第2話【後編】


【終わりゆく世界で 杉になりたい母と道化師と宝島】




「は~疲れた~」


ようやく運動会が終わった。


帰宅した息子は、ダイニングテーブルに身を投げ出してくつろいでいた。


「ヒロトお疲れ様」


「最後の運動会頑張ったね!」


「でも100メートル競走は、たっかんに負けた・・やっぱ、あいつすげえや!短距離じゃかなわない・・」


「でも、最後のクラス対抗リレーは優勝できたじゃない!」


私がそう言うと、悔しげなその表情が、すぐに誇らしげな笑顔に変わる。


「ふふん!どっちか言えば、そっちがうれしいかな・・走る前は全然そうじゃなかったのに・・不思議な気持ちだ!」


「小学校最後の運動会で、優勝出来てよかったじゃない」


「言ってる間もなく文化祭だよ」


「修学旅行もね」


ウィルスの影響で、一度は中止と告知された学校行事が、次々開催されることになった。


「学校でも、みんなのテンションめちゃくちゃあがってんだ!」


「そうなんだ」


私は上気した息子の顔を見て頷く。


「みんなはしゃぎ過ぎで『おちつけよ』ってかんじ・・もうほんと、うるさいぐらいだよ!」


小学校にも活況が戻ったようだ。


「中止にならずによかったね」


「でも今日は疲れたな~」


「そんなところで眠らないでね」


「母さんのお弁当もおいしかった~ありがとう!」


「お父さんも・・カメラまわしてる間中応援し過ぎて、声が枯れて大変みたい」


満足気にテーブルに伏している。

息子の横顔を見れば私も笑顔になる。


やはり折々の行事や、お祭り的なイベントは子供の成長には欠かせない。


ただ机に向かって勉強する毎日は、味気ないしつまらないものね。


「空のお弁当の器…こっちにちょうだい」


息子が食べ終えた、サプリメントが入っていた器を私は受け取る。


息子の声が掠れているのは、体育祭で大きな声を出して頑張ったからではない。


まるかった頬も、この頃は少し尖って。

出会った頃の夫の顔に似て来た。

成長の証だ。


手をのばして頬や髪に触れたいけれど。最近はそれも嫌がる。


3年生の時に頬にキスしようとしたら。


「気持ち悪いから止めて!」


そんなことを言われて私は泣いた。

そんな記憶が甦る。


私は料理があまり得意ではない。


「これ美味しくないよね」


夫も娘も昔から、ものをはっきり言う。二人は、よく似た瞳と性格だった。


「美味しいよ!お母さんの作る料理は、全部美味しいよ!」


息子だけが、いつもそう言って、私の料理を喜んで残さず食べてくれた。


もはやそれも出来ない。


食材の生産も流通も、壊滅的な打撃を受けた今、営養補給のためのサプリに頼る他なくなった。


それは近年発生した、現在も猛威をふるい続ける進化型ウィルスのせいばかりではない。


今は世界中で蔓延している感染症だって。

人の叡知でほどなく沈静化するはず。


しかし、ウィルスと呼ばれるものの進化の速度は発生する毎に増している。

それも事実だ。


でも、今はまだ大丈夫。


ただ、それまで私たちの住むこの星の、人間に恩恵をくれていたものすべて。


大気や、太陽も、水でさえも、私たちにはもはやそのままでは有害でしかない。


私たち大人社会とウィルスが、少しずつ時間をかけて、子供たちから豊かな自然と、自由にお日様の下を笑って歩く世界や未来を奪ってしまった。


生きることはお祭り。

それを失ったからわかる。

小さな町や村の小さな縁日。

県外や他所の国から、大勢の人が訪れる大きな祭りも。コンサートだって。


人がそこに集う。


肩や、顔や、息さえ触れあう距離で。

喜びや感情を思いきり爆発させる。


