前半が現実的であったのに対して後半は進むにつれて幻想的に感じました。
まさに語り部である「母親であり妻である女性」が見ている夢の様に…もしくはもはやAIが見ている夢?
そして物語は淡々とした中でかなり色々なものを痛烈に批判しているのが印象的でした。シュプレヒコールなんてまさか今の時代の小説の中で聞くなんて!
何はともあれ面白かったです。
なんか長い旅をして来たような感じです。
それから『宝島』スティーブンスンの使い方は、まるで海外の小説の様でした。例えばウンベルト・エーコの様な。アメリカ文学というよりはヨーロッパよりですね。
そんなものを感じました。
あ、あと石坂啓の漫画は読んだ事があるでしょうか?
本作はそれに近い警鐘を感じましたw
読んでいて、まず目に止まったのは林業のくだりだった。実は、ごく間接的に真似事でそれに接触したことがある。もっとも事務方としてだが。流米単価が半額近くになるとあってははなから勝負にならぬことは明白だろう。実質的な棄民ならぬ棄業政策だ。
そんな話を延々と前置きしたのは、本作が『人』なるものを徐々に捨て去っていく過程が克明に描かれているからだ。それも、母の愛情という観点から。
左様、血液に反応する石でできた特別な仮面をかぶったり、生きている人間の脳を本人の目の前で自分が洗脳した恋人と一緒に食べたりせずとも人間は辞められる。
なんとも異様な迫力を持つ怪作であった。
必読本作。
畢竟、生きることとは、何だろう?
最も身近で最も重要なその問いを、この物語は何度も何度も、私に問いかけてくれた。生きることとは、何だろう。
現実と、仮想。
理想と、現実。
有益な存在を育むシステム。
有害な物質を締め出す空間。
私達は、疑問を感じながらもそれを、享受してきた。
しかし。
生きることとは、何だろう?
スチーブンソンの作品、『宝島』。
人々はこの作品を当初熱狂的に支持して迎え入れた。ところが、出版直後に『有害図書』のレッテルを貼り締め出してしまう。
『有害図書』となった『宝島』。
100年近くも間、子供たちはこの本を読むことを禁じられてしまうのだ。
でも。
子供たちは、そこに面白いものがあれば、その匂いを必ず嗅ぎ分ける。
どれだけ禁じられ金庫に仕舞われたとしても、必ず、鍵を開けてしまうのだ。
・・そのような力が、備わっているから。
主人公は、母として、妻として、ひとりの女性として、矛盾を抱えつつも生きることを諦めない。
世界がディストピアの縁へと向かっていたとしても、彼女は世界を投げ出すことはしない・・・
一気に読んでしまいました。読み終わったとき、鳥肌が立っていました。
日常を切り取るような自然な導入。コロナウイルス騒ぎを思わせる、現在進行形的な「日常」。
・・でも、何かが、おかしい。
なにかが、歪んでいる?
そう思った時には、もう後戻りできません。
一気に、不穏な世界へと引きずり込まれてしまいます。
・・いや、これ以上は、やめておきましょうね。
是非、ご自身でお読み頂くことをお勧めします。
面白いです!
超!おススメですよっ!