後編
「おばあちゃん……」
「どうした?何があった?」
ラプンツェルに問いかけるゴーテルの声はいつもの平坦な響きではなく、かすかな震えを含んでいた。
「森にイチゴを摘みに行ったら……知らない子たちに遠くから石を投げられて、魔女の子なんて……気持ち悪いからこっちくるなって言われた」
「……」
幼い声でたどたどしく語る内容に、言葉を失った。
大人たちなら、魔女への本能的な恐怖や嫌悪を感じていてもそれを直接ぶつけてくることはない。魔女自身が圧倒的な力を持っているうえに、魔女の作る薬が自分たちには必要だと理解しているからだ。
だが子供たちには、まだそういう理解も認識も無い。無いままに、大人たちの恐怖や嫌悪の感情だけは敏感に感じ取る。
感じ取ったその後は『魔女やそれに近しいものは嫌悪して当然の悪者だ』と思い込んで、子供ゆえの率直さでぶつけてくる。
少し考えてみれば当然思い至ることだった。
「……ねえ、おばあちゃん」
麻痺したように呆然と動かぬゴーテルに、ぽつりと雫が滴るようにか細い声がかけられる。
「私……何か悪いことしちゃったの?」
いつもは溌溂と輝く明るい緑の瞳が、濡れて陰っている。
「……いいや、君は何も悪くない。悪いのは・・・」
とゴーテルは言いかけて。
「……とにかく、一度家に入ろう。いいね?」
「……うん」
ラプンツェルの手を引いて家の中に入るゴーテルの中に、暗雲に似たものがじわじわと広がりつつあった。
その後、ラプンツェルに石をぶつけた子供とその親がすぐ謝りに来た。
尤も親の方は本当に申し訳ないと思って……というよりも、魔女の報復を恐れての謝罪のようだった。子供の方は、親に強要されて仕方なく、といった様子だ。
自分は親が抱いている感情をくみ取って、そのまま素直にぶつけただけなのに何故謝らなければならないのだろう――そんな疑問が幼い顔ににじみ出ていた。
ゴーテルは、謝罪を淡々と受け入れて親子をそのまま帰した。そして一晩考えた後に、結論を出した。
他者の悪意に触れさせないためには、他者から隔離した場所に彼女を住まわせるしかない。
「ラプンツェル。今日から、ここに住んでもらう」
ゴーテルについてきたラプンツェルは、目をぱちくりとさせた。
「……ここ?」
「ああ」
二人の前にそびえたつのは、天を突きさすように高くそびえた塔。
「……でも、どうやって入るの?ドアがないよ?」
「こうやってだ」
端的に答えると、ゴーテルは呪文を口ずさみ、魔法で使い魔を出現させる。
ヒッポグリフ――グリフォンと雌馬の間に生まれた獣の背にラプンツェルと二人で乗る。すごいすごいとはしゃぐラプンツェルをたしなめつつ、窓から塔に入り込む。
「今日からここに二人で住むの?」
「いや、君だけだ。私は魔女としての仕事があるから、ずっとここにいるわけにはいかない。だが毎日ここには来る」
そう答えると、ラプンツェルの顔がわずかに曇る。それが何故か耐え難く感じられて、ゴーテルはさらに言葉を紡ぐ。
「人が住める環境として充分物を整えているし、安全性も高い。心配はいらない」
「……うん。分かってる」
ラプンツェルはそう答えて微笑んで見せるが、やはり眼差しに潜む寂しげな陰りは消えていなかった。
それから数年、ラプンツェルは塔で過ごした。ゴーテルは最初、塔に出入りする時はヒッポグリフを使用していた。だが、ある日ラプンツェルが提案したのだ――自分の髪を使って塔に上ってみては、と。
驚いたが、彼女の髪に宿る魔法の効果を思い出し試してみることにした。ラプンツェルの髪は人一人の重量にも楽々耐え、本人も痛みを感じていないため、以来その方法で出入りするようになった。
ラプンツェルの髪は痛むことなく、まっすぐつややかに伸びていた。稲穂のように鮮やかだが柔らかな光沢を纏う黄金色。それによく映える緑の瞳は、以前の溌溂とした輝きがない。
笑顔を浮かべてはいても寂しげな影が濃く浮かんでいるため、悲し気に沈んだ笑みにしか見えない。
どれほど豊富で栄養価の高い食料や、高価な衣服を用意してみてもそれは変わることがなかった。
