第2話 一なる者

 拘束された四人は、五階建てほどの工場のような建物に通される。中に足を踏み入れた天城は、眼前の光景に我が目を疑った。

 〈融合体アマルガム〉だ。信者が〈聖体群セノビウム〉と呼称するその個体は、彼女がこれまで見た中で最も大きく、建物の収容量ギリギリのところで収まっていた。

 同化量の閾値に達したそれは、硬質化した表面に無数のひだが走り、さながら巨大な脳みそだ。ご神体でも崇めるかのように、防護服を着た何十人もの信者がその周りをぐるりと取り囲んでいる。

「一者を崇めよ。聖体群セノビウムを讃えよ」そのうちの一人が声を張り上げた。御木みき惣神そうじんと名乗った白髪の老人は、牧師の説教よろしく滔々と語り始める。

「無限の存在である〝一なる者〟こそ世界の始原。人類を含めた万物は、この一者から流出したのだ。我々は幹から分かれ出た枝、あるいは地中深くに伸びた根である。生殖という名の分化を繰り返すたび、我々は一者から遠ざかっている」

 戦争、虐殺、犯罪、環境破壊……、御木は人間の悪行をつらつらとあげ連ねる。まるで人類に天罰が下ったとでもいう口ぶりだ。

「一者は悪徳と頽廃にまみれた人類を見かねて救いの手を差し伸べられた。万物の流出過程を逆に辿ることで、純粋で精神的な高次世界へと〝帰還〟できるチャンスをお与えになったのだ。〝一ならざる者〟――すなわち他者は一つに集まることで〝一なる者〟に回帰せねばならない。千々に分裂した銘々の魂は、一つに戻らなければならない。この奇蹟の現象は〝神の働きシネルギア〟であり、一者との再統合に他ならないのだ」

 続けて、彼は同化後の精神がいかに安楽であるかを語った。

「母なる子宮に包まれ、神の懐に抱かれたような至福の空間。そこには痛みも苦しみもなく、あるのは永遠の安らぎだけ」

 まるで実際に体験してきたかのような口ぶりだ、と天城は呆れた。

 御木は両手を広げ、天を仰いで叫ぶ。

「さあ、いまこそ全人類が手を取り合うときだ。心を一つに、身体を一つに」

 信者たちも復唱する。彼らの声に呼応するかのように、〈聖体群セノビウム〉が微かに震えた。硬い殻の中で何かが蠢いているような、不気味な胎動。一体この中で何が起きているのか。

「いよいよだ。いまに彼らも一者のもとへ旅立たれる」

 どっと歓声が上がる。

 天城は小さく溜息を吐いた。常軌を逸した狂信者たちだ、と彼らを切り捨てるのは容易だが、憐憫の情を禁じ得なかったのもまた事実で、地獄のような現実に晒され続ければ誰だって形而上の救いに縋りつきたくなるものだろう。また無力と孤独に打ちひしがれた人心ほどコントロールしやすいものはない。カルトは利用したのだ。想像力一つで絶望さえ希望に変える、人類特有の能力を。

 御木の説教が終わったあと、服を脱がされた四人の肌に、信者たちが朱色の塗料がついた筆で文字らしき記号や図形を描き込んでいった。やがて個々の図形が文様となって身体中をびっしり埋め尽くすと、四人には謎の液体が入った杯が手渡される。教団が自分たちに何をしようとしているのか、天城には容易に想像できた。どうやら自分たちを〈聖体群セノビウム〉に変えるつもりだ。これは一者に捧げる生贄の儀式なのだろう。

 彼らカルトも本質的には同じではないか、と彼女は思った。他者を取り込んでは肥大化し、自と他の境界を喪失させる〈融合体アマルガム〉と――。個が全体に、全体が個に。彼らもまた人としての個を喪失した怪物なのだ。

 天城と目が合った國守は、彼女の瞳に宿る批難と軽蔑の色を見て取ったのか、「騙したことは謝ります。でも分かってください、上からの命令なんですよ」

 〝一者の会〟には教祖を除いて三つの階級が存在するという。國守のように未結合者という餌を探し出しては巣に誘き寄せる〝給餌者フィーダー〟、給餌者を束ね〈融合体アマルガム〉を直接管理する〝育種家ブリーダー〟、そして蛹化した個体を管理する最上級幹部の〝助産師ドゥーラ〟だ。

「あなたは本当に信じているの? これが神の御業だって」

 天城は國守に小声で訊いた。

「まさか」彼はけらけらと笑い、「まるで信じちゃいませんよ。あんな醜い肉塊になるのが救いだなんて、冗談じゃない」

 と、心の底から嫌悪しているようだった。

「肉塊と同化したからといって永遠の命を得られるとも、ましてや自意識や個性が残るとも限らない。奴らに知性があるとは欠片も思えませんからねえ」

 彼の云う通りだ。融合は肉体だけでなく精神にも及ぶ、と教団は説くが、孤立した外部者スタンドアローンである自分たちにどうやってそれを確かめられるだろうか。

 彼女には、本能に突き動かされたように未結合者フレッシュを襲い続ける肉塊に、取り込まれた個人の意志が反映しているとは到底思えなかった。

「じゃあ、どうしてあなたは信者に?」

「単純な話ですよ。僕は少しでも長く生きていたいだけ。信者でいる間は安全が保障されますからね」

 奇妙な理屈だが、ようやく腑に落ちた。カルトが引き起こす大量殺人や集団自殺は往々にして執行者が最後まで生き残る。これも彼なりのサバイバル術なのだろう。だが、どんなに救済と称し正当化しようとも殺人行為である事実に変わりはない。彼女がそう反論しようとした、その時——。

