第3話 人類の栞

 バルコニーの長椅子に腰かけ、天城はカフカの『城』を読んでいた。持て余した暇を潰すために大学の図書館から持ち出せるだけ持ち出してきたうちの一冊だ。

 読み始めてかれこれ三日になるが、未だ半分も到達していない。


     *


 須永が死んで以来、彼女が人生で唯一そして最後に遇った人間は、佐賀さが雅文まさふみと名乗る男だった。真っ白な顎髭と太く垂れ下がった眉を蓄える仙人じみた人物で、無人地帯となった全国を気ままに旅して回っているという。

 どこからともなくやってきた彼は、肉塊を〈渾沌こんとん〉と呼んでいた。「渾沌」――すべてが渾然一体に混じり合い、区別がつかない状態。未分化の原初状態。

 佐賀は『荘子』の応帝王篇にある一節をそらんじてみせた。簡単に要約すると、こうだ。

 南海にしゅく、北海にこつ、中央に渾沌という神がいた。儵と忽が渾沌を訪ねると、渾沌は手厚く歓待した。儵と忽はその徳に報わんとし、「人には皆、目・耳・鼻・口の七つの穴があり、それで見て聞いて食べて息をしている。ところが渾沌には一つも穴がない。ここは一つ、穴を開けてあげよう」と云い、一日に一つずつ穴を開け始めた。ところが七日目に七つ目の穴を開け、ようやく人間らしくなったところで、渾沌は死んでしまった。

 良かれと思っての行動が、結果的に、渾沌の渾沌たる所以を消し去ったのだ。

 この「渾沌、七竅に死す」の説話は転じて、荘子の自然観を表す寓話とされている。すなわち、渾沌とは自然そのもので、穴を開けることは人為や作為の象徴――いまなら科学と云い換えてもいいだろう。

 人知の及ばない自然に無理やり人の道理を押し付ければ、その本質を破壊しかねない。行き過ぎた合理化は、時に真理を歪める。それがどんなに不合理に見えたとしても、この世には人のさかしらな合理性では割り切れないものもあるのだ。

「我々は穴を穿ち過ぎたのではないか。触れてはならない〝摂理〟のような何かに大きな風穴を開けてしまったのではないか。私にはそう思えてならないのだよ」

「人体の融合現象は、その結果によるものだと?」と、天城。

 人類は渾沌を殺めた神々と同じように、取り返しのつかない何かをしたというのか。摂理の在り方さえ歪めるほどの何かを。その結果が、人の人たる所以――個性や多様性、自意識の喪失だというのか。

 佐賀は何も答えず、ただただ微笑むばかりだった。

 その翌日、彼はまた当てのない旅に出た。


     *


 それから数十年。天城はT山に自分だけの小さな王国を築いていた。廃墟と化した市街地にはすでに新しい生態系が根付き、依然として生命は地を満たし続ける。

 そんな自然の一部に還元されゆく文明の残骸を見ていると、いつかの佐賀の言葉が蘇る。近頃は彼女も、人類の退場が純粋な自然現象によるものではないかと思えてくる時があった。

 そこで思い出すのが、イギリスの生物学者、R・J・サンダースが発表した一本の論文だ。世界の大多数が異星人の侵略行為か神の御業かと不毛な議論を繰り返す中、彼はそのどちらでもない第三の可能性を示した。

 その『生態遷移に伴う肉体と精神の変容』と題された論文は、蝗害と飛蝗現象の解説から始まる。一部のバッタ類は、個体群密度の高い環境で成育すると、体色が暗色化し足が短くはねは長くなるなど〝相〟が変化する。いわゆる「孤独相」から「群生相」への「相変異」だ。

 その変化は姿形だけでなく行動様式にさえ影響を与える。変異を遂げた群生相は互いに身を寄せ合い大群をなすと、やがて全個体が一斉に移動を始める。空を覆い尽くす黒い影が手当たり次第に農作物を荒らし回るその様は、古来より天変地異として世界中で恐れられ、『出エジプト記』では〝十の災い〟の一つにも数えられている。

 また、こうした相変異は他の昆虫にも見られ、中には生育条件に応じて翅の有無や長短といった極端な違いが現れる例も存在する。

 これら相変異が起きる主な理由には、生育域の拡大によって食糧不足を回避するため、生育が困難な環境から脱出するため、等々が考えられるが、未だはっきりとは分かっていない。

 サンダースは一連の人体同化現象を、まさにこの飛蝗現象に例えたのだ。つまり、〝人類の相異変〟である。

 バッタの物理的接触が相変異の誘因となるように、個体群密度の限界を超えた人類が、肉体を共有する一種の集合知性体ハイブマインドへと変異し、羽を得、新しい生息域を求めて宇宙という新天地へ旅立とうとしているのだ、と。

