光輝ある聖文を讃えて 《シシリー・マフード》
17545年12月10日 奉納献詞 シシリー・マフード
万物を造りし偉大なる
この真の名を口にされることすら憚られる聖なる詞文をわたしは職業柄ただ
16人の
ご存知の通り、我々の世界は
気の遠くなるような年月をかけて大地は熱を取り戻し、海は息を吹き返した。空と森と夜にも精気が戻った。偉大なる本文に描かれた通りに生態系と文明は再生され、文中に描かれたままの姿が再現された。そう、我々は反復された物語を生きているのだ。しかしてそれは呪いではない。
ワートとギアロ、そして数限りない騒乱と和睦が、農具と性具が、イデオロギーと迷信とが――かの
しかし、すべて我らの運命は、あらじめ定められた筋書のままを辿ることになるのか。
聖文によれば、わたしは29歳という若さで死に、その才能を惜しまれながらも人々の記憶の内に葬られる。記述された死に様は申し分ない。それは秋のことで巷では自殺だとされている(わたしはあんな稚拙な遺書を残すらしい)が、その動機そのものは文中に記述はない。あと数年のうちにわたしを死に至らせるほど絶望させる何かが人生に待ち受けているのだとしたら、それはそれで楽しみだ。
ともあれ、
そのひとつは化外の地より人類を脅かす
最後の章、最後の段落においてワートとギアロの民衆が一斉に空を見上げる描写で本文は閉じられるのだが、あれは
そして物語の登場人物たち――
そう、
わたしはわたしの運命をすでに受け入れているし、そこに美しさを感じてもいる。いつかこの
わたしの密かな願いは、こうだ。あの遺稿が新たな
いや、わたしの言葉そのものは失われていてもいい。わたしの作品の周囲を飾るいくつかの
それは互いを参照点として、再組織化し、時として火と灰の中より蘇生させるのだから。あなたがたの綴る言葉は、いつだって新たな
……おっと、インク壺の中身が切れたようだ。
わたしは書き過ぎたような気もするし、書き足りなかった気もする。とはいえ、我が血で綴るほどに差し迫ってもいない。自分の意思で何事も終わらせられないわたしにはちょうどいいきっかけだ。
もし続きがあるのなら、いつか誰かが筆を取るだろう。きっとそうするはずだ。奉納献詞に決まりはない。そこにおいて全ては自由だ。インクは紙に沈み込むことで定着するが、書く者の心は反対に身軽になるべきだ。おぼえているか。ファスダがはじめての日記をつけたのは保護した鳩を空に解き放った日だったろう? いや、まだ我々のファスダは生まれていないし、限りなき大空はあのか弱い翼を受け止めていない。
おお、文字がかすれていく。言葉は紙の白さに限りなく近く――
フーリダヤム 十三不塔 @hridayam
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