生きてそこにいる喜びを分かち合う。

実は神様なんてそっちのけで。


息子の学校の運動会や行事だってそう。

それは全部お祭りだ。


お祭りだった。


祭りは、貧富の差も国籍の差別もなく、誰もが参加してよかったはずだ。


それは失われた。


これは大人から子供への罪滅し。

息子のヒロトは、本当はもう1年近くも学校には通っていない。


運動会で走ってもいないし、私が作ったお弁当も食べてはいない。


頭に埋め込んだ端末が、脳にそうした映像を見せ疑似体験をさせただけだ。


仮想の学校のグランドを友達と走れば、脳から神経を通じて、まるで運動をしたように体に負荷がかかる。疲れたようにもなる。


味も香りも無い、営養補給だけのサプリを食べても、私が拵えたお弁当を食べたように感じ、空っぽの胃袋も、満腹で満たされた気持ちになっただろう。


私たち大人が子供たちについた嘘。


それは、せめてもの罪滅しと言えるのだろうか。今はまだ私にもわからない。


この子が、やがて成熟した感情や思想を持ち、現実のこの世界を受け入れる日が来るまで。

私たち大人の罪を知る日まで。


その時までの幸せな微睡み。

せめて幸せな夢を見て欲しい。

多分それは大人のエゴに過ぎない。

ただそれを見ていたい。それだけ。


そんな私たち大人の身勝手なエゴ。


だけど、この子の姉は部屋で話してくれた。

高校生になる娘は、私にうちあけてくれた。


「昨日、学校でね・・ほら・・前に話したよね。その男の子、タケル君に告白されたの・・」


娘は、そこが以前通っていた学校ではなくて、自分の部屋だと知っている。


彼女はそれを知って許される年齢だ。


それでも、私の娘と、娘に告白をしてくれたっという・・同級生のタケル君だっけ。二人の感情や心の触れ合いは、けして虚でも仮想でもない。

私は娘とそれを共有出来た。


だから私は息子にこう言った。

罪の意識を母の声で振り払う。


「風邪ひくから…ちゃんと着替えてよ!」


私は、空の器を下げにいくふりをして、キッチンに向かうふりをする。


途中で鼻を少しすする。


「また花粉?」


背中で息子の気遣う声を聞いた。

私は、以前はかなり酷い花粉アレルギーに悩まされていた。


今、密封され、昼夜清浄化されたわが家の空気の中ではそれはあり得ない話だ。


花粉ごときに悩まされていた。

そんな私が懐かしい。


この国ではかつて、花粉アレルギーが蔓延していた。理由は実に簡単だ。


戦後政府の復興政策の負の遺産だ。

国は、建材となる杉の木を国土の山野に、じゃんじゃん植える事を奨励した。

経済の復興と発展に伴うベビーブーム。

人口の増加と建築ラッシュ。


農林水産省は、そんな甘言や美辞麗句を用いて林業関係者を大いに焚きつけた。

材木の高価買い取りを約束したからだ。


その親方日の丸との約束も、日米間の木材輸入の取り決めで、いとも簡単に反古にされた。

よくある話だ。


本当はそこに生育出来ない場所。

山の際や急勾配の崖地。


昔からご先祖様が生えてなかった土地。

杉の木たちは無理矢理植えられた。


「このままでは枯れる」


そう感じた杉は、季節になると通常の2倍3倍量の花粉を飛散するようになった。

そんな話を聞いた。なんて迷惑な話だ。


勿論それだけが原因ではない。


その頃から地球環境は悪化の一途を辿り、新しく生まれた子供たちは生きるために、大量の予防接種の投与が必要になっていた。


いつか私たちの体は、些細な体内の異物にも、空気中を漂う花粉にも過剰反応するようになった。


あんなに憎かった。

煩わしい杉の木。


今私はそんな杉にシンパシイを感じる。

