第1話 人道的地球侵略行動

「五十から六十人といったところね」

 駅前のロータリーでもぞもぞと蠢くその肉塊を遠目に、天城あまぎしおりがぼそりと呟いた。

 芋虫のような巨大な肉塊。すでに何十体と見てきた彼女には、その大きさで取り込んだおおよその人数が分かる。

 脇から突き出た無数の手足が辛うじてその巨躯を支え、無造作に散乱した眼球がぎょろぎょろと忙しなく動く。肉塊の表面には、吸収した人間のものであろう無数の耳と鼻もあるが、口はない。

 道路の向こうから、今度は約三十人サイズの肉塊がのそのそと近づいてくる。互いを視認した二体は、肉の弛みを器用に波立たせるミミズのような蠕動から一転、蛇のようにくねくねと地を這い、その距離を急激に縮めた。ばちん、と鈍い破裂音を上げて肉塊と肉塊が勢いよくぶつかり合う。

 粘土同士を練り合わせたように、肉と肉の境界面は瞬く間に溶け合い、消失。両者は一つに繋がり、一回り大きな肉塊となった。これほど大きくなれば、もうまともに動けないだろう。見つかっても容易に逃げ切れる。

「いつ見ても気色悪いな……」

 彼女の後ろからおそるおそる顔を覗かせていた須永広明すながひろあきが、吐き捨てるように云った。

 動き回る巨大な肉塊——〝群体〟〝人塊〟〝芋虫キャタピラー〟〝結合体ザイゴート〟〝大勢レギオン〟〝嵌合体ヒトキメラ〟〝𠈌ヒトビト〟……。呼び名は地域によって様々で、正式な名称はまだない。

 天城たち宇宙科学研究所の職員は、〈融合体アマルガム〉と呼んでいた。アマルガム――その語源はギリシャ語の〝malagma〟にまで遡る。意味は「やわらかいかたまり」。


 ことの発端は、昨年の一月二十日だった。

 北緯27度33分26秒、西経161度43分56秒――太平洋のど真ん中。その上空に直径五十メートルほどの球体が突如として出現したのだ。のちに〈先体アクロソーム〉と名付けられた半透明のそれは、二時間ほどその場に浮かんだあと、明らかに自然落下ではない速度——時速十キロ程度でゆっくりと降下した。

 ハワイの排他的経済水域上に位置していたこともあり、未確認兵器の類だと認識した米軍はミサイルで撃墜を試みるも、球体のつるりとした表面に傷一つ付けられなかった。

 球体はそのまま海の中へと沈没。ただちに米軍が辺り一面を捜索するが、それは影も形もなかった。海水に沈むと同時に溶けて消滅したのではないか、と関係者は云う。

 その一週間後、黒く粘り気のある大粒の雨が太平洋上に降り注いだ。それから間もなくのことだった。環太平洋地域を中心に肉塊のような異形生物の目撃が相次ぎ、数日後には世界中で確認され始める。

 全世界が大混乱に陥る中、国連の発表により人々はようやく知ることとなった。各地で大量発生している〝歩く肉団子ウォーキング・ミートボール〟の正体が、人間の寄せ集めであると。国連は、彼らが〝不可逆的人体融合現象IHA;Irreversible Human Assimilation〟と呼ぶ一連の現象には、例の〈先体アクロソーム〉が関係している可能性を指摘。球体に含まれていた未知のウイルスか何かが海中で爆発的に増殖し、蒸発、気化したそれらが雨や風などを媒介に世界中に拡散したのではないか、と。

 融合に至る経緯は実にシンプルだった。人と人が肌を触れ合わせただけで直ちに融合が始まり、一分と経たずして完全に同化する。〈融合体アマルガム〉同士でさらに融合し続け、雪だるま式に体積を増やしながら未融合者を探しては取り込もうとする。

 奇妙なことに、現象の及ぶ範囲は人体だけで、人間以外の融合例は一件も報告されていない。

 肉体的接触が誘因だとする発表が遅れたこともあり、球体の出現から一か月と経たずして人類の三分の一が〈融合体アマルガム〉と化した。


 以来、日常の光景は一変した。

 人が密集する都市部には大量の〈融合体アマルガム〉が発生し、生存者は避難を余儀なくされた。皮肉にも、野山に追いやられていた野生動物が入れ替わるようにして人影の消えた都市部に移り住み、いまや野生動物の楽園と化している。

 有史以来、生息範囲を拡大し続けた人類は、この時を境に、まるで時間を遡行するかのようにその数を急激に減らしていく。人種、国籍、言語、文化……、人類は些細な違いを超越し、一つに纏まろうとしていた。

