Re:息子へ

 二十七年間育ててくれて、こちらこそありがとう。

 いや、こんな言葉じゃ伝わらないな。物心がついてから今まで、俺が何をやろうと二人は反対せずに見守ってくれました。野球を始めた時も、辞めて陸上に転向した時も、大学に行きたいと言い出した時も……。親父とお袋には、どんなに感謝しても仕切れないと思っています。

 野球を辞めたことはごめんなさい。俺も甲子園に行きたい気持ちはあったし、行けなくても続けたいと思ってたけど、監督が俺の右手を見て「お前には無理だ」なんて言うものだから、合わないと思い退部を決めました。

 チームメイトからは思い止まるよう説得されたけど、あの指導者の下で三年間我慢できる自信がなかった。

 書いてたら思い出して、腹が立ってきたぞ。(笑)


 まあ、そんなこんなで野球を辞めてどうしようか考えている時に、「陸上部に入らないか」と誘ってもらえたことは俺にとっての天啓でした。

 同じ遠投だけど、やりと野球のボールでは全然違う。腕の角度だったり、胸郭の使い方だったり、リリースの仕方だったり……。仲間たちと試行錯誤、切磋琢磨の毎日でした。

 それまでは、陸上競技というのは一人でやるスポーツだと思ってたんだよね。ところが、やってみると違ってた。

 俺の選んだ競技はやり投げだけど、もちろん投げるのは一人だ。けど、フォームのチェックやトレーニングなどは、誰かのサポートなしでは出来ない。コーチやトレーナー、周りのみんなと一体になって選手の記録を作り上げていくんだ。

 今にして思えば、競技を続けていたのは友達が欲しかったからだ。高校の時に出会った監督のように、嫌なことも経験させてもらった。でも、それ以上に仲のいい友達が出来たし、お互いの協力が欠かせないチームスポーツにすごく憧れがあった。小学校のグラウンドでの野球が、俺の原風景なんだ。

 種目は変わったけど、いい仲間に恵まれて今も充実しています。


『誰かに出来るなら、自分だって出来る』

 いい言葉だなあ。

 今はパラやり投げの選手だけど、俺は将来、健常者たちに交じって一般の部で勝負したいと考えている。そのためには、あと二十メートルくらい記録を伸ばさなきゃ駄目なんだけど。なかなか道は険しい。(笑)

 でも、ジム・アボットが野球の最高峰であるメジャーリーグで成功を収めたように、あきらめなければ俺も夢を叶えることが出来るかもしれない。どこかの誰かに勇気を与えることが出来るかもしれない。

 そう信じています。


 大会は一年延びましたが、その時間で自分を鍛え、今よりも成長した姿を見せられるよう努力します。やり投げはキャリアがものを言う競技なので、三十歳を越えても記録を伸ばす選手がざらにいる。野球でも、元メジャーリーガーの斉藤隆さんは三十歳を越えてから球速を十キロ近く上げた。俺だって、まだまだ成長できるんだ。

 まずは代表に選ばれないと。周りもどんどん成長しているからね。大口叩いておきながら、選考に落ちたら洒落にならない。(笑)

 世界では新型コロナがまだまだ猛威を振るっているので、そちらも身体には気をつけて。お互い負けずに頑張りましょう。

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アボットの槍 @shibachu

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