息子よ母は杉の木になりたいとさえ思う。


「ねえ・・ママの出た大学って、偏差値や倍率とかすごいよね?私でも頑張ったら・・そこ行けるかな?」


大学受験を控えた娘とそんな話をする。


「私は文系だったし・・そんなに難しくはないわよ」


私は娘をそんな風に励ました。


「今から頑張れば・…きっと合格出来るよね」


「焦りは禁物よ」


娘にそんな風に言いたかった。

でも若いうちは、前のめりになって、焦ることも大事かもしれない。


この頃はそんな風に思う。


キャッシュレス決済が巷で主流になった頃。主婦の私は、5%とか10%ポイント還元やキャッシュバックが嬉しかった。


でも本当は、そのために提供する個人情報は、そんなに安いものではなかった。今になって私は思う。


このシステムを享受して、少しでも子供たちに恩恵があればと思い、私たち親は子供たちと家族の個人情報を提供した。


子供たちの脳にある端末は、住所や名前や性別だけでなく、国や誰かがその気になれば、遺伝子の情報までも、読取り解析が可能だ。この子の、将来かかりやすい病気の種類や、およその寿命、受験して合格可能な学校のランクや、将来就ける業種まで先読み出来る。


子供たちは知らずに解析分類されランク分けされて、その将来に関を下ろされてしまうかもしれない。


私たちが、子どもの為に国に売り渡したのは恐らくそういうものだ


「大丈夫!あなたはママの子だもの!」


私は、そう言って娘の頭を撫でる。


大丈夫・・貴女ならきっと大丈夫。

私は、いつもそう信じてるから。


それでも・・そんな言葉にも、すがりたい希望や未来への欠片はある。


遺伝子情報や血液や身体的特徴。それらの全てのバックアップや補完が可能なら。万が一この子たちに何かあったとして。娘の髪に触れながら、私はそんなことを考えるようになっていた。


以前なら、頭に端末を入れる事さえ倫理上の議論がされていた。


未だ禁忌扱いされている人間の複製化だって。その封が解かれるのは、もはや分刻み。時間の問題だと言われている。


「ねえねえ!ママは大学の授業で、なにが1番楽しかった?思い出とかある?」


「サークルで行った苗場」


それから卒業旅行。

とは・・さすがに答えづらい。


大学の授業は退屈だった。

学校で習ったことはほとんど忘れてる。


今でもテキストや問題集を見れば解答欄の穴埋めは出来るだろう。


暗記反復の繰り返し。

それで大学に受かった。


娘に、学校の勉強のことでいきなり質問されても、なんとか恥はかかずに済む。


それだけは、あの時勉強しといてよかったとは思う。その程度だ。


学生時代は英語だけは得意だった。


大学に入って、何となく面白そうだった選択科目が英米児童文学だ。


古典的名作と呼ばれる。海外の児童書を原文で読み、学期末にリポートを提出する。

そんな内容の講義だった。


誰もが知ってる海外の名作と呼ばれる。

子供のための書物。


子供の本なら、原文とはいえ簡単なものだ。

そう思ってなめていた。


どれもこれも大人の読む本なみの文字数。

いや、それ以上にどれもぶ厚い。

まるで百科事典のようだった。


そこに書かれていた文字の大半は、物語の本筋とは関係ないものだ。説教や訓示で溢れていた。

少し訳しただけで辟易した。


何世紀も昔。子供の社会的地位も紙同然だった時代。子供のために、豊かな情操や芸術性の高いものを与えたい。そんな思惑は微塵もない。


親や社会にとって、従順で有益な人間に育つために作られた、啓蒙と教育のための本。それが当時の児童書で、今日も残る名作と呼ばれる物語だ。


こんなの…本当に昔の子供は読んでたの?