 この前古未曽有の事態に国や政府はまるで無力だった。肉塊の元が人間であるという事実が、〈融合体アマルガム〉への対処を遅らせた要因の一つでもある。倫理的観点から多くの国が攻撃を躊躇い、国連が武力行使を勧告した頃には、すでにどの国の軍隊もまともに機能していなかった。


 JAXAの宇宙科学研究所も他の多くの研究機関と同じように、融合現象の原因を地球外知的生命体によるものだと考えていた。

 だが、その目的については意見が二つに分かれた。須永をはじめとする、人類への攻撃だとする侵略説と、人類を新しい種へと導いているのだとする進化説。

 天城はそのどちらが正しいか判断しかねていた。

 侵略説には一定の説得力がある。地球を侵略したい何者かが本当にいるとして、その最大の障壁は、この星唯一の知的生命体である人間だろう。人類を排除する理由は十分にある。が、それにしても妙にやり方が回りくどい。これほどの技術力があるのなら人類の直接排除だって容易なはずだ。

 かといって進化説も、彼女には楽観的に過ぎると感じられた。融合は個や肉体、死さえ超越した精神集合体への進化だと彼らは主張するが、果たしてそれを進化と呼んでいいものだろうか。彼我のない一つの生命体への変容は、喜ぶべきことなのか。

 現時点では何かを断定するには情報が少なすぎる。それが彼女の偽らざる心だった。

 ほどなくして職員の大半が避難、あるいは自ら進んで肉塊に取り込まれ、街に残って研究を続けたのは天城と須永の二人だけとなった。やがて備蓄していた食糧も尽きかけ、一年足らずで彼らもまた市街地からの避難を余儀なくされる。

 とりあえずの目的地は、研究所から最も近い山――T山だ。


 二人は徘徊する肉塊に細心の警戒を払いつつ、建物の影から影へと移動していく。街には人の気配はなく、住民のほとんどは肉塊に取り込まれたか、すでに避難したあとだった。

 天城は路上に散らばっていたビラを一枚拾い上げる。「神の計画」「神による人類再征服」「Be One,Be the Oneひとつに。そして、神に」と怪しい文言が踊るその紙には、逆さまの樹を象ったシンボルマークが描かれていた。カルト教団〝一者いっしゃの会〟が布教の際に配布したものだろう。

 国連の発表から間もなく、人々は一連の現象を様々に解釈し始めた。

 宇宙科学研究所と同様、科学者の大半は侵略派と進化派に分かれ、後者は積極的に肉塊への同化を推奨した。

 またバチカンは、現象を神聖視する旨の談話を発表。彼らは人間の一体化をキリスト教的創世観と終末観から説明しようとした。曰く、肉体とは生命の質料ヒュレーである。神が土を練り上げて人間アダムを創造したように、神の見えざる手がすべての人間を大きな一つの土塊アダムに還元し、まったく新しい生命体を練り上げようとしているのだ、と。つまるところ、神による人類アダムの再創造だ。

 融合を神聖視する動きは国内にも見られ、その最大勢力が件の〝一者の会〟だった。彼らは「結合回帰」――融合による神との再合一を掲げ、全人類融和運動と称した布教活動を各地で展開している。

 宗教の影響力は絶大で、いわゆる合一ヘノーシス主義者は日に日にその数を増やし、妄信という名の熱狂が怒涛の如く世界を覆った。襲撃され不本意に同化させられた犠牲者より、自ら進んでその身を捧げた者のほうが遥かに多いほどだ。

 むしろ原因さえ分かれば〈融合体アマルガム〉自体は大した脅威にはならない。肌を露出せず、巨大な個体に踏み潰されでもしない限りは安全に暮らしていける。現段階における人類最大の脅威は、意外にも、というより「やはり」と云うべきか、人間なのだ。

 もっとも、そうした極端な思想が瞬く間に蔓延し、また多くの一般人が盲目的に追随してしまった背景には、それなりの事情があった。

 融合現象の発生以降、性行為は物理的に不可能となった。行為の結果は火を見るよりも明らかで、字義通り二人は一つに、二度と離れられなくなるからだ。そこで体外受精を試みるも、精子と卵子が受精卵を形成することはなく、やはり結合し異形の細胞と化してしまう。融合は細胞レベルで作用するのだ。

 そこで人類はようやく理解に至った。現象の真の恐ろしさは、子孫を残せないこと――つまり、人類の絶滅にあるのだと。子供という未来を失えば、当然、人類という種の未来もまた閉ざされる。

