歩的な魔術しか使うことができない。だが、そのいくつかの魔術を繰り返し練習し、完璧に扱えるよう訓練していた。命のやり取りの場でも詠唱は淀みなく、早い。火球ファイアボールであれば5秒に一発撃てるし、人間あいてなら百発百中の自信があった。

 魔術師の男を止めるには前衛2人と中衛2人を突破しなくてはならない。この5人ができる万全の隊形であった。


「へへへ、降参したって良いんだぜ。今なら命はとらねえ。かわいがってや――」

 斧を持った男が言い終わるまえに、ウェンラは弾かれるように駆け出した。ウェンラはあっという間に、斧を持った男を剣の間合いに捉え、右なぎに剣を振るった。斧を持った男は柄でそれを防ごうとしたが、間に合わず、首を切り落とされた。

「このクソ――」

 それを見て、短槍を持った男は大きく踏み込み、ウェンラへと短槍を突き出した。ウェンラは逆手に剣を握りなおし、短槍の穂先を切り払い、その勢いのまま回転した。一回転して勢いよく振るわれた剣先が、短槍を持った男の喉笛を切り裂いた。

「くあ……」

 短槍を持った男は鮮血が迸る自分の喉を抑えた。ここまでが、斧を持った男の首が地面へと落ちるまでの出来事であった。

 魔術師の男は驚愕した。しかし、何とか気を抑え、詠唱を続けた。

「ハーッ!!」

 双子はウェンラへと同時に飛びかかった。

 全力で放たれた2発の切落としを、ウェンラは同時に剣で受け、押し返した。思わぬ力で曲剣を押し返された双子は、2人ともが無防備にその胴体を晒してしまった。ウェンラはその一瞬を見逃さず。左なぎに剣を振るった。双子は一振りで脇下を一刀両断され、2人とも即死した。

 ウェンラは剣を振り、剣についた血を振り払った。


 仲間が全滅する様を見せつけられていた魔術師の男は、何とか火球ファイアボールの詠唱を終えた。

「――飛べ!小さな太陽!」

 男が叫んだ。男が持つねじくれた木の杖の頭に埋め込まれた琥珀アンバーから、握りこぶしほどの火の球が生じ、ウェンラめがけて飛んでいった。間違いなく当たる。魔術師の男は確信した。

 火球ファイアボールがウェンラの頭部に着弾する直前、ウェンラは剣を振るった。火球ファイアボールに剣が触れた瞬間、一瞬だけまばゆい光が剣を包んだ。すると、火球ファイアボールは明後日の方向に飛んで行った。

 魔術師の男は唖然とした。

 魔術反射スペルパリイ、剣術と魔術を高いレベルで修めた優れた魔法剣士だけが使える技であった。奇跡とさえ言えるタイミングで武器や防具に魔力を流し込むことで魔術を反らすのだ。この技を見た瞬間、魔術師の男は、自分がウェンラに絶対に敵わないと知った。

 ウェンラはゆっくりと、魔術師の男の方に歩いてきた。

「聞きたい事がある」

 ウェンラは剣を魔術師の男の喉元に突きつけていった。その時、魔術師の男は自分が失禁していることに気が付いた。


「おーい、おーい。門を開けてくれ!」

「ん?なんだ?」

 ツソーク要塞の門の上、監視塔に詰めていた門番たちが何者かが近づいてきたことに気が付いた。

「アイツ、ゴーヨじゃねえか?なんでこんなところに。隣にいるのは誰だ?」

「この方はグドーさまの客人だ!門を開けてくれ!」

 仲間うちからはゴーヨと呼ばれる魔術師の男が叫んでいた。その隣には鼠色の外套を着た人物が居た。その人物はフードを目深に被っており、その顔を門番たちが見ることはできなかった。

「なんでこんな時間に……」

 門番たちは訝しんだ。もうすっかり日は暮れている。客人が来るには余りにも遅すぎる時間だ。しかも、ゴーヨはデヘラの村を警備しているはずであった。

「グドーさまに報告してくる」

 門番の一人が頭領であるグドーに伺いを立てる為に席を立った。

「その隣のヤツは誰だ?!」

「錬金術師の方だ。燐鉱石の買取についての話があるんだ!」

 ゴーヨはいった。

「本当かな?」

「いや、わからん。だが、怪し過ぎる」

 門番はゴーヨの言うことが本当か、こそこそと話し合い始めた。

 しばらくすると、その後ろから全身に黒い甲冑を着た人物が現れた。その人物は、背中に大剣を背負っており、女の顔を模した鉄製の仮面をしていた。地龍の厚い皮でつくられた大剣の鞘には、植物の蔓のようにも見える複雑な封魔の紋様が描かれていた。