 びしり、と大きな音が鳴り響き、〈聖体群セノビウム〉の外殻に亀裂が走った。裂け目は徐々に広がり、やがて内側から甲高い異音とともに目映い光が漏れ出す。

 その強烈な光は目を閉じてもなお眩しく、その脳裡を突き刺すような金切り音は、耳を塞いでもなお鼓膜を震わせた。次いで建物が激しく揺れ、天城は思わずその場に倒れ込む。

 光と音そして揺れが収まったのを確認してから、彼女はおそるおそる目を開けた。

 つい先ほどまで〈聖体群セノビウム〉がいた場所には、中身がぽっかりと空いた抜け殻のようなものが。見上げると、天井が内側から大きく抉れていた。羽化した何かが上空へと飛び去ったのだ。

「ああ、ああ」ほうぼうから感嘆の声が漏れ、「なんて綺麗なんだ」「美しい……美しすぎる」「私も早くああなりたい」

 光を浴びた者たちは一様に恍惚の表情を浮かべ、口々に礼賛の言葉を漏らしている。

 次の瞬間、彼らは防護服を脱ぎ、誰からともなく一人また一人と手を繋ぎ始めた。その中には、やはり陶酔うっとりした表情を浮かべる國守と小柳夫婦の姿も。

 手を繋いだそばから指が消え、腕は誰のものでもなくなり、やがて誰もが人の形を保てなくなると、ぐにゃり、またぐにゃりとその輪郭を崩し始めた。

「恐れるな。神がそれを望まれたデウス・ウルト! 神が望んだのだデウス・ウルト!」御木の絶叫が響き渡った。

 同化途中の者たちは皆、赤ん坊が出す喃語のような声を発している。その言葉にならない声は、口が肉に埋もれて無くなるまで暫く続いた。

 人々の輪はみるみるうちに一繋ぎの大きな肉の輪と化し、天城たちに迫りくる。彼女は脱ぎ捨てられた防護服に身を包み、茫然と立ち尽くす須永の手を引っ張ると、建物を飛び出し全速力で山を駆け下りた。

 背後に張り付く恐怖から逃れるように、二人は足が動かなくなるまで走り続けた。

 どこまで来ただろうか、立ち止まり息を切らす彼女の眼前に広がったのは、見渡す限りの工場群だった。どうやら隣町の工業地帯に行き着いたらしい。

 剥き出しの鉄骨、林立する煙突、毛細血管を思わせる不規則に走る配管。有機的にも無機的にも見えるその威容は、あらゆる人工物を寄せ集めた巨大な〈融合体アマルガム〉を連想させた。

 工場の屋上に上がると、天城はへなへなとその場に座り込んだ。しばらくすると、隣で突っ立つ須永の様子がおかしいことに気付いた。

「終わりだ」「手遅れだ」などと、ぶつぶつ。「もう人類は終わりだ」と、唐突に絶叫を上げ、激しく頭を掻き毟る。

「光を見たの? あの中から何が出てきたの?」

 彼は質問に答えない。「奴らが来る」「乗っ取られる」「地球を破壊しろ」などと要領の得ない言葉を絶叫し続けるばかりで、光の中に何を見たのか、頑として語ろうとはしなかった。

 彼は何か恐ろしいものを目撃し、正気を失ってしまったのだろうか。


 須永は死んだように虚ろな眼で独り言を呟き続け、たまに思い出したかのように喚き散らす。そんな状態が一週間ほど続いたある朝、その日はいつもと様子が違っていた。

「なあ、天城」不意にそう切り出した彼の声は、淡々として抑揚がなかった。

「教えてくれよ」依然その瞳に光はない。が、少なくとも山を離れてから初めてまともにコミュニケーションを図ろうとしているのは確かだ。正気を取り戻したのだろうか。

「俺たちは何もできないのか? 科学は無力なのか?」

 彼女には返す言葉が見つからなかった。

 その日の夜、須永は工場の屋上から身を投げた。これで同化の恐怖から永遠に解放される。飛び降りる直前に見せた表情は、そう云わんばかりの穏やかな微笑みだった。

 彼は肉体からも精神からも解放される道を選んだ。その極端にしてささやかな最後の抵抗は、ある意味で実を結び、そして同時に、天城を独りきりにした。

 小さな肉塊になり果てた須永を見下ろし、彼女は抑え込んでいた感情を爆発させる。声が枯れるまで続いた慟哭は、しかし誰の耳にも届かなかった。

 彼は光の中に何を見たのか? 何が彼にあれほどの怒りと絶望をもたらしたというのか?


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