 さらに彼は興味深い仮説を示した。これら相変異を引き起こす遺伝情報を、ヒトは先天的に内在していたというのだ。人類の誕生以来一度も発現していなかった遺伝形質が、人口密度の上昇という環境的要因により、ここに来てようやく発現したのかもしれないと。

 論文を読んだ当時の彼女は、確かに興味深い視点だと関心を示すも、いささか飛躍に過ぎ、やはり仮説の域を出ないとの結論に至っていた。


 結局のところ、人類を絶滅に追いやるこの怪現象は、何者かによる人類への侵略または強制進化か、神的な存在による福音か、はたまた純粋な自然現象なのか。真相は未だに不明なままだった。

 このまま孤独な世界で死を待ち続けるか、思い切って彼らの中に飛び込んでみるか。彼女は何年も悩み続け、この先も同じように悩み続けるだろう。

 同化を拒み続ける自分は、変化を恐れる臆病者に過ぎないのかもしれない。折角の贈り物をみすみす放棄した愚か者で、差し伸べられた手を振り払い自らの殻に閉じ籠った囚人なのかもしれない。

 もっとも彼女自身、他者と繋がり合うことへの憧れを捨てきれないでいた。意識を共有し、我もなく他もなく、肉体に伴う苦痛や不安からも解放されて永遠に生き続けられるのなら、どんなにいいだろうか。

 だが、誰にそれを証明できるだろうか。個人が他者の心を、生者が死後の世界を知りようがないのと同じように、意識とは本質的に永遠の孤独なのだ。


 突如として余命を突きつけられた人類は、長く緩慢な死へと着実に歩を進め、その寿命は尽きかけようとしていた。いまや天城の寿命は人類のそれと同義だった。

 自分が彼らのためにしてやれることなど何一つ残されていない。だが、それでいい。人類の絶滅が不可避だと知ったとき、彼女は自分でも驚くほど何も感じなかった。各個の死が種全体の死に直結するその簡潔さ、誰の身にも降りかかるその平等さに、呆気ないほど早く割り切れたのだ。

 人類は人類という種の絶滅でしか平等を実現できないのなら、いっそこのまま幕を下ろすのも悪くないかもしれない。人類以外の生き物が築いた豊かな生態系を眼下に見下ろし、そして自身が垣間見てきた人間の醜く恐ろしい一面を反芻しながら、彼女はそう思った。

 また、終わりが見えない孤独の只中にいると、自身の中に巣食う醜悪な一面とも向き合わざるを得なくなる。仮に侵略者がいたとして、奴らにすべてをむざむざ奪われるぐらいなら、いっそ地球を核兵器で焼き尽くしてしまおうか、とさえ一時は考えた。得体の知れない未知に心が屈し、怒りに囚われてしまったのだ。

 人は知り得ないものを知ろうとするとき、憶測や混乱、そして恐怖が生まれる。だが知ろうとする心は抑えつけられるものではなく、また好奇心が人類の発展を支える原動力であったのも事実だ。

 彼女はただ知りたいと思った。同化現象の原因を、そして人類の行く末を――。

 科学の原点は観察だという。〈融合体アマルガム〉に取り込まれてしまえば、観察は二度と叶わなくなるだろう。曲がりなりにも科学者である自分がそれを放棄するわけにはいかない。見届けねば、最後の最後まで――彼女を永遠の孤独に縛り付けているのは、そんな科学者としての矜持、執念にも似た感情だった。

 だから天城栞はここで静かに待ち続ける。答えが出るその時まで。最期が訪れるその時まで。


     *


 文字が読みづらくなってはじめて、彼女は陽が沈みかけていることに気付いた。切りのよいところまで急いで読み進めると、続きが気になる気持ちを断ち切るように、さっと本に栞を挟んだ。

 ふと、母から聞いた自分の名前――〝しおり〟の由来を思い出す。

「栞」は「枝折しおり」――既知と未知を分かつ境界にして、両者の橋渡し的存在。大学の研究員だった当時の彼女は、「科学の最前線に立ち、未知の世界に毅然と立ち向かってほしい」そんな想いから我が子に栞と名付けたのだった。

 須永の云う通り、科学は時に無力で、万能とは程遠いのかもしれない。何ができて何ができないか――科学の最前線は、同時にその限界をも指し示す。だが無知や無力を恥じる必要など何処にもない。頁をめくる手を止めない限り、何かを知ろうとする情熱を失わない限り、知の領域、そして人間の可能性は無限に広がり続けるのだから。

 彼女はそっと本を脇に置き、蝋燭に火を灯すと、星が瞬き始めた空を見上げる。

 地平線がゆっくりと夕闇に溶け込み、残照を受けた遠くの山々と浮き雲が最後の光を投げかけた。



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一なる人類 東方雅人 @moviegentleman

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