 世界中の科学者があの手この手で最悪の結末を回避しようと躍起になったが、未だ打開策はない。人間はこの先、減ることはあっても決して増えはしない。つまり、現存する世代が最後の人類——彼らの死は、人類の絶滅を意味する。ヒトはこれ以上の同化を食い止め〈融合体アマルガム〉を駆逐し、融合現象を克服できたとしても、その結末だけは避けられない。この現象が始まった段階で、人類の滅亡はすでに決定づけられていたのだ。

 その残酷な事実は、人々を絶望させるには十分過ぎた。人類が世代を超えて積み上げてきた文明は、しかしその後継者を永遠に失うのだ。肉体的繋がりも断たれ、孤独に生きていかなければならないのなら、いっそ自ら取り込まれようと考える者がいても何ら不思議ではなかった。


 天城が信仰に救いを求める人々に思いを馳せていたその時、不意に甲高い悲鳴がこだました。声の方向を見やると――三人の男女と、それを追う小型の〈融合体アマルガム〉。奴らは体重の軽い個体ほど動きが速く、彼らが追い付かれるのも時間の問題だった。

 彼女は肩に掛けていたライフル型の麻酔銃を構え、狙いを定めた。研究所が開発した対アマルガム用の特製麻酔薬だ。

 ——乾いた発砲音が尾を引いた。紙一重の間隙。三人の背後まで迫っていた怪物は、徐々に速度を落とし、やがて脚を絡ませてその場に倒れ込んだ。

 動かなくなったそれを見下ろし、彼女はまじまじと観察した。ゆっくりと掻き回すように、どろりと混ざり合う顔面。倍に膨れ上がった胴体から無造作に突き出た八本の手足が、蜘蛛を連想させる。いまでは滅多に見なくなった、元が人間だと分かる程度には原型を留めた個体だ。おそらく融合して間もない若い男女だろう。

 世界中の恋人たちは非肉体的結合プラトニック・ラブを余儀なくされている。この二人は、醜悪な肉塊に取り込まれるぐらいならと性行為に及んだカップルだろうか。それならまだマシだが、中には一方的な好意から強引に融合を迫る者もいると聞く。

 ふと、その肉塊の中に五本の小さな突起物を見つけ、彼女は思わずはっと息を呑んだ。すべすべとした白く小さな、手――この個体の成員は二人ではなく、三人だったのだ。現象の発生以前に生まれた赤ん坊だろう。

 生殖が断たれた世界、親が死ねば子は独りになる。我が子に待ち受ける残酷で孤独な未来を悲観して一家心中を選んだのだろうか。

 そう思い至る心情は痛いほどよく分かる。だが親だからといって――子に判断能力がないからといって――その命運を本人に代わって一方的に決めていいものだろうか。

 彼女がやるせない思いに沈んでいると、ぴくり、とその小さな指が微かに動いた。

「天城、早く逃げるぞ」

 麻酔は急場凌ぎに過ぎない。じきに効果が切れ、動き出す。近くに鍵が刺さったままの車を見つけた一行は、すぐさま飛び乗ってその場を離れた。

「ありがとうございます」

 車内、小柳こやなぎと名乗った夫婦が天城に謝意を伝える。二人とも腕に包帯が巻かれ、夫は右手が不自然に短く、逆に妻は左手が長い。おそらく接触の直後に自ら切断したのだろう。融合を途中で止める唯一の、しかし咄嗟の判断を要する難しい処置だ。

「どこか行く当てがあるのですか?」

 そう訊いたのは、T大学工学部の院生だという青年、國守くにもりかおる。詳しく話を聞いたところ、三人もまたT山に向かう道中だと云う。

「生存者に告ぐ。この放送を聞いた者は……」彼が取り出したラジオからは、録音された男の声が繰り返し流れている。

「そこには大規模な集落が築かれていて、化け物や食糧の心配もないそうです」

 肥大化した〈融合体アマルガム〉は斜面を登れない。現に多くの生存者が山を目指した。

「ところで、お二人はどうしてまだ市街地に?」と、國守。

「私たちはJAXAの職員なんです」

「科学者でしたか。それで、あれは一体何が原因なんでしょうか?」

「残念ながらそれは……」

「異星人による人類の大掃除ですよ」須永が吐き捨てるように云った。「ある意味で最も効率がいい侵略方法だよ。人類の生殖さえ止めてしまえば、俺たちにはもう打つ手がなくなるんだから。あとは生存者の自然死を気長に待つだけさ」

