路上の劇場

入間しゅか

第1話路上の劇場

ザーーーー

ザーーーー

ノイズ。スノーノイズ。

ブラウン管にはグネグネと蠢く色のおかしい草花が映る。

ノイズに混ざって微かに声が聴こえる。

「こちら地球!こちら地球!聴こえますか?」

緑色の花がアップで映し出される。

そこで映像は止まってしまい、ノイズだけが残された。

数十秒ほどのこの映像は浮浪者が路上で売っていた謎のVHSである。十円だったので面白半分で買ってみた。

物置からVHSテレビを出して再生してみたものの、なんの事やらわからない。

そりゃここは地球だろうよ。しかし、なんの目的で作られて、浮浪者の元にたどり着いたのか。興味がないと言うと嘘になる。

私はさっそく浮浪者と出会った路上に出かけることにした。路上というのが日雇い労働者が集う治安の悪い街外れだ。ワンカップ片手に管を巻く老人。アスファルトに寝そべる男。露出度の高い格好をした痩せた女が客引きをするあやしい小料理屋。人に慣れた様子のドブネズミ。この世の底のような場所だ。

肝試し感覚で路上に入る若者はいくらでもいる。VHSを買った日の私がまさにそうだった。路上にはガラクタを売る浮浪者がウロウロしている。

私にVHSを売った浮浪者は初老の男性で鼻の上に大きなニキビがある髭面だったのを覚えている。深めのフードを被り、何かのカセットテープや『エロビデオ』と油性マジックで書かれたビデオを路上に並べてニヤついていた。

男を見つけた場所まで来たものの、らしき人物はいなかった。ひとまず、近くにいたしかめっ面で座り込む老婆に男のことを尋ねる。

「ああ、知ってるよ。いないってことは今日は仕事にありつけたんだろうよ」

「仕事って?」

「あそこの店にいるから行ってみな」

老婆が指さす方向には古ぼけてた日本家屋で入口に暖簾がかかっていた。

老婆に従い店に向かうと暖簾には『寄ったって屋』と墨で書かれていた。

はて、ここいらでは珍しくそこまで怪しくないじゃないかとしげしげ見ていると、暖簾の奥から声がする。

「いらっしゃい」よく通る女性の声。導かれるように暖簾をくぐると、桃色の浴衣を着た小柄な女性がいた。私にニコリと笑いかけると、こちらへと手招きをする。

中に入ると真っ暗。いつの間にか女性は居なくなった。

何本か蝋燭がついていてるだけ。すると、突如暗がりにあのニキビ面の男の顔が浮かび上がり、私は驚き尻もちを着いた。蝋燭を片手にニキビ面の男はまじまじと私を見ている。

私は平静を装い、おしりを叩きながら立ち上がる。

「いらっしゃい」

男はニタニタと下品な笑みをたたえながら、私に蝋燭を差し出した。

「私は客じゃない。あなたに用があってきたんだ」

と言いつつ蝋燭を受け取る。

「いいえ、あなたはお客様でございます」

すきっ歯を見せながら喋る男はとても不快だ。

「客じゃないよ。私はあなたからこの間変なビデオを買ったものだ」

「そうでしたか。それはそれは。まま、こちらへ」

私の言葉など気にもとめず、男はつかつかと奥へと進んでいく。この暗がりで蝋燭があるとはいえ、置いてかれてはまずいと思い仕方なくついていく。

「おい、待ちなよ。私は客じゃないって!いたっ!」

男が突然立ち止まったので、男の背中にぶつかってしまった。

「ここが劇場でございます」

男は私に謝る気はサラサラないようだ。

「劇場?」

相変わらず真っ暗闇だ。

「左様にございます」

すると、ぎぃゃぁぃーというなんとも形容し難い音とともに男の正面から強烈な光がさし始めた。どうやら、扉があったようだ。目をしば立たせてて、見えてきたのは舞台だった。緞帳は降りている。その前に法被を着た男が一人立っていた。