それがなぜなのか、薄々気づいてはいた。だが認めたくはなかった。認めたくない事実から目をそらし続けて、ラプンツェルの塔へ通う日々を過ごしていたある日。
所用を済ませて帰る途中、若い男女の姿を見かけた。身なりからしてお世辞にも裕福とは言えないが、その表情だけははちきれんばかりの幸福感に輝いていた。
――今のラプンツェルには決して出来ない表情だ。
不意に浮かんだ思いを、ゴーテルは慌ててかき消した。
今やっていることは必要なのだ。ラプンツェルに悪意や敵意を向けさせないために。あの日のような泣き顔をさせないために。
必死に自分に言い聞かせようとするが
――それなら、今のラプンツェルはどうしてあんな悲し気な笑顔しか浮かべないのか。
次に浮かんだ疑問には、ゴーテルは何の弁解もできなかった。
以前にも感じていた、冷えた黒い汚水のような何かがゆっくりと内側に広がっていく。どうしたらいいのか分からないそれを持て余しながら、日々を過ごしているとふとゴーテルは気づく。
相も変わらず塔で過ごすラプンツェルの表情から陰りが消えている。幼いころの笑顔とは違う、少しはにかみを含みながらも、幸福感に輝く笑顔。
――あの時、見た若い男女と同じ表情だ。
それに気づいた時、ゴーテルは思わず問いかけていた。
「ラプンツェル。君……この塔で私以外と会っていないか?」
唐突な質問に、ラプンツェルはしばし硬直していたがやがてゆっくりと頷き、話し出したのだ。一人の若者と出会った経緯を。
その様子は、あまりにもうれし気で楽し気で幸せそうだった。以前の寂しげな笑顔とはあまりにも違う。
――自分がさせてしまっていた表情とは。
「……ごめんよ」
「え?」
認めたくない事実から、目をそらし続けるのはもう限界だと悟ってしまった。
困惑したような声を漏らすラプンツェルに、ゴーテルは近づきナイフを振り上げる。
「……!」
反射的に目をつむるラプンツェルの耳に、束ねた糸を断ち切るような音が飛び込む。
「……え?」
豪奢な金糸のような髪を魔力を込めた刃で断ち切ったゴーテルは、ヒッポグリフを呼び出しラプンツェルを乗せた。ヒッポグリフには透明化の魔法を施し、『ラプンツェルの寿命が尽きるまで、陰で守れ』という命令を下す。
使い魔は何も言わず、ただ速やかに命令に従ってラプンツェルを背に乗せて飛ぶ。
「おばあちゃん……!?」
驚愕と困惑が混ざり合って呆然としたラプンツェルの声が急速に遠ざかっていく。
「ごめんよ……」
ゴーテルはもう一度そう呟き、うずくまる。ここ数年目をそらし続けた事実を、ようやく認めた。
今ようやく自分の内心に気づいた。
ラプンツェルの笑顔が好きだった。あの笑顔が曇るのがたまらなく嫌だった。だから、できるだけ人の悪意から遠ざけてあの笑顔を守ろうとして――結果として、自分であの笑顔を曇らせていたのだ。
しばしそうして、ゴーテルが一人でうずくまっていると。
「ラプンツェル。ラプンツェル。髪を下ろしておくれ」
聞きなれぬ若い男の声が塔の外から届く。いつも自分が言っていた言葉だ。無言のままゴーテルは立ち上がり、断ち切ったラプンツェルの髪を垂らした。
それを縄のように使って登ってきた男を、ゴーテルは冷えた視線で射貫く。
この男か。この男なら、ラプンツェルをあんな笑顔にできたのに――どうして自分ではだめだったのだろう。
そんな思いがこみ上げる。
「あの……あなたは?ラプンツェルは一体どこに?」
「……いない」
若く秀麗な顔に困惑をにじませて問う男に、ゴーテルはぼそりとつぶやくように返す。
「え?」
「いない、と言った!もう解放した!私では無理だった!なんで・・・なんで私では無理でお前は可能だったんだ!」
自分でも驚くほどの激しい声が口からほとばしった。眼前の男は困惑と狼狽をにじませているが無理もない。ゴーテル自身、自分でも何を言っているのか分からないのだ。
ただ、腹の底が不快なほどに熱い。ラプンツェルと過ごした頃に感じた人肌のような優しいぬくもりではない。痛みを伴うほどに激しい熱。
その熱にかられるままに、激しい怒声を投げつけてゴーテルは男を手で突き飛ばした。