 直接地球に乗り込まないため反撃のリスクはなく、かつ確実に人類を一掃できる最善の一手と云えるだろう。

「致死性のウイルスをばら撒いたほうが効率がいいのでは?」すかさず國守が異論を挟む。「人間だけをピンポイントで融合させられるなら、人間だけを殺すウイルスぐらい作れますよね。そうすれば百年近くも待たなくて済みますし」

「融合現象を引き起こした球体は、あくまでも人類殲滅が目的の先遣隊なのさ。後発の侵略者たちが着く頃には人類はすでに絶滅、彼らは何一つ労せずして地球を手中に収められる」

 須永はなおも持論を展開し続けた。

「そして何より、人道的だ」

「人をあんなグロテスクな姿にさせといて人道的だって云うんですか?」

「少なくとも侵略者は直接手を下していない。それに、融合したからといって死ぬわけじゃないだろ」

 融合後も活動を続けている以上、確かに誰も殺していないと云えるだろう。あくまでも理論上は、だが。

「これはあくまでも俺個人の憶測なんだけどね、侵略者には一定の倫理観を持ち合わせている可能性がある。だから形だけでも虐殺を避け、これほど回りくどい方法を選んだんでしょう。人類を強制退化させてその知能を奪い、地球外に強制退去させれば、この惑星は晴れて侵略者のものになる。まさに無血入城、人類の安楽死さ。どうだい、ひどく人道的だろう?」

 人類だって似たようなことをしてきた。知性がない、あるいは低いなんて曖昧な理由で動植物を好き勝手している。それどころか同じ人間同士でさえ殺し合いを続けてきた。天城には人類のほうがよっぽど残虐に思えた。

 ただ、それでも融合というやり方が人道的だと評するには抵抗がある。選択肢を与えず強制的に同化させる行為は、明らかに人道的とは程遠い。侵略行為は、それ自体が非人道的なのだ。未開の地に文明をもたらす手助けをしているのだ、と列強が植民地支配を正当化しようとしたように、たとえ善意から出発していたとしてもだ。

 須永も同じ考えだった。

「だからといって俺は侵略者の行為を称賛しているわけじゃない。人道的かどうかは侵略する側の都合だ。侵略される側にはまったく関係のないことさ」

 彼が同化に激しく抵抗を覚えるのは、その反骨精神ゆえだった。二つの文明間に著しいレベルの差がある場合、上位者は下位をある程度思い通りにできる。その差が埋まるよう導くことも。だが一方的な押し付けが、彼には許せなかったのだ。たとえ同化の先にどんな幸福が待ち受けていたとしても、彼は絶対に抵抗をやめないだろう。問題なのは、自由意志や選択の有無なのだ。

「主体性なき同化に屈するぐらいなら、いっそ孤独に死んだほうがマシだ」と須永が啖呵を切った、その瞬間。

 暮れかけの東の空に一筋の閃光が走り、巨大な光の柱が立った。

「近い……」天城がぼそりと呟く。

 通称〝羽化エクロジオン〟――〈融合体アマルガム〉は同化量が一定の閾値に達すると活動を停止し、ぶよぶよと柔らかかった表皮が硬質化し始める。一週間ほど経つと、蛹から蝶が羽化するように、中から眩い光とともに〝何か〟が飛び立つ。光の柱が真っ直ぐ空に伸びるその神々しさから、一連の現象を奇蹟に結びつける者が後を絶たなかった。

 また、羽化の瞬間を間近で目撃した者は、その形容しがたい美しさに涙した者もいれば、この世のものと思えないほどの悍ましさに絶叫を上げ発狂した者もいるという。


 車を走らせること約一時間弱、一行は日が落ち切る前にT山に到着した。

 バリケードが張り巡らされた麓を越えると、化学防護服を着た男が一行の到着を歓迎した。マスクの奥にくしゃっとした笑顔を覗かせ、

「皆様お疲れでしょう。部屋を用意しておりますので、さあさ、こちらへ」

 男の後ろを歩いていた天城は、ふと隣を歩く須永の異変に気が付いた。血の気が失せた顔面、脚は微かに震え、瞳には恐怖の色がありありと見て取れる。その視線の先——建物の屋根に聳え立つ、逆さまの樹を象った像を目にしたとき、彼女もまたすべてを悟った。

「なんで……」天城は困惑の表情を國守に向けた。

「すいません」そう答えた彼の顔に表情はない。

 自分たちが命からがら辿り着いたこの場所は、人類安寧の地などではなかった。ここは、〈融合体アマルガム〉を崇拝するカルト教団、〝一者の会〟の総本山だったのだ。


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