舞台の前には御座が引いてあり、すでに何人か男女がくつろいでいる。

周囲を見渡すとどうやらドーム状の空間のようだ。

「お客様のお席はあちらでございます」

男は最前列の真ん中を指さす。

「だから、客じゃないの!帰る!」

明るいところにきたからか、強気になってきた私は踵を返して、トンズラしようと試みる。だが、扉があったと思われる場所は壁

しかない。バンバンと叩いてみたが、手が痛いだけだった。

「困りますな。これから開演なのに騒がれては」

やれやれと言った様子で、法被の男が話し始めた。

「あなたはチケットを購入したじゃないですか」

「は?」

「あなた、ビデオを買ったでしょ?」

「ええ、それが?」

「それがチケットでございます」私の隣でニキビ面が答える。

私はクエッションマークがぽこぽこと脳内に浮かび上がる。何を言っているんだこいつらは。

法被男が説明しだした。

「あなたのような好奇心旺盛な若者にこそ観ていただきたい芸術なのですよ。昨今、好奇心旺盛な若者が路上に増えいるのはご存知でしょう?彼らの目につくように例の謎のビデオを売りつける。あなたのように謎を探求しようとする素晴らしい若者をここに誘導するのですよ。なーに、怪しいものではございません。自己紹介が遅れて申し訳ございません。私は松平大二郎と申します。当施設の館長にして、劇団松平組の団長であります。アンダーグラウンドアートの申し子と呼ばれて早三十年。かつては日本アートシアターギルドに声をかけられたこともあったのですよ。そんな私がどこにも宣伝せずにやっている劇場、それがここ寄ったって屋なのであります。では、観ていただきましょう。劇団松平組で『さらば、肉弾!』」

松平大二郎が舞台袖に引いていく。電気が消える。

私はまだクエッションマークが処理しきれていない。

「おいおい、待ってよ!ねえ、帰りたいんだけど!」

緞帳があがる。私を置いて。周りの客が拍手で迎える。ライトが舞台を照らす。

そこにはスクリーン。スクリーンに移るのはグネグネと蠢く色のおかしい草花。

宇宙服を着た男女が現れる。

男女が同時に叫ぶ。

『こちら地球!こちら地球!聴こえますか?』


ようやく終わったか。

劇団員たちが手を振り緞帳が降りていく。

袖から出てきた松平大二郎が声を張り上げる。

「いかがだったでしょうか?この作品を観て我々にこれからも頑張ってもらいたい!と思った方!!強制ではありません。お気持ちだけの寄付をお願いいたします!」

松平大二郎が深々とお辞儀をすると、観客たちは拍手大喝采で舞台にお金を投げる。中にはお札を投げる者もいる。

「最高だった!」「まさに現代社会への痛烈な皮肉だ!」「ブラックユーモアに込められた人間賛歌に感激した!」

皆が思い思いの感想を叫ぶ。指笛まで聞こえだした。

私は白々していてもたってもいられない。

荒唐無稽なだけこれっぽっちもカタルシスのない不条理劇にイライラしかしなかった。

金返せ!十円だって払いたくない。

しかし、ここでいくらか出さなかったら、何か言いがかりをつけて帰してくれないのではないかと考えた私は、松平の顔面目掛けて五百円を投げ捨てた。

最前列でなんてくだらないものを見せられたんだ。帰ろう。時間を無駄にした。私は明日学校なんだ!

「開けてよ!」

ニキビ面は相変わらずのニタニタ顔でお辞儀した。

「御来場ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

「路上なんか二度と来るか!」

「それはそれは」

男がぐいと壁を押すとまたぎぃゃぁぃーと音がして、壁が開いていく。

寄ったって屋を逃げるように抜け出すと、路上は変わり果てていた。

「え?」

ザーーーザー

ノイズ。スノーノイズ。

目の前には色のおかしいグネグネと蠢く草花が生い茂る。

足元に咲いた緑色の花が巨大化していく。

「ここは地球?」

私が最後に松平大二郎の声を聞いた。

「いかがでしたか?楽しんでいただけたでしょうか?これが私の芸術です。アンダーグラウンドアートの最高峰!では、またのお越しをお待ちしております」


「ここは地球?聴こえますか?私の声が」

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