第13話

 あれから二時間が経った。相変わらず雨も風も強くて、雨戸を閉めているはずなのに部屋の中にはゴウゴウと風が吹き荒れる音が聞こえる。


 実家にいた頃は、台風なんて怖くなかった。なんなら、次の日の学校が休みになるかもしれないとワクワクしたぐらいだ。でもそれはきっと、家族に守られていたから。おじいちゃんとおばあちゃんがいて、それからお父さんとお母さんもいて。怖いことなんて何にもなかった。でも今は……。


「ひっ!」


 雷の音が鳴り響き、思わず布団の中に潜り込む。寝てしまおう。朝が来て、外が明るくなれば少しはこの怖さもマシになるはずだ。


「寝よう。寝たら何にも聞こえない。聞こえないはず。……でも寝れないよお」


 大学生にもなってと笑われるかもしれないけれど、怖いものは怖い。まだ0時前で朝が来るまでだいぶ時間がある。とりあえず寝てさえしまえれば――。


「っ……!」


 その瞬間、耳をつんざくような激しい音が聞こえた。


「なに? え、今のって雷?」


 近所に落ちでもしたのか、今まで聞いたことのないような音に、私の目には涙がにじんだ。こんなとき、誰かがそばにいてくれたら――。


「どうしよう。誰か……」


 ポツリと呟いた私の耳に、コンコンと何かを叩くような音が聞こえた気がした。


「な、何の音……?」


 気のせいだ、そう思うのに次第に音ははっきりと聞こえてくる。この音は、どこから……。


「まさか」


 私は布団から顔を出すと、壁にそっと耳を当てた。そして――。


「やっぱり隣の部屋からだ」


 音は、壁を隔てた向こうの、神代さんの部屋から聞こえていた。まるで、壁をノックしているかのような音が。


「…………」


 なんとなく、そうホントになんとなく私は壁をノックし返した。


「なんてね……って、嘘……」


 そんな私のノックに呼応するように、もう一度隣の部屋からノックの音が聞こえて――それから、ガチャンという玄関の閉まるような音が聞こえた気がした。


「え?」


 そして、私の部屋にチャイムの音が鳴り響いた。


 まさか、そんなわけあるはずない。そう思いながらも、私はベッドから降りると玄関へと向かった。


 チェーンを外すことなく、恐る恐るドアを開けると、そこには神代さんの姿があった。


「どうして……」

「……お前、甘酒って好きか?」

「え? 甘酒? す、好きですけど、いったいどうして……」


 突然の質問に頭の中ではクエスチョンマークが浮かび上がる。いったい、この人は何を言い出したのだろう。


「甘酒を造ってたんだが造りすぎたんだ」

「は、はあ」


 こんな時間に、しかもわざわざこんな台風の夜に甘酒を造らなくてもいいと思うんですが。喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込んだ私に、神代さんは目をそらして口を開いた。


「だから、飲みに来ないか?」

「え?」

「持ってこようかとも思ったんだが、お前も一応女だろう? こんな時間に一人暮らしの女の部屋に男が入るのはよくねえからな」


 これは、もしかして――。


「来るのか来ねえのかどっちだ」

「い、行きます!」


 慌てて返事をすると、私は神代さんのあとをついて隣の部屋へと向かった。


「お邪魔、します」


 おずおずと部屋に入ると、そこは私の部屋とはちょうど逆の作りになっていた。私の部屋との間にある壁を対照にしてちょうど正反対。何もベッドの位置まで対照に置かなくてもいいと思うんだけど。これじゃあまるで、壁を挟んで隣り合って寝てるみたいで……。


