零時になる前に

如月芳美

零時になる前に

 二月二十八日。毎年必ずやって来る日だ。そして明日は二月二十九日、四年に一度しかやって来ない。

 この日はわたしにとって、とてもとても特別な日。私の誕生日であると同時に、このクマちゃんが四年に一度おしゃべりする日なんだ。



 四歳の頃はママも「クマちゃん、お話してくれてよかったね」って言ってた。その日はずっとずっと夜までクマちゃんとお喋りしてた。

 翌日、クマちゃんは何も言ってくれなくなった。いつものクマちゃんに戻っちゃったんだ。

 ママは「お誕生日だから特別にお話してくれたんじゃないの? また次のお誕生日にはお話してくれるわよ」って言ってたけど、わたしのお誕生日は四年に一度しか来ない。それからは八歳になるまで、『四年間』という子供には気の遠くなるような時間を待ち続けていた。


 小学校に上がる頃には、クマちゃんがおしゃべりするなんてありえないって思うようになってた。その反面、この子だけは他のぬいぐるみと違って話してくれるような気もしてた。



 八歳の誕生日。二月二十九日にクマちゃんはおしゃべりを始めた。

 わたしが縄跳びで二重飛びができるようになった日のこと。

 掛け算九九をクマちゃん相手に練習したこと。

 お友達に仲間外れにされて泣いて帰ってきた日のこと。

 クマちゃんの目が取れかけて、ママに直して貰った日のこと。

 七五三の赤い着物がよく似合ってたこと。

 その日に千歳飴をクマちゃんにも分けてあげようとしたこと。


 わたしの日常をみんな見ていて、懐かしい出来事も全部覚えていて、たくさんお話してくれた。

 そして、二月二十九日が終わる寸前に、こう言ってくれた。


「僕はいつだって見ているよ。だから、嬉しいことがあった日は僕に話して。悲しいことがあった日も僕に話して。なんでも僕に話してね。僕は全部聞いているから、いつだって味方だから」


 そして時計は零時を指して、クマちゃんは何も言わなくなった。

 だけど私は知ってた。クマちゃんはお話ができなくなっただけで、全部見ているって。

 次は四年後、十二歳。それまでは会話はできないけれど、ずっとずっとクマちゃんに報告しようってその時心に誓ったんだ。



 それから間もなくしてわたしは学校へ行けなくなった。いじめが原因だった。

 たぶん、いじめている人は『いじめ』の意識が無いんだろう。遊びの延長くらいにしか考えていなくて、わたしがこんなに傷ついていることなんかわからないんだろう。


 悲しくて、悔しくて、毎日家に閉じこもって泣いていた。

 クマちゃんにたくさん聞いてもらった。もちろんクマちゃんは何も言ってくれない。何か言って欲しい気もしたけれど、何か言われたらそれ以上クマちゃんに聞いてもらうことができなくなるような気もした。


 学校へ行ったり行かなかったりをしばらく繰り返して、やっと少しずつ学校へもどれるようになった。

 今思えば、クマちゃんに毎日話を聞いて貰っているうちに、自分で消化したのかもしれない。



 小学校最後の誕生日、クマちゃんは喋った。

 この四年間は心配のし通しだったこと。

 毎日泣きながらわたしが話すのを聞いて、何か声をかけたかったのにそれができないのがもどかしかったこと。

 他のぬいぐるみたちも応援していたこと。

 これから中学に入ってまた心配事が増えること。


 そして、最後にクマちゃんはまたこう言った。


「僕はいつだって見ているよ。だから、嬉しいことがあった日は僕に話して。悲しいことがあった日も僕に話して。なんでも僕に話してね。僕は全部聞いているから、いつだって味方だから」