「あ……っ」
男はよろめき窓から落下する。
「……あ」
ゴーテルの中から熱が引いて、背中に氷をあてられたような悪寒が走る。反射的に魔法を紡いて男が落下する速度を減衰させる。
ゴーテル自身も窓から魔法で飛翔して降り、男のもとへ行く。意識を失っており、傷もおっているが命に別状はない。
「……何をやってるんだか。魔法が使えるだけの馬鹿だな、私は」
ほっと安堵するとともに、自分への呆れがこみあげて独り言となって漏れる。
ラプンツェルの笑顔を見る安心感を手放したくなくて、黒い汚水のような不安に耐えきれず、焼けるような妬ましさに駆られて。
普段彼女を恐れる普通の人々が見たら、何と思うだろう。
「て……そんなこと考えてる場合じゃないな」
一度塔の中に戻り魔法薬の材料等を手に入れ、大急ぎで戻るが。
「……え」
男の姿がない。意識を取り戻し自力でこの場を去ったのか。あわてて探すと、容易に見つかった。すぐに治りきっていない傷の治療をしようとするが、ためらってしまう。
向こうからしたら、いきなり塔から突き飛ばして自分を殺そうとした女だ。
『治療するからじっとしていろ』などと言われても、信用されないどころか怖がれて警戒されそうだ。
悪いことをしてしまったと、頭が冷えた今は素直に思う。ラプンツェルを笑顔にしてくれた男だというのに。
「……いや、彼女のもとまで連れていくか」
ラプンツェルを運んでいるヒッポグリフの位置を魔法で探る。
「……遠いな。だがまあ、やるしかないか」
自分の愚かさと過ちをようやく認めることができた。なら後は、その上で自分にできることを精いっぱいやりきるだけだ。
ゴーテルは、幻術を使って男をラプンツェルの元へ誘導することを開始した。
それからどれほどの時が過ぎたのか、ゴーテルはよく覚えていない。覚えていられないほどの疲労が全身を包み込んでいた。
「……そういえば、薬を飲むのをずっと忘れていたな。このままでは体がボロボロになって死ぬな。しかし、薬を調合している間が惜しいし……」
かすれた声でぶつぶつとつぶやいていると、ようやくラプンツェルの姿が視界に納まる所まで近づいた。
「ああ……ようやくか」
ほっと息をついて、急いで近くの茂みに身を隠す。ラプンツェルがのろのろと動く男の姿に気づき、駆け寄っていく。
ラプンツェルの緑の瞳からこぼれる涙が、男の傷に落ちようとする。
「……ああ、そういえば誘導に必死で、傷の治療が後回しだった。ごめんよ」
つぶやいて、文字通り最後の魔力を振り絞り治療の魔法を使用する。これをやったら自分は死ぬ、と本能的に悟るがためらわない。死んでもかまわないと思うほどの何かが内側から自分を突き動かしているのがわかるから。
瞬間、全身の感覚がゆっくりかすんでいく。おぼろな視界の中でもラプンツェルが泣きながらも幸せそうな表情をしているのがわかる。
自分はもうすぐ死ぬ。それを認識してなお、ゴーテルは不思議と安らいだ気持ちに満ちていた。今までは空っぽなまま生きてきた。やりたいことなど何もなく、ただ依頼と魔法の研究を機械的にこなすのみ。
だが今は違う。ラプンツェルの笑顔につながることなら何でもしたい。そう思い、自分にできることをやりきった。
自分のやった数々のことを振り返ればお世辞にも正しいことをしたとはいえないが、それでも奇妙に満ち足りた気分で、ラプンツェルと男を遠くから見つめる。
幸せにしてやれなくてごめんな――と言いかけて。
「……いや、違うな。こっちの方がいい」
見つけた言葉をなんとか喉の奥から絞り出す。
「二人で……一緒に……幸せにおなり……」
かすれた声で紡いだ言葉は誰にも届かぬままに。
ゴーテルの身体もまたゆっくりと朽ちて消えていった。
こうして魔女ゴーテルは誰にも看取られることなくひっそりと、けれど今まで抱いたことのない穏やかな気持ちで息絶えました。
ラプンツェル―魔女ゴーテルの物語 緑月文人 @engetu
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