「読んでいたんですね」


大学の講義で教授は言った。


「それは今と変わらない子供の姿です」


大人がそれを読みなさいと言われたら。なにか理屈や文句をつけて読まないか。生真面目に勉強だから仕事だからと。

我慢して読むかするだろう。


当時その本を読むように大人や教師に言われた子供たちはどうだったか。

彼らは読むふりだけはした。


もちろん、完全にまったく読まないわけではなかった。


つまらないと思う箇所はどんどん飛ばして。

面白いとこだけ見つけて読んだ。


子供は、昔からそうした能力に長けている。

生れつき、面白いものを見つける嗅覚が備わっていると言うべきか。


私は大学での教授の講義を思い出す。


「ここにいる学生諸君は、ロバート ルイス バルフォア スティーヴンソンの名をご存知だろうか?」


単位が欲しいだけで漫然と聞いていた。


「スチーブンソンの方が通りはいいかな・・そう!かの有名な【ジキルとハイド】そして【宝島】を書いた1800 年代の英国作家。スチーブンソンと、彼の作品【宝島】に焦点を当てた講義を本日はしようと思う!」


1883年。英国で宝島の初版本が発売された。宝島は、発売されるやいなや本国で大変な評判を呼び、スチーブンソンは一躍有名作家となった。


人々は熱狂的にこの作品を迎え入れた。しかし出版直後に【有害図書】として、レッテルを貼られてしまう。


少年が主人公であるにも関わらず、殺人や裏切り、そして海賊たちが往航する。


この海洋冒険小説は、確かに血沸き肉踊る楽しい作品であることは間違いない。


これは年端もゆかぬ子供の目に触れさせることは大変に好ましくはない。


当時の英国の大人たちは皆そう考えた。


宝島は有害な図書として子供が読むことは100年近くも固く禁じられた。


しかし、今でもこの作品は多くの子供たちに読みつがれている。


宝島は、いつの時代も子供たちの胸を踊らせる。それは今も昔も変わらない。


宝島に登場する悪役ジョン シルバーは、今でも英国の物語に登場する悪役ランキングでは、ダースベイダーやバットマンのジョーカーを跪かせる。


子供たちは、そこに面白い物があれば、その匂いを必ず嗅ぎ分ける。


どんなに親や大人がそれを遠ざけても。棚の奥にしまって鍵をかけても無駄だ。

今も昔も、国や人種の区別もなく。

とことん貪欲な生き物だ。


ヴィクトリア朝時代に、英国で禁酒法が制定されても、一軒のパブも店を畳まずビールの消費量は増加の一途を辿った。


「それと似ているやも知れないね」

「或いは全然似てないかも知れない」


煙りの輪を浮かべるみたいに。

教授はそんな話を講義でしていた。


そんな知識は、大学を卒業してOLになっても、別に役にたったことなんてなかった。


たまに合コンで「子供の本とか勉強してま~す」なんて言うと一瞬男うけする。


内容を深く詳しく話せば興醒めだ。


絵本のこととか…勉強したわけではないから。結婚して子供が出来ても同じだ。


上の娘が生まれヒロトが次に生れた。


「可愛い女の子ですよ」

「元気な男の子ですよ」


「知っているわ」


そんな言葉は顔を見た時に消えてしまう。腕の中に抱いた御包みから伝わる重さや、肌のやわらかさ。


いつも真新しい喜びだった。


指の数を数えるように、無事に生れたことに安堵して。私は胸の中で呟いた。


「健康でいて。無事に育って」


乳児の時から小学校に上がるまで、どれだけ予防接種を打っただろう。


私の時もこんなに注射ばかりしたかな。

そんなことを考えた。


「お姉の時より注射増えてない?」


チャイルドシートの息子に、ハンドルを握る私は話かけたっけ。


ウィルスや風邪や病気に負けないでね!