「やつを射て、隣のやつもだ。クドーさまは知らないと言っている」

 冷たい女の声だった。

「ネ、ネドさま。了解しました」

 ネドはグドーの右腕だった。グドーの一座における兵士たちの実質的な最高指揮者であった。しかし、いつも鎧と仮面は外さず、その顔を見たものはいなかった

 門番たちが弓を番え、射た。矢はゴーヨの身体に突き刺さった。しかし、鼠色の外套を着た人物には一本も刺さらなかった。ゴーヨの身体は砂の地面に崩れ落ちた。

「なるほど、矢避けの魔術か。歩兵をだせ」

 ネドはいった。門番の一人が槌で監視塔に設置された鐘を連続で打ち続けた。すると、要塞の外に設置された詰所からぞろぞろとグドーの兵士たちが現れた。鼠色の外套を着た人物は外套のフードを脱いだ。黒髪の女だった。

「やれ!」

 ネドの指示と共に、グドーの兵士たちがに襲い掛かった。

 先鋒に立った槍兵たちが同時に女へと槍を突き出した。女は跳んだ。槍が空をきった。女は空中で一回転捻りを決め、槍兵たちの背後に着地した。槍兵たちが振り返る前に、女の剣が振るわれ、槍兵たちの首が飛んだ。

「うおおおっ!」

 剣兵たちが叫びながら突貫を開始した。女は敵の剣をいなし、弾き、剣兵を次々と切り倒していった。

「そいつを貸せ」

 ネドは門番の一人から弓矢をひったくり、矢を番えた。

「――我が矢よ、風に惑わずまっすぐ飛べ」

 ネドの右腕の手甲に嵌められた黒玉髄オニキスが鈍い光を放つと、矢に矢避け封じの加護エンチャントが施された。

 ネドは矢を放った。乱戦の最中にも関わらず、矢は正確に女の後頭部目がけて飛んで行った。女は矢が刺さる直前で近くに居た剣兵を引きよせ、盾にした。ネドの放った矢は不運な剣兵の頭に突き刺さった。

「ほう!」

 ネドは完全に不意を突いたはずの攻撃を防がれ、深く感心した。ネドは弓を放り投げた。

「不浄の炎よ。生命を食い、燃え盛れ。槍となり我が敵を穿て!」

 黒玉髄オニキスから黒い炎が生み出され、ネドの右手に集まり、投げ槍の形を成した。ネドは黒い炎の槍を握り、投げた。黒い炎の槍は、女が剣兵を兜ごと叩き割っている所へと飛んでいった。寸でのところで、女は剣で黒い炎の槍を受けた。その瞬間、大爆発が起こった。爆炎と衝撃波が周りに広がった後、砂煙と黒煙がもうもうと立ち上った。

「ふん、直撃だな」

 ネドは得意げにいった。監視塔の上にいた門番は、ネドが味方ごと敵を吹き飛ばしたのを見て、自分が下に居なくて良かったと心の底から思った。

 その時、砂煙と黒煙の中から女が歩み出てきた。女の右腕の肉は裂け、骨は剥き出しになっていた。

 あの術をモロに受けたにしては怪我が軽い。魔術反射スペルパリイを行ったのだろう。ネドはそう推測した。

 だが、それよりも驚くべきことが起こった。女の時間を巻き戻す様に、滴る血は傷口に戻っていき、その傷は塞がったのだ。

 まさか。そう思いネドは女の右腕に握られた剣を見た。あれほどの威力の魔術を受け止めたにも関わらず、剣には刃こぼれ一つなかった。

 ネドは監視塔から飛び降り、三点着地で門の外へと降り立った。

「不壊剣か……!」

 人身御供の禁呪によって造られた不壊剣は、持ち主の魂を呪い、その身体を不死に変えるという。ネドはかつて自分に血が通っていた時のことを思い出した。失ったはずの心臓が高鳴るのを感じた。

 ネドは立ち上がり、女をまっすぐ見つめた。立ち会ってみて、わかる。この女は強い、迸るほどに。この女は不死である前に、今まであった中で最強の剣士なのだ。ネドはそう思った。