 十六歳までの四年間はそれまでとは少し違っていた。もちろん何かがあればクマちゃんに聞いて貰ったんだけれど。

 ただ、その頻度が少なくなったように思う。


 中学に入り、再デビューを果たして、いじめと無縁な生活が始まった。

 それと同時に勉強が難しくなって、彼氏もできて、部活が忙しくなって、高校受験も控えて……なんやかんやと理由をつけてはクマちゃんを放置した。

 そしてテストの前や部活の大会の前になると、神頼みよろしく『クマちゃん頼み』するんだ。クマちゃんはもちろん何も言わないんだけれど、それでも味方をしてくれているって思えたから。


 迎えた十六歳の誕生日。クマちゃんはいつものようにおしゃべりを始めた。

 部活で頑張っていること。

 後輩たちに慕われていること。

 優しい彼氏のこと。

 もうすぐ迎える高校受験のこと。

 次の二月二十九日までにやって来る大学受験のことも。

 

 クマちゃんをほっときっぱなしで自分の都合のいい時だけ声をかけるようになったというのに、『困った時のクマちゃん頼み』をしていることを喜んでくれた。


 そしていつものようにクマちゃんは最後にこう言った。


「僕はいつだって見ているよ。だから、嬉しいことがあった日は僕に話して。悲しいことがあった日も僕に話して。なんでも僕に話してね。僕は全部聞いているから、いつだって味方だから」


 だけど、今年はもう一言、独り言のようにつぶやいた。


「僕はいつまで声をかけて貰えるのかな」


 わたしがハッとしたときに時計は零時を指し、クマちゃんは何も言わなくなった。




 あれから四年経った。

 私は高校を出て、大学生になると同時に一人暮らしを始めた。そのとき、クマちゃんは実家に置いて来た。

 夏休みとか冬休みのような長い休みのときだけ実家に帰るけど、その時声をかけてもクマちゃんは何も言ってはくれない。


 


 そして二十歳の誕生日にはわたしは家に帰らなかったのだ。

 クマちゃんは一人でどうしているだろう。長い長い四年という時間を待ちくたびれて、やっと話せる時が来たと思ったら話し相手はいない。あの部屋で一人寂しくわたしが帰って来るのを待っているんだろうか。


 わたしが小さい頃、そう、四歳の頃、八歳になるのをあれほど首を長くして待っていたのに。四年間という長い時間を待つことの苦しさを、わたしはよく知っているはずだったのに。

 なぜ、わたしはクマちゃんを連れてこなかったんだろう。


***


 今日はわたしの二十四歳の誕生日。クマちゃんがお話してくれる日だ。

 前回話し損ねた分、たくさん話してくれるだろうか。それとももう話してくれなくなっただろうか。


 そんなわたしの不安を吹き飛ばすかのように、クマちゃんは喋り始めた。


 高校で勉強を頑張っていたこと。

 大会で優秀な成績を収めたこと。

 インフルの時、心配で仕方無かったこと。

 バレンタインに女子同士で友チョコ交換して、彼氏が拗ねたこと。

 第一志望の大学に入れたこと。


 一人暮らしを始めて、急にこの部屋ががらんとしてしまったこと。

 そこから時間が止まってしまったこと。



 わたしは泣いた。大声をあげてクマちゃんを抱きしめて泣いた。

 ごめんねクマちゃん。置いてけぼりにしてごめんね。

 クマちゃんも寂しかったんだよね。わたしばかりがいつもいつもクマちゃんに話を聞いてもらって、いつも味方になってもらって。

 クマちゃんがそうしてくれるのが当たり前みたいなつもりになってた。クマちゃんがいつも笑っているから、寂しくなんて無いんだって思ってた。

 ごめんね。ごめんね……。



 いつの間にか夜は更け、いつものようにクマちゃんはこう言った。


「僕はいつだって見ているよ。だから、嬉しいことがあった日は僕に話して。悲しいことがあった日も僕に話して。なんでも僕に話してね。僕は全部聞いているから、いつだって味方だから」


***


 今、わたしの部屋には絶対的な味方がいる。もちろん二月二十九日じゃないから何も話してはくれないけれど。

 だけどこの子がいてくれるからわたしは頑張れる。


 ね、クマちゃん。

 

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