「まだまだ、おばあちゃんになんて、なりたくないなあ」


そんなことをママ友たちと話しながら。

私が見る未来は子供たちの未来だった。


子供が大きくなれば少し欲も出る。


「まだ・・そんなに小さいうちから、習いごとや塾なんて気が早いだろ!」


「あのね」


そんなことを、のんびり顔で諭す夫に、私は犬歯を剥いて言った。


「貴方みたいに『僕は子供の味方です』・・なんていい顔だけすましてる、無責任な旦那ばかりだから・・私が嫌われても言わなくちゃならないの!」


子供たちの教育に関しては、夫ともよく口論した。喧嘩にもなった。


私だって幼い子供に、やれ勉強しろだの塾に行けだの言って疎まれるのは嫌だ。


それが好ましくないなんて知ってる。

私だって勉強は好きじゃなかった。


でもこの世界には格差も差別もあれば。

生まれた時から競争だってある。


優しい世の中だから。

優しい暈しが入ってるだけ。


決められた平等やルールがそこにあれば。

ルール違反にならない反則だってある。


毎日学校に通って、勉強や宿題も頑張ってる。

それだけで本当は『えらいね!』と頭を撫でて誉めてあげたい。


だけど、それだけでは卒業した後で、次の試験を受ける資格すら貰えない。


そんなこと親ならみんな知ってる。


「あなたは勉強だけしてればいいのよ」


そんな風に子供の大切な時間を奪って。

学校の外でもお金をたっぷりかけて。

模範解答を最初から手渡される子供。


そんな親に育てられた子供に、うちの子供たちが負けるのは絶対に嫌だった。


将来行きたい場所にも行けず定職にも着けずに、そんな連中に顎で使われる。


そんな惨めな未来を、自分の子にだけはけして迎えて欲しくはなかった。


だから嫌われても疎まれても構わない。

私はそう思っていた。


それは私の身勝手な親としての欲。

自由主義の中で培われた競争の原理。

それはまだ、存在していただけ幸せな、葛藤やジレンマや、心の痛みでもあり。


希望の残る社会でもあったのだ。

それが破綻して失われるまでは。


人は「だめよ!」と思う未来にばかり舵を切る。舵を切れるならまだましだ。

この世界が向かう未来に、大人になった私たちは成す術もない。


気がつけば氷壁の、滅びに向かう客船の乗客の役しか残されていなかった。


私たちは子供の時に、かつての大人たちのようにコミックや映画で見たような、そんな未来に今も生きてはいない。


一見しただけでは人と見分けがつかないような、感情や思考を持ったAI、空を飛ぶ自家用車、星を捨て、火星に移民する人類を乗せた方舟。


それは、未だに私たちの時代には実現していない。私が生きているうちにそれらを見ることは、おそらくないだろう。


崩壊する文明や、破滅に向かう世界の住人たちの姿は、それよりさらに遥か遠い未来の物語で。

御伽だった。


人が夢見た未来よりも、デストピアはずっと近い。それこそ手を伸ばした先に。

薄い壁一つ隔てた場所にあった。


私たちが今暮らしている世界がそれだ。


私は、親だから。

私は、いつも子供のことを考える。


気がつけばいつも子供のことだげ考えて生きるようになっていた。


私は人の親だ。


これからも考えるだろう。

色んな欲もある。

子供の成績のこととか。

栄養不足にならないようにとか。

健康面のこととか色々。

考える。


まだおばあちゃんにはなりたくないなあ。

でも…いつか娘や息子の子供に会いたい。


あたたかいだろうな。

やわらかいだろうな。

いい香りがするだろうな。

もう一度包まれてみたい。

抱きしめてみたいな。

そんな幸せな気持ち。


生まれたばかりのあの子たちみたいに。

これまでの間にも、私は子供たちに勝手にたくさんの自分の夢を重ねて生きてきた。


親の欲と言えば確かにそうだ。

幸せになって欲しいから。


そう思えることが幸せだった。


「母さんどうかした?」


だから私はこの子に嘘をつく。