 ネドは生前の数十年間、外法により生ける骸骨スケルトンとなった数百年間の全てを剣術に捧げてきた。時に使える主は変わったが、そんな事はどうでも良かった。ただひたすらに強さだけを求め、人間性すらも捧げた。ネドはこの数十年間、傷一つ受けた事はなかった。自分より強い剣士など、もはやこの世界には居ないのだと、そう思っていた。だが、この女を見た時、それが揺らいだ。


「私は冷たい顔のネド!ヴドール皇帝の元筆頭守護騎士にして、この国最強の剣士だ!名を名乗れ!」

 ネドは自らの背中に背負っていた大剣を天に捧げていった。

「私はウェンラ。エルデルンカの騎士」

 ウェンラは剣を右手に持ち、左手で右手首を掴んでいった。古式に則った戦前礼であった。

 エルデルンカは、はるか西方にあったとされる亡国である。ネドは失ったはずの笑みを浮かべた。

「貴様も亡者であったか。ちょうど良い。いくぞ!」

 ネドは自らの大剣――吸精剣――を上段に構え、突っ込んだ。ネドの全力の袈裟切りはウェンラの不壊剣によって、受け止められた。ウェンラとネドはギリギリとつばぜり合いをした。

 膂力はほぼ同じか。ならば、このままで良い。ネドはそう思った。

 ネドの吸精剣は夢魔王の角を削りだして作った魔宝具である。近くに居る全ての生命ある者の精気を吸い、己が物とする呪われた剣だ。生身のものには到底扱えない呪物だが、ネドは既に死者である。

 つばぜり合いをすれば、相手の精気を一方的に吸い続けることができ、それを相手が嫌って離れようとすれば、その隙を突くことができる。これがネドの最も得意とする必勝型の一つであった。

 いかな、不壊剣に呪われた不死といえど、精気を吸い続ければ戦闘不能にすることはできるだろう。さらに、精気を吸い続ければ殺しきることもできるかもしれない。さあ、どうする。ネドはそう思い、相手の出方を伺った。

 釣り合っていた力の均衡が急に崩れた。ウェンラが急に力を抜いたのだ。

「うっ」

 虚を突かれたネドは呻いた。つばぜり合いが崩れ、ネドの吸精剣がウェンラの方に押し込まれたが、ウェンラは剣先で上手くそれを反らした。前につんのめったネドに対し、ウェンラは足を引っかけ、肩で上体を押した。自らの力を利用されたネドは転倒した。ネドは何とか身を捻り、前転をしてウェンラから距離を取った。

「小癪な!」

 前転をしたネドが膝立ちのまま振り返ると、ウェンラは不壊剣を大きく振りかぶっていた。不壊剣は炎を纏い、赤熱していた。その炎によって大気が揺らいでいるのがネドにも見えた。

「――行け、炎刃」

 ウェンラは剣を横なぎに振るった。不壊剣が纏っていた炎は飛翔する斬撃となり、ネドに襲い掛かった。

「ぐうっ」

 ネドはウェンラの攻撃を胴にモロに受けた。鉄でつくられた胸当てが熔解し、ネドのあばら骨が露わになった。

「まだだ!」

 ネドは吸精剣に蓄えられた精気を引き出し、魔力へと変えた。

「雷撃よ!」

 ネドは右手を吸精剣を持ったまま突き出した。手甲に嵌められた黒玉髄オニキスから青白い雷が放たれた。ウェンラは雷を不壊剣で受け止め、そのまま返した。ウェンラの魔術反射スペルパリイによって正確に返された雷は、ネドの鉄仮面に当たり、熔解させた。

「くそ……」

 ネドは半壊した仮面を引き千切り、捨てた。ネドの素顔、白い頭蓋骨が露わになった。

「いや、馬鹿が」

 ネドは立ち上がりながら独りごちた。敵は真の強者であり、小細工は通用しないのはわかっていたはず。しかし、自分は安易な勝ちを拾いに行こうとしてしまった。ネドはそう思い、自らの慢心と傲慢を恥じた。

「ふううう……」

 ネドは吸精剣を握り直し、失ったはずの呼吸を整えた。スケルトンになってからは、無意味になり、忘れていた剣術の基礎であった。

「いくぞ」

 ネドはウェンラをまっすぐ見据えていった。雰囲気の変わったネドを見て、ウェンラは無言で頷いた。

 

 お互いに高い技量をもつウェンラとネドの剣戟は、互いの技を尽くす内に、奇妙な、だが美しい一定のリズムを刻みつつあった。ネドはそのリズムの中で感じたことのない爽快感を感じていた。

