第24話 審判の夜
夕飯のカレーを食べてからの後も、レオくんはなぜか押し黙ったままだった。カレーの味が悪かったのだろうかと思ったが、そう質問してみるのは何だか憚られた。
日が沈んで夜になった。レオくんはテレビを黙って見ている。強盗殺人があったらしいことを伝えるニュースが流れてくる。次のニュースは中東での戦争がまだ終わらないこと。次のニュースはアメリカの大統領選挙のこと。動物園で産まれた動物の赤ちゃんを取り上げたニュースもあったが、その次にはもう陰惨なものになっている。
レオくんは何かに緊張しているのか、体をこわばらせている。まるで叱られる前の子供そのものだ。
不意に、バスルームからお風呂が沸いたことを知らせるチャイムが聞こえる。
「レオくん、お風呂沸いたよ。入らないの?」
「まだ入りません。もうすぐなのです。」
「もうすぐって、何の」
そう言いかけたその時だった。時計の時刻が八時ちょうどを指した瞬間、急に家の照明が消えたのだ。照明だけではない、テレビも、給湯設備のディスプレイも、いっぺんに消えてしまった。電源板のブレーカーでも落ちたのだろうか。普通ならそう考えるのだが、私はなぜかレオくんと初めて出会った日の夜のことを思い出していた。バケモノを初めてその目で見たあの日のことを。レオくんが私のヒーローになってくれた日のことを。
スマホからはバケモノ出現のアラームも警報も聞こえない。当然だ。ノケモノ会議は終わったのだから、その弊害として現れるバケモノも出てくるはずがない。でもレオくんは。
「獅子心臓に懸けて!」
そう言ってライオン紋の王子様に変身してしまった。その姿を見て、私はなんとなく寂しい予感に襲われた。
なんとなくだけど、レオくんがそのままいなくなってしまうような、そんな気がしたのだ。押し黙っていた理由も、さよならを言うタイミングを案じていたからじゃないかと思ってしまったのだ。
レオくんは窓を開けて、人工芝生の上に立った。
「レオくん。」
私が続いて外に出ようとしながら、そう声をかけようとするのと、レオくんが
「来ます。」
と言うのはほぼ同時だった。
私は夜空を見上げる。いつもは止まって見えるはずの星が、動いて見える。それも尋常じゃない速さで。誰かが星見盤を回して遊んでいるような、そんな気がする光景だった。時間が早回しになっているのか巻き戻されているのか。しかし、その星の動きもすぐに終わった。10月の夜空は4月の夜空と入れ替わってしまったのだ。
南の空の高いところ。そこに黄道十二宮の内の一つ、獅子座が見えている。そのうちの獅子の足元にある一際明るい星が輝いたかと思うと、大きな火球のようになり、弧を描きながら私の庭に向かって落ちてきた。人工芝の焦げる匂いがあたりに充満する。
火球はその光をだんだんと弱めてゆくにつれて人の形をとるようになる。レオくんよりもかなり大きい、男の姿だった。服装は鎧を着ている。西洋のものだろうか。銀色の鎧に節々に宝石があしらわれているようだ。顔は顎髭を長く伸ばし、しわくちゃで、老人然とした姿だった。
私は、位の高そうな人なのはわかるのだが、なんとなく信用できないものを感じ始めていた。
「あの、あなたはどちら様ですか。」
その言葉が出るのと同時に、レオくんがその老人の前に駆け寄っていた。
「先生。」
レオくんは確かにそう言った。先生。レオくんをこの街に派遣した張本人。レオくんの話では満足に動けないと言っていたが、どうして今ここに来たのだろう。
「先生」は口を開いた。
「こんばんは。お嬢さん。」
「こんばんは。」
何を言うか内心身構えていたのだが出てきた言葉は何のことはない挨拶だった。私はぎこちなくならないように努めながら答えた。
「私の名は柊レグルス。柊レオの師匠をしている。普段は街の底にある深き森で暮らしているが、時が満ちるとこうして姿を現すことができる。単刀直入に言おう。私は『浄化』のためにここに来た。」
「『浄化』。」
言葉に出してみてもピンとこない。汚い水を綺麗な水にするときに使う用語のように思えてしまう。
「先生」は杖をつくように右手を前に出した。
すると、コン、という音と共に一振りの剣が現れた。
「これは『贖いのツメ』。毛深いものの毛深さを切り裂くことで無かったことにする剣だ。これを使って『ノケモノ会議』によって蓄積したこの街にいるあらゆる人の毛深さを浄化する。」
毛深さを浄化する。罪深い人の罪を無かったことにする。聞こえはいいが何だかきな臭いものを感じる。私は咄嗟によく分かってもいないのに
「ちょっと待ってください。」
そう言っていた。
「先生」、いや柊レグルスは驚いたような顔をした。
「なぜだ。毛深さがなくなればヒトはもう一度神の子となる権利を得ることができるのに。罪がなくなれば何もかもが裁かれることなく自由になるというのに。『ノケモノ会議』でお前たち人間が望んだことこそ罪の消滅ではなかったのか?」
「それは違う。違います。罪とは、毛深さとは背負うべきなもので、むやみやたらに許されるようなものではないと思います。たとえその剣が万能だったとしても、この街の私たちには必要のないものです。」
私はそう答えていた。この答えが正しいのか、間違っているのかはわからない。けれど折角毛深さを背負っていくことを決めたのに、他人の手で無かったことにされようとするとそれはなんか違うんじゃないかと思ったのだ。プライドの問題なのかもしれない。
それを聞いた「先生」は小さく笑ったように見えた。「先生」は左手でレオくんの頭を撫でると
「レオよ。お前はこの街にする人々が好きか?」
とそう尋ねた。レオくんははい、と満面の笑みで言った。
「先生」はそれを見てならば、分かった、と言うと
「これより、この街の人間の処遇は保留とする。柊レオには引き続きこの街の人々の監査を任せることとする。南天カナコ、おまえには柊レオの補佐と監督を命じる。狼の力は今しばらくお前に預けておくことにしよう。各々星の道に違わぬように進むがいい。では、審判は結審とする。」
そう言うと、突如全身から光を放ち、次の瞬間にはその姿はなく、ただ焦げてはいない人工芝の緑が風にそよいているだけだった。
柊レグルスがいなくなると、レオくんは少しだけぼうっとして人工芝の上に立っていた。
「レオくん」
そう私が声をかけると、レオくんは一度深く深呼吸をしてから。
「あー、怖かった!」
と笑って見せた。そんなに怖い人には見えなかったと私が正直に言うと。
「だってお姉ちゃんがもしはいと答えていたら、先生はこの街の人全員を滅ぼしただろうと思う。」
そう恐ろしいことを口にした。あの答えにもなっているかどうかわからない答えで私はこの街の全人類の命を預かっていたのか。そんな気がすると身体中から嫌な汗がぶわっと流れてきた。それと同時に終わったのだと安堵感から力が抜ける。
そうして力無く見上げた星空には、もう獅子座の姿は見えなかった。そこにはただ秋の星座たちが静かに語りかけてくるように鎮座している。
私の家の照明やテレビ、給湯設備の電源が一斉に点き、お風呂が沸きました、のアナウンスが部屋中に響き渡った。
すぐに風呂に入ろう。レオくんが先に入ると言っても私が先に何としても入ろう。そう強く思った。
「ノケモノ会議」 遠影此方 @shapeless01
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