真顔で真剣に嘘をついた。


「なんでもないわ」


私はぴんと手足や背筋を伸ばした姿勢で、その場に立っている。


「母さんなにしてるの?」


「母は今杉の木になった気持ちなの」


「杉の木?」


「そうよ」


「それは杉じゃなくてクリスマスとかの樅ノ木じゃない?」


どうやら息子のヒロトには、私が杉ではなくて樅ノ木に見えるらしい。


「あ」


「わきが甘いよ」


息子にわきが甘いと言われた。

息子は杉のフォルムにうるさい。


私は両手を股にぴたりとつける。


「そうそう!杉の木なら、そんな風に、ぴーんとしてないと!手がだらんとしてたら杉に見えないよ!それにしても、なんで急に杉になったの?テツガク?」


「へへへ・・なんとなく」


「もういいよ!いって!」


つれない声で息子は言った。

これ以上つき合いきれない。

そんか感じで。


「しっ!しっ!」


私を追い払う仕種をした。


杉と杉の花粉。

私の忌まわしき天敵。


「消えてなくなれ!この世から1本残らず!!枯れて燃やして灰になれ!!!どうか死に絶えてしまええ!!!!へけし!」


杉花粉の季節になると、私は涙目で鼻を啜り、呪詛の言葉を呟き続けた。


「哲学じゃないけど、母さん今は杉の木の気持ちなの!こうすると、杉の気持ちがわかるのよ~ヒロトもやってみ?」


「母さんが、いよいよおかしくなった」


私は息子が言うように、人に植林されて、ただひょろひょろと真っ直ぐにのびて、列を乱さずに整然と並んだ、あの杉の木たちと何も変わらない。


自らの足で動くこともままならず。

ただ立ち尽くすだけの植林された木だ。


他の木と同じ。いつしか気がついたら、そうなっていた。


けれど文明の陛という崖っぷちに立った時。

思考よりも早く、微弱な電流のような言葉が。

私の脳を駆け抜けた。


私を、それまで支配していた、人の親として心地よい縛り心地の鎖がほどける。


前に、これより先に、進むことを拒んだ。

心か退化する。


太古の時代からこの世界に在った。

杉の心に逆戻りしたようだった。


私は長年宿敵だった杉の木と和解した。




ねえお願い


空を飛んで


飛散して


拡散して


増殖して


この世界にのさばって


蔓延れ


蔓延れ


子供たち


お願いだから。




笑ってほしいな。

なにか悲しいことがあると。

私は昔から道化のようになる。


昔から空気が読めないやつだ。

そんな風に言われた。


大学に入ってすぐ、高校の同級生だった栞が交通事故で死んだ。


彼女は・・栞は、中学の時から、高校を卒業するまでの間ずっと、私の無二の親友と呼べる存在だった。

そんな彼女でいてくれた。

大切な人だった。


遊ぶのに服とかアクセなんて合わせないでも全然平気。栞はそんな友だち。


高校卒業後は彼女は地元の短大へ、私は郷里を離れてそれぞれ進学した。

私が帰省したら会おうね。


そんな連絡を取り合った矢先だった。


夏休みの前だったけれど。私は彼女の通夜に参加するために帰省した。


通夜の帰り道で、私はずっと啜り泣いたり、沈痛な面持ちで歩く同級生たちに、彼女の話をし続けた。


彼女がどんなにおばかで、楽しい女の子であったか。どんなにクラスのムードメーカーで、周りに気を使う子だったか。


こんな時に彼女ならどうしたか。


なによりひとつでも多く彼女のことを、そこにいる人たちに忘れずに、残さず、持って帰って欲しかった。


「よく・・こんな時にそんな喋れるね」


彼女とは、そんなに仲良くはなかった、同級生の一人にそう言われた。


「悲しくはないの?」


そんな言葉を突きつけられた気がした。


「やめなよ・・」


そう、悲しいに決まっている。

彼女とあまり縁がなかった、あなたたちよりずっと。私の方が悲しい。


それでも・・私の中の道化は怯むなと、拳を振る。喪服の胸のポケットや、エプロンのポケットから顔を出して。


あれは小学生の時だ。