 切り、払い、突く。あらゆる技を尽くしてみても、ネドの技は全て返される。剣戟の中で全てが純化していく。ネドの視界からウェンラ以外の何もかもが消えていった。砂丘も夜空も石でできた要塞も、全て消える。いまや、ネドの世界にはウェンラと自身だけがあった。

  ウェンラ。今まで会った中で、最も強い女。そして、恐らく自分よりも遥かに強い女。激しい技の応酬の中で、戦いの天秤は徐々にウェンラへと傾きつつあることがネドにはわかっていた。ネドはウェンラに自らの全てをぶつけたくなった。今までの全てと、これからの全てを。天秤が完全に傾く、その前にやる必要があった。

「はあああっ!!」

 ネドは吸精剣に蓄えられた精気――今までに殺し、吸い取ってきた数千人分の精気――を全て魔力へと変え始めた。そして、その魔力を全て吸精剣に注ぎ込んだ。そこには、ネドが生ける骸骨スケルトンとしてこの世に存在する為に必要な魔力まで含まれていた。吸精剣は光輝いた。夜の砂漠は真昼の様に明るくなった。

 刹那、ネドは剣の師範との稽古を思い出した。その時も、やはり自分の技は全て通用しなかった。だがもはや、剣の師範の顔も思い出すこともできない。そもそも、なぜ自分は剣の道を志したのか……なにか大切なものを守る為だったような気がするが、今のネドにとっては、それも遠い忘却の彼方にあった。ネドにとって、人生を悔やむには余りにも遅すぎた。

「喰らえっ!」

 ネドはウェンラに渾身の突きを放った。ウェンラもそれに合わせて、突いた。

 吸精剣の剣先と不壊剣の剣先とが、全くの狂いなく衝突した。一瞬力は均衡したが、吸精剣があまりの圧力に耐えきれず、ひび割れ、砕け散った。吸精剣の剣先から放たれる筈だった魔力の奔流がネドへと逆流した。

 ネドがその汚れた魂ごと消滅する寸前に見たのは、ウェンラの悲しげな顔だった。また、死ねなかった。その顔にはそう書かれていた。

 ネドはウェンラに対して申し訳なさを感じた。私がもっと、もっと強ければ!彼女を不死の苦痛から解き放つ事ができたのに。もし、仮に外法になど頼らず、甘えなく剣術を極めてさえいれば……ネドは心の底から悔いた。それが、ネドの最後の思考であった。


「急に静かになったな……」

 グドーは大浴場で湯浴みをしていた。明かりは壁際に設置された数本のロウソクだけだった。グドーは薄暗い中で風呂に入るのが好きだった。

 先ほど、このツソーク要塞に侵入しようとしている愚か者が居ると聞いて、ネドに様子を見に行く様に言い、自分は安心して風呂に入ることにしたのだった。ネドを遣わしてからしばらくは、怒号や爆発音がしていたが、それも止んだ。

 ネドは強い。その愚か者が、男衆を取り戻そうとする村人なのか、燐鉱山を狙う賊なのかは知らないが、きっとネドに始末されたのだろう。ネドと燐鉱山がある限り自分は安泰だ……グドーはそう思った。

 リラックスして湯に入っていたグドーだったが、あまりにも静かすぎることに気が付いた。普段ならこの時間帯は、村から奪った酒と女で一杯やっている部下たちの声が聞こえる筈だが、この要塞に誰も居ないのかの様に静まり返っている。