「っ……綺麗にしてますね」

「そうか? まあ、その辺に座ってろ」


頭の中の考えを追い払うように首を振ると、他愛もないことを神代さんに話しかける。そんな私に背中を向けると、神代さんはキッチンへと向かった。


 座ってろと言われても、部屋には本棚とローテーブルとベッドしかなく。私はおとなしくローテーブルの前にちょこんと座ることにした。


 神代さんが甘酒を入れてくれている間、部屋の中を見回していると本棚にたくさんの料理の本があることに気付いた。


「ジロジロ見るな」


 呆れたように言いながら、神代さんは私に甘酒の入ったカップを差し出した。


「ほらよ。これ、アルコール入ってねえから」

「え?」

「お前、未成年だろ」

「ありがとうございます。アルコールが入ってない甘酒なんてあるんですね。知りませんでした」


 カップに口をつけると、ふんわりと優しい甘さが口に広がる。神社で配られる甘酒を飲んだことがあるけれど、あれはお酒の風味が好きになれなかった。でも、これは。


「美味しい。優しい味ですね」

「そりゃよかった。この前、友達の結婚式の二次会でヨーグルトメーカーを貰ってな。調べたら甘酒ができるって書いてたんだわ。せっかくだからと試しに作ってみたんだが意外といけるな」

「ヨーグルトメーカー? なのに、甘酒? ふふっ、変なの」


 でも、この温かさが今は心地いい。ほんのりと甘くて、でもスッキリとした後味の甘酒は、不安で仕方がなかった私の心を温めていってくれる。


「ありがとうございます」

「余ってたんだ」

「そうじゃなくて、私が不安に思ってると思って呼んでくれたんですよね?」

「勘違いだ。それ飲んだらさっさと帰って、布団かぶって寝ろ。朝起きたら台風もどっか行ってるだろ」

「はい」


 素っ気ない言い方だけど、どうしてだろう。こんなにも優しく感じるのは。


「…………」

「なんだ?」


 急に黙ってしまった私に、神代さんは怪訝そうに眉をひそめる。私は慌てて何か話題を、と辺りを見回し、さっき見つけた本棚が目に入った。


「あ、いえ。その。あ、お料理本当に好きなんですね。本いっぱいあるなって思って」

「じゃなかったら、店なんか継がねえだろ」

「それはそうですけど」


 上手く会話を続けることができない。失敗した。


「……子どもの頃」

「え?」


 しょんぼりしたまま少し冷めた甘酒を飲み干そうとした私に、神代さんはポツリと口を開いた。


「両親が離婚して、シングルマザーになった母親と一緒に京都に来たんだ」

「違う県にいたんですか?」

「父親が東京の人間で、小5まではそっちで暮らしていた」


 だから? ずっと疑問だった。どうして神代さんの言葉は京都弁じゃあないんだろうと。でもそれは小学生まで東京にいたからだったんだ。


「こっちに来てから母親は夜遅くまで仕事行ってて、必然的にじいさんの店で放課後を過ごすようになったんだ。それで見よう見まねで晩飯を作ったら母親が喜んでな。それからじいさんに習って料理をし始めたんだ」

「お母さん想いなんですね」

「そういうんじゃねえよ」


 神代さんは否定するけれど、でも私はなんとなく神代さんの作る料理があたたかいわけがわかった気がする。


「神代さんの作るご飯は、どれも優しい家庭の味がするんです」

「…………」

「気取ってなくてあたたかくて、それでもって食べた人をあたたかい気持ちにしてくれる。私、一人暮らしを始めてからずっと身体が冷たくて。夜も眠ってるはずなのに上手く眠れてる気がしなくて。でも、神代さんのご飯を初めて食べたあの日、身体の奥がポカポカしたんです」

「そりゃ、どうも」


 ぶっきらぼうに言うけれど、掻き上げた髪の毛の向こうに見えた耳が、ほんのり赤くなっているのに気付いてしまった。


 こんな可愛い一面もあるんだなあ。


「ふふふ」

「何、笑ってんだよ。飲み終わったならさっさと帰れ」

「はーい」


 すっかり冷めた甘酒を飲み干すと、私は神代さんの部屋をあとにした。


 外に出ると、あたりはずいぶんと静かになっていて、このぶんだと神代さんの言うとおり朝にはすっかり過ぎ去っていそうだ。


 部屋に戻ると、さっきまで感じていた不安や怖さはいつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。


「おやすみなさい」


 一人呟くと布団に潜り込む。胸の奥があたたかいのは、きっと甘酒だけのせいじゃない、そんな気がした。



◇◆◇



この続きは、2020年5月15日発売の文庫でお読み頂けます!

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