林間学校のオリエンテーリング中に、私の班は森で道に迷った。


日が暮れて、私たちは洒落にならないくらい広い樹海に入り込んでしまった。


出口が見つかるまで、私はひたすらに、何かに憑

かれたようにお喋りを続けた。

森を抜けて深夜に保護されるまで。

先生たちが懐中電灯を手に集まると。

道化は学校のジャージのポケットに隠れた。

今もそうだ。


私は悲しくなると、いつもおどけてしまう。

息子のヒロトは、杉になりたいこの母の気持ちが理解出来ないようで。


頭の中の端末を使い、一生懸命ワード検索をかけているようだ。


いつもの目の光りが消えて。眼球にコーティングされたモニターの表面を、緑色のイルミネみたいな数字や記号が走り抜ける。

私は黙って見ていた。


「さっぱりわからないや」


息子はお手上げみたいだ。


「母さんは・・時々わけがわからない」


溜息まじりにそう言った。


今のあなたにはまだ無理ね。


でも、あなたの父さんは「それがいい」「それが、僕が君を好きなところだ」

そう言ってくれたの。


それはまだ、あなたにはわからない。


当たり前のように、それまで手にしていた携帯端末同様に、子供たちの脳内にある端末にもロックがかかっている。


子供たちが見ることが出来る世界は、学校や町内家の中などの限られた世界。

今はそれだけで充分。


その判断基準は、今も昔も変わらない。


世の中には、大人が子供の目や耳を覆いたくなるようなコンテンツや、凄惨な事件が溢れている。


既に失われてしまった動物たちの姿や、大自然の景色。私たちの国の四季折々。

そんな世界なら子供たちに見せたい。


子供たちには見せたくないもの、見せていいものは、現在も昔も私たちの手の中の操作ひとつに委ねられている。


それがアプリや、指先の操作に変わっただけ。


そんな国の政策に反対する人たちは、今も感染や命の危険を省みずに、各地で抗議デモを繰り広げている。


外の世界でも中の世界でも。

彼らは声高に叫び続けている。

子供たちの式日は始まりだと。


式日とは…かつての大人たちが大人になるための通過儀礼の再現とも呼ばれる。


「失われゆく儀式や行事や慣習を、子供たちにも体験させたいのです!」


それは優しさではなく。


ただ何の行事も集団儀礼もなく、これから育って行く子供たちに、この世界を委ねばならない。

為政者や大人への恐れがそうさせる。


そんな風に話す人もいた。


さらに、わけ知り顔の識者は語る。


いつか私たち人間は、自分の肉体さえ、維持することも諦め捨てて、頭に埋めた小さな端末だけになる。その日のために。


子供たちの式日はその始まりだと。

やがて、それもなくなり統合される。

ひとつの意識だけにるだろう。


抗議を続ける彼らはそれを選ばない。


ニュースで流れる異国の映像。

それは私の生まれた国の何処かだ。


懐かしいあの場所とシュプレヒコール。


手に手に掲げた旗や断幕に書かれた言葉たち。それが彼らの墓碑銘だろう。


私たちは窓を閉ざして、子供がそうした暴風の中に巻き込まれないようにする。


恐れ、おののきながら、身をすくめて風が止む日を待っている。臆病な大人だ。





「さて母は夕食のしたくに戻ります」


「早くしてね!もう、おなかすいたよ!」


だんだん父親に似てがさつになるわ。

私は振り向いて方膝をたたむ。


まるで王様にするように。


「そんなのいいから!飯!飯!」


「はいはい」


息子の声を聞きながら、私はいそいそとキッチンに向かう。


そこには、旧式のお掃除ロボットが充電に戻るみたいな私の場所がある。


息子同様に、頭に携帯端末のチップを埋め込んだけれど。私はまだ人間だ。


この子の母親に擬装したAIでもないし、充電が必要な分けでもない。


キッチンの隅にある。息子や娘がボトムのバッジみたいに張りつけたマグネットシールや、あまり使わないボードが掛けられた空っぽの冷蔵庫と、シンクの隙間。そこが私の居場所だ。


