第3話【エピローグ】


【私の宝島】



「あった!」


私の指先が、本棚の奥にある古い書物の、部厚い背表紙に触れる。


それは昔、私が大学の卒論を書くために購入した【宝島】の作者であるスティーブンスンの伝記。その原書だ。


「めずらしいね・・君が読書なんて」


浴室で入浴を済ませた夫が、タオルで髪を拭きながら寝室に戻って来た。


「まったく・・いつまでも慣れんよ!あの浴室の匂いだけは・・」


そんな風に夫は愚痴る。


「そうね」


私は頁を繰りながら答える。


もし私たちがホルマリンのような液体に身を浸していても。もはやわからない。


私たち親がそうしたように。

私たちの親である国家が、大人達にも同じ事をしたとしても。


もはや私たちにはわからないのだ。


「私の卒論のテーマだったの」


「うわ!全部英文じゃないか・・」


ばりばりの理系で、エンジニアをしている夫は、本を覗き込んで忽ち顔をしかめる。


「これでも英米児童文学専攻よ!」


「大学では、海外の児童文学などを勉強してますの!」


などと言えば、男うけするだろう。

若き日の私の打算。


地金はすぐにばれるものだ。


それで運悪く逃げ遅れて、私に襟首を掴まれた男が現在は私の夫というわけだ。


「僕は大学で、ロケットの推進機構などを主に学んでおります」


首に巻いた蝶ネクタイは、社会性のつもりだったのか。センス悪!


迂闊にも「可愛い」と思ってしまった。


合コンの席で、ロケットエンジンの設計図を取り出して嬉しそうに話し始めた人。


そんな彼は昔から英語が大苦手だった。

見せてくれた論文やレボートは、英文科の私でさえ、前置詞や冠詞や助動詞しかわからない。お手上げだった。


女子を宇宙の彼方まで遠ざける、専門用語ばかりの英単語たちが、気恥ずかしそうに、ずらりと並んで私を見ていたっけ。


「大学の課題で英作文があるんだ」


そう言って、私に助けを求めて来た。

彼が課題で書かなくてはならない英作文は、簡単な自己紹介から始まり終わるもの。

それだけ書けたら合格点が貰えた。


自分は何処で生まれた何某で・・と言った、中3レベルのものだった。


なんでそんなものを書かされるのか。

彼には不合理で理解出来ないらしい。

語学や文学には昔からコンプレックスがあったようだ。そう彼は私に話した。


ましてや大量の文字に労力や装飾を費やして書かれた虚構の小説なんて論外。


なぜ人はそんなものに価値を見出だすのか。彼には理解が出来ないようだ。


そもそもアルゴリズムが主言語の人間。語学や文学にまったく興味がない。


難解な理数系の専門用語がずらずら並ぶ英文は苦もなく理解が出来るのに。


「それは昔から興味の対象だったんだ。多分僕には、それを理解する受容体が備わっている。すんなりと頭に入るものだ・・人間、自分が生きるのに必要なものだけは、けして忘れないものだよ!」