「おい、誰か!来い!」

 返事がない。いつもなら、呼べばすぐに世話役の部下が飛んでくるはずだった。

「誰も居ないのか!おい!」

 グドーは声を張り上げた。何かがおかしい。

 その時、グドーは大浴場の入り口からコツコツと足音が聞こえてくることに気が付いた。グドーからは暗がりでよく見えなかった。

「誰だ?ネドか?」

 グドーは闇に目を凝らした。人影は剣を持っているようだった。

「ネドは死んだ」

 暗がりの人影はいった。グドーの知らない女の声だった。

「私が殺した」

 浴槽の縁まで来たその女は血まみれだった。真っ赤に染まったその顔はまるで、地獄の幽鬼のようだった。

「誰かきてくれ!侵入者だ!助けてくれ!」

 グドーは声を張り上げながら助けを呼び、浴槽の一番奥まで後ずさった。

「誰も来ない。お前の仲間は皆死んだ」

 女は浴槽の中に入って来た。女の浴びた返り血が湯に溶け、浴槽が赤に染まり始めた。

「お前、何者だ……」

 ゲドーは浴槽の壁に張り付きながらいった。

「私はウェンラ。ただの通りすがりだ」

「通りすがりが何でこんなことをする……金か!燐か!欲しいものなら何でもやる!」

「お前が村人たちに理不尽を押し付けたように、私は理不尽にお前を殺すだけだ」

 迫って来るウェンラと目が合ったグドーは、湯に浸かっているのにも関わらず、猛烈な寒気を感じた。ウェンラは歩みを止めなかった。

「命だけは助けてくれ……お願いだ……」

 グドーは手を合わせ、目の前まで来たウェンラに懇願した。

「お前のようなクズは、生かして置くとすぐに同じことを繰り返すだろう?知ってるんだ。それに、死ねるというのは……存外、恵まれたものだぞ」

 グドーはゴミムシを見るようなウェンラの眼を見た。

 ウェンラは剣を振るった。

 

 カラは周りの騒がしさで目を覚ました。まだ薄暗く、鶏も鳴いていないのに、何やら人が話している声が聞こえた。

 カラは、「様子を見に行く」と言って家を出ていったウェンラが、グドーの手下を殺してどこかへと消えたと聞き、昨日はよく眠れずにいた。あの優し気なウェンラが人殺しをした事も衝撃だったし、ウェンラはきっとグドーに酷い仕返しされるだろうと考えると、とても眠れなかったのだった。

 母のドナはまだ寝ているようだった。外の様子が気になったカラは、こっそりと外へ出た。玄関から出ると、多くの村人たちが外に出ているのがわかった。広場にも人だかりができている。何をしているのだろう?カラはそう思った。

「カラ!」

 広場からこちらに歩いて来ていた人物がこちらに駆け寄ってきた。その人物はひげが生え放題になっており、顔がよくわからなかったが、カラはその声で誰なのかわかった。

「お父さん!」

 カラは父のコルウに抱き着いた。

「ちょっと見ないうちに、大きくなったなぁ。カラ」

 コルウは離れ離れになっていた愛しの娘を抱きしめた。


「お母さん!」

 カラは玄関を勢いよく開けた。

「もう、何だい。朝っぱらから……」

 ドナは大あくびをし、玄関の方に向かった。昨日、よく眠れなかったのはカラだけではなかった。ドナも娘と同じく、ウェンラの身を案じて、よく眠れなかったのだった。

「ドナ……」

 玄関にはカラといっしょにコルウが立っていた。

「あんた……なんで」

 玄関に立つ夫を見て、ドナは口をぱくぱくとさせた。

「ウェンラお姉ちゃんに助けて貰ったんだって!」

 カラは嬉しそうにいった。

「そうなんだ、ウェンラって名乗る女の人が、鉱山にきてグドーの手下を全員やっつけてくれて――」

「あんた!」

 ドナはコルウに抱き着き、泣いた。


 ウェンラは鉱山に一人佇み、朝日を見ながら過去を懐かしんでいた。

 思えば遠くまで来たものだ。黒龍によって危機に瀕したエルデルンカ王国を救うため、私は救国の勇者として選ばれた。黒龍の硬い鱗は不壊剣でしか貫くことができない。不壊剣をつくる為の人身御供の儀式には、最も愛する人の命が必要だった。私の場合、それは唯一の肉親であった妹のウェンカだった。周りは肉親であるからだと思っていただろうが、実は違った。私とウェンカは一人の女と女として愛し合っていた。それは、結ばれるはずのない禁じられた愛だった。だからこそ、ウェンカは私と永遠に結ばれる為に、自ら炉に身を投げたのだった。

 だが、黒龍を打ち倒した後、継承者問題であっさりとエルデルンカは滅びた。そして、私はこの永遠の生を疎む様になった。あんなに妹と永遠に一緒に居られるのを喜んだのに、自分でも勝手な事だとは思う。だが、もはや生の苦痛は私には耐え難いものになっていた。

 私は私を殺せる存在を探して各地を巡ったが、見つからなかった。この不壊剣の呪いを解くには、もはや未知の東方世界に賭けるしかないのだ。

 ウェンラは立ち上がった。まあ、どちらにせよ、妹の魂と離れることができるのは、遠い未来のことだろう。そう思うと、死を待ち遠しく思う自分と、しばらくは妹と離れられないことに安心感を覚える自分がいることに、ウェンラは気付いた。ウェンラは苦笑し、東へ歩みを進めた

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西から来た剣士 デッドコピーたこはち @mizutako8

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