結婚して初めて夕食で作ったコロッケを旦那に「不味い」と捨てられた日。


いつも日課にしていた頬へのキスを

「気持ち悪い」と息子に拒まれた日。


長く患っていた母の、病院からの訃報。

その連絡を深夜に聞いた日。


結婚してすぐに娘を授かった。

喜びも束の間私は軽い育児ノイローゼになった。


悔いはなかったが、ようやく軌道に乗り始めた、私の翻訳の仕事も先送りになってしまったから。


こともあろうに、私の夫は、私が妊娠の陣痛や分娩で苦しんでいる間に浮気をしていた。


浮気が発覚すると、夫はすぐ浮気相手の新入社員の女の子と別れて、私に謝罪した。


私はある日夫の背中に包丁で切りつけた。

包丁はそれて夫は肩口を負傷しただけで済んだ。

しかし夫はその後で長い間EDになった。

夫を連れてクリニックにも通った。


10年後にようやく授かったのがヒロトだ。

私は一人ではなく夫と抱き合って泣いた。

それも息子が生まれて笑い話になった。

夫婦の寝室でしか出来ない話だ。


この家で暮らすようになった日から。

なにか悲しいことがあると、私がいつも一人でひっそりと涙を流す場所がある。


まだ人間らしい暮らしをしていた。


「母さん」


ふいに、私の背中に息子が声をかける。


いつもと同じ。


それは聞き慣れた息子の言葉。


「母さんの弁当おいしかったよ」


息子のその言葉だけは変わらない。

以前と少し違うのはその声色だ。


それは子供の声でも大人の声でもない。

やたらとがらがらして耳触りだと。


「なんだか自分じゃないみたいだ」


本人もこの頃は気にしているようだ。


運動会で喉を枯らしたせいではない。

息子は変声期を迎えていた。


生意気に…声だけは大人になっちゃって。


その声を聞いた時に、ふと私の頭に閃くものがあった。


私は試してみたくなった。

いつもの言葉で。


私は振り向いて息子に言った。


夕飯の前に宿題はかたづけて。

それと同じくらい言い飽きた言葉。


「ゲームのアプリは1時間だけよ!」


私は自分の頭を指でこつりと叩く。


「あ・・ああ・・うん!」


不意を突かれたのだろう。

息子はそう言って口ごもる。

息子のそぶりですぐわかる。

ビンゴだった。


私はいつものようにキッチンに向かう。


「もうすぐ卒業だね・・ヒロト!」


胸の中でそっと呟いた。


卒業で思い出す。


私の大学の卒論のテーマは、作者のスティーフンソンと彼の宝島だった。


実は・・大学の講義を聞いて以来、私はすっかりはまってしまったのだ。


宝島はいつも子供たちを熱狂させる。

けれど、100年もの長きに渡り、子供たちの手からは悪書として取り上げられ続けた。


大人たちがどんなに遠ざけても。

戸棚や金庫に鍵をかけても。

子供たちは必ず鍵を開けてしまう。


そして・・この世界はお祭りだから。


人と人が出会い、息がかかる距離で、泣いたり笑ったり、肩を組んで喜び合ったり。時には矛や槍をつき合わせ戦ったり。


それが失われた、この世界に生まれても。

この星に生まれて、生きることがお祭り。


鍵を開けて広い世界に飛び出して。

行ける場所なら何処にでも。

鍵を開けて一歩外に出れば。

あなたは見るかもしれない。


目の前に広がるのが、記号や数字だけが続く、暗いネットの大海原だとしても。

体さえなくして光の粒になっても。

この世界中を駆け抜けて。

いつか必ず見つけて。


あなただけの宝島。



探せばきっと見つかるはず。

手をのばしさえすれば。


それはいつも指先が触れる場所。

空に星が祭りの明かりのように瞬く。

その先のずっと向こう側まで。

昼と夜の境界を越えて。


きっとあなたが来るのを待っている。



エピローグへ続く

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