なら、私たちにはお互いを受け入れる受容体みたいなものがあったのだろうか。


普通なら夫のようなタイプ男性は苦手。


「私には無理!」


それで終わったはずだ。


そんな彼は私にとって神秘的で。

自分にない魅力を持った人に見えた。


一方で私は、情緒や情動にハンドルをおまかせして生きて来たようなものだ。


私も彼にはそのように映ったのか。

そもそも、そんなこと考えたり、人に話をする人でもないのだけれど。


「もうすぐヒロトも小学校卒業でしょう?それで私も・・昔を少し思い出してね」


「私の卒論は【スティーブンスンと宝島をめぐる考察】だったって話・・」


宝島という作品だけでなく、私の論文は彼の生涯を生立ちから辿るもので、それは私に19世紀の世界の都市を巡る、旅の機会を与えてくれた。


いつまでも忘れ難く、短くも楽しい旅であった。彼に別れを告げた後でも、論文の枝葉はのびて、日本の手塚治虫の作品まで読んだ。


まだ漫画というものが、未知で未開拓であった時代に手塚治虫は船出した。


その記念すべきデビュー作品。

そのタイトルは【新宝島】だった。


漫画の神様と呼ばれた人も、少年時代はスティーブンスンの作品に心踊らせたのだろうか。


そんな話になると私は饒舌になる。

上の娘の時も夫に話した気がする。


「ああ・・確かそんな話だったね」


「私・・この伝記の巻末に書かれている、この詩が、昔からとても好きなの」


大学生の頃から、結婚してからも、私は何度も彼に言ったことがあるずだ。


「確か・・そんな話だった」


夫は惚けた声で言う。


「読んでくれるかな」


まるで寝物語をせがむ子供みたいに。

いつも夫は私に言うのである。


夫は、私が好きなその詩や物語を、これまで幾度となく諳じても、けして自分では何一つ覚えようとしないのだ。


彼は覚える価値のないものは覚えない。


「君が読んで」


彼は言った。


「それが僕は好きなんだ」


「知ってるわ」


私は答えた。



【ロバート ルイス スティーヴンソン】


1850年11月13日、スコットランド エディバラにて、祖父の代から灯台を設計する技術者であった父トーマスと、母マーガレットとの間に生を受ける。


正式名はロバート ルイス バルフォア スティーヴンソン。


18歳の時に自らミドルネームのセカンドネームLewisをLouisに変更した。


以後、彼は名前を略す際にはRLSと名乗るようになった。


母国のエディンバラ大学を卒業後、弁護士資格を取得したスティーブンスンだったが。

彼は生まれつき病弱だった。


若い頃に罹った結核のため、各地を転地療養しながら作品を執筆し続けた。


詩、エッセイ、小説と、彼は生涯を通して実に精力的に作品を発表し続けた。


その生涯は、常に病弱な体を抱え、フランス、アメリカ、そして母国英国への帰還と、家族をひき連れて幾度も転地療用を繰り返している。


流転の人生であったと言われている。


1874年に雑誌に発表したエッセイ【南欧に転地を命ぜられて】が彼の処女作である。1877年にパリで、後に生涯の伴侶となる女性ファニー オズボーンと出会う。


ファニーは彼より10歳年上で、当時既婚者であり2人の子供がいた。


彼女は1879年に夫と離婚した。


翌年の5月。サンフランシスコで2人は結婚した。スティーヴンソンは、2篇の紀行文【内陸の旅人】【驢馬の旅】といった旅に関する作品を次々に発表している。


2人の子供たちとファニーを連れて英国に戻ると、精力的に創作に取り組んだ。


1度はフランスに、家族と住むための家を購入するも、父親の病気が悪化したために英国のボーンマスに転居。


1883年から1887年にかけて、彼の代表作である【宝島】【プリンス オットー】【誘拐されて】そして、もうひとつの彼の代表作【ジキル博士とハイド氏】といった作品を立て続けに出版している。


翌1887年。病の床にあった父親を5月に見送る。8月には、新たな転地を模作するため家族とともにアメリカへ移住する。


彼がその生涯を終えた土地は、生まれ故郷の英国エジンバラでも、妻と初めて出会ったフランスでもなかった。


スティーヴンソンは、以前スクリブナーズ出版社の依頼で取材した、南太平洋の島々の気候こそが「自身の健康のためには良いのでは?」そう考えた。


そして彼は、1890年10月、家族とともに南太平洋のサモア諸島中のウポル島に移住し、残りの生涯を同地で過ごした。


彼は島人からツシタラ(語り部)呼ばれ、とても敬われ好かれたらしい。


自らがすすんで、島の争いを調停するなど、島の暮らしに溶け込んでいたという。


島での彼の暮らしは、健康にも恵まれ、そこでも多くの作品を発表した。


1894年12月4日。スティーヴンソンは、妻とのいつもの語らいの途中で、テーブルの上に置かれたワインの栓を抜こうとした。


指先が栓に触れた時意識を失い倒れた。

その2時間後に彼はこの世を去った。

死因は脳梗塞だったと伝えられる。

44歳の若さだった。


彼は死の直前まで小説を口述していた。

その作品【ハーミストンのウエア】は、未完のまま。彼の遺稿となった。


スティーヴンソンの亡骸は本国に戻らず、ウボル島バエア山の頂に葬られた。


彼の愛した島と海とを一望出来る、その島でもっとも高い山の頂きに彼は眠る。


墓碑には彼の詩が刻まれた。


それが私の好きな彼の詩だ。



Requiem


Under the wide and starry sky


Dig the grave and let me lie


Glad did I live and gladly die


And I laid me down with a will


This be the verse you grave for me


Here he lies where he longed to be


Home is the sailor, home from sea


And the hunter home from the hill




鎮魂歌


広大な星空の下


墓を穿ちわたしは横たわる


私は喜びとともに生き


喜びとともに死に


従容として身を横たえる


墓にはこう刻んで欲しい


彼、憧れの地に眠る


船乗りは海から故郷を望む

狩人は丘から故郷を望む



私が書いたスティーブンスンの論文も、資料に用いた彼の伝記と同様に、最後の章はこの一編の詩で結ばれている。


その時の私はそれで満足した。

もしも、それから幾何かの時を経た私が、そこに何か書き加えるとしたら。


まだ見ぬ遠い未来を夢見ていた。

過去の私に未来の私からの言葉を。


もしもここが、本当は、私たち家族の暮らしていた家などではなくて。

閉ざされた絶海の孤島でも。


本当は、壁も床も薬品の臭いしかしない病棟の、隔離された一室であっても。


埋め込まれた端末が私の目を欺いても。

私はここで死にたいと思う。


杉の木。それとも道化師。

私は首を振って答える。


母として妻として。

家族を見送り。

見送られて。


人として死にたい。


ここには私の愛する家族がいる。

ここがどんな場所であっても。


一言だけ書き添えさせて。


ここが私の見つけた宝島だ。






【了】







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新 新宝島 六葉